あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

軍事參議官との會見 『 軍は自體の肅正をすると共に維新に進入するを要する 』

2019年03月21日 05時14分06秒 | 首脳部 ・ 陸軍大臣官邸


陸相官邸


午後十時頃、
各參議官來邸、余等と會見することとなる。
( 香、村、余、對馬、栗原の六名と満井、山下、小藤、山口、鈴木 )
香田より蹶起主旨と大臣に對する要望事項の意見開陳を説明する。
荒木が大一番に口を割って
「 大權を私議する様な事を君等が云ふならば、吾輩は斷然意見を異にする、
 御上かどれだけ、御シン念になっているか考へてみよ 」
と、頭から陛下をカブって大上段で打ち下す様な態度をとった。
これが、二月事件に於ける維新派の敗退の重大な原因になったのだ。
余はこの時非常にシャクにさわった。
「 何が大權私議だ、この國家重大の時局に、
 國家の爲に此の人の出馬を希望すると言ふ赤誠國民の希望が、なぜ大權私議か。
君國の爲 眞人物を推す事は赤子の道ではないか。
特に皇族内閣説が幕僚間にダイ頭して策動頻りであるとき、
若し一歩を過らば、國體をきづつける大問題が生ずる瀬戸際ではないか 」
と 言ふ意味の云を以て、カンタンに荒木にオウシュウする。
村中は皇族内閣説の不可なる理由を理路整然と説く。
これには大將連も一言もなかった。
スッカリ吾人の國體信念にまいった様子がみえて 駄弁な荒木も遂に黙する。
植田がコビル様な顔つきで村中に何か話している。
林は靑ざめた顔をして下をウツムイて頭を揚げ切らぬ。
カスカかにふるへてゐる様にも見えた。
安部も眞崎も西義一も何も云はぬ。
寺内がどうすればいいのだと云ふ。
此の會見が全くウヤムヤに終わり、
吾等も大した具體的な意見を出し得ず、彼等も何等良好な解決策をもたず、
單なる顔合せになってしまったのは、ヘキ頭の荒木の一言が非常に有害であったのだ。
和やかに靑年將校の意見を聞き、御互ひに福蔵なく語り合ったらよかったのだが、
陛下、陛下でおさえられて、お互ひに口がきけなくなったのだ。
山下、満井、鈴木の諸氏の中、
誰か一人縦横の奇策を以てこの會見を維新的有利に導くことが出來たら、
天下の事、此の一夜に於て定まっていたのだ。
余は
「 軍は自體の肅正をすると共に維新に進入するを要する 」
との旨を紙片に記し、各官に示したるに、寺内は之を手帳に記入した。
( 皮肉なる哉、余の此の意見によって、今や寺内が吾が同志を彈壓してゐるのだ、
 余の軍肅正は維新的肅軍であったが、寺内は維新派彈壓の佐幕的肅軍をやっている。)
會見に於て具體的な何物をも収カク出來なかったが、
各官が吾々を頭から彈壓すると言ふ態度はなくて、
ムシロ子供がえらい事を仕出かしたが、
まあ眞意はいいのだから何とか処置してやらずばなるまいと云ふ風な、
好意的な様子を看取する事が出來たのは、いささかの安心であった。
・・・磯部浅一 『 行動記 』  第十八 「 軍事参議官と会見 」 
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若い人達は
「 牧野、西園寺、宇垣、南の四名を逮捕して下さい 」
と言ふことを云始めとして、
立派な内閣を作ると言ふことを早くやること、
皇軍相撃たぬこと 等を要求し、
吾々のやつたことは忠義であるか、逆賊であるか
等 質問して居りました。
之れに對し主に答へられたものは荒木閣下でありました。
荒木閣下は、
「 そんな老人を捕えても何にもならん。
 そんな人達は今更何にも出來る人達ではない。 捕えても何にもならん。
又 内閣の事に就ては、吾々臣下の者が彼是申す可きでない。
早くやれ、皇軍相撃つなと言ふことに就て、君達から言はれる迄も無い事である。」
と 述べられました。
眞崎閣下、
「 吾々に總てを委して呉れんか。 委する以上は条件を附けないで呉れ。
 きつとやるから。我々も命がけだ。 今迄は努力が足りなんだ。
今度はきつちりやる。全部一致團結して居る。
吾々がやると言ったら、君達は吾々の懐に飛込んで呉れんか。
然し日本では大御心が一番大事なものぞ。 これは絶対である。
我々が如何に努力しても必ず必ずこの範囲内の努力である。
一度び大御心により決ったならば、お前達は己れを空しくして從はねばならぬ。
之れに反するならば、私は遺憾乍ら君達を敵とせなければならぬ。」
と 述べられました。
之等に對し、私はこう述べました。
此れは感極まって傍聴者たることを忘れて申したことであります。
「 若い人達が逮捕して呉れと云ひ、荒木閣下は絶対に不可と云はれましたが、何とか中間を執って頂けませんか。
 仮令ば、東京から遠い所に居させると言う処置もありませう。
又 内閣に就ての批判はよくないことでありますが、
こういうのはいけない、こういう内閣が良いと 云ふ位の評判は良いではありませんか。
又 軍事參議官閣下がやると言われますが、矢張り内閣を想定されなければ、何事も出來ぬでありませう。
もつと親切に若い人達と話して下さい。」
と 言ひました。

斯くの如くして再び
若い人達と軍事参議官閣下方との間に種々な話しが進められましたが、
之を要するに
若い人達は、この一擧を口火として直ちに全面的昭和維新に入ることを主張し、
參議官方は、種々な事情で一概にそうはゆかぬと述べられ、
判然しない結果で 二十七日午前二時頃この會見は終わりました。
若い人達は富士山の室に退き、
午前五時頃迄種々と話し合ひ、
うどんを食べて、一同と共に寝ました。
參議官方は大部分午前四時頃迄お話をして居られた様に思ひます。
・・・山口一太郎大尉の四日間 2 「 軍事参議官と会見 」 

軍事參議官
 
      
林銑十郎大將   荒木貞夫大將     眞崎甚三郎大將  阿部信行大將      植田謙吉大將     西義一大將        寺内寿一大將
靑年將校
   
香田清貞大尉     村中孝次           磯部浅一       栗原安秀中尉      對馬勝雄中尉
立會人
    
山下奉文少將           小藤恵大佐        鈴木貞一大佐   満井佐吉中佐    山口一太郎大尉
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深夜の説得
( 二十六日 )
その夜、山下少將の先導で
林、荒木、眞崎、阿部、植田、西、寺内らの各大將は、車を連ねて陸相官邸に入った。
蹶起將校側は 香田、村中磯部、栗原、對馬の五人
それに 山下、小藤、鈴木、満井、山口らが立會人として同席した。
兩者はテーブルをはさんで對座して會談に入った。
まず 香田が 蹶起趣意書 を讀上げ 陸軍大臣への要望事項 をここでも説明した。

ややあって 荒木大將が、
「 君たちの今回の趣旨は我々もよく諒承している。
 そして又 そのことは 今や陸相を通じ 上聞に達している。
今これ以上の事を更に陛下に申し上げることはかえって鞏要となり臣道に反する。
陛下はこの事について非常に御軫念しんねんになっておられる。
この上は大義に反せぬより充分自重しなくてはならない。
あとの事は我々一同で出來るだけ善処するから、
まず速やかに兵を解散し
君らは闕下けっかに罪を待つべきである 」
と 説示した。

すると 栗原が立ち上って、
「 閣下のおっしゃるところはよく分ります。
我々とても 仰せのところは充分承知しております。
從ってその責任もまた深く感じています。
又 これ以上血を見ることも決して好みません。
しかし我々は ともかくも 今日は血をかぶってきた者であります。
我々の只今のたった一つのお願いは、どうか御一同の御力で我々の趣旨を貫徹していただきとう存じます。
そして立派な内閣をつくって日本の危急を救っていただきたいのです 」
とて、血を吐くように 切々たる願いを訴えた。

荒木は、
「 すでに話したように 諸君の趣意はいちはやく天聽に達しており、
我々も諸君の意のあるところを推して今後とも充分努力するが、
まずこれ以上聖慮を悩まし奉れぬためにも、この際、第一に兵を解散さすべきである 」
とて、あくまでも 兵を退けとすすめた。

先刻来から荒木の陛下に鞏要する云々の發言に内心 憤りに燃えていた磯部は、
「 お諭しは ごもっともですが、大權を私議するということはどういうことですか、
 この國家重大の時局に國家のために この人の出馬を希望するという赤誠國民の希望が
なぜ 大權の私議とか 陛下に鞏要し奉るということになるのですか、
君國のために眞人物を推すことは赤子の道ではありませんか。
特に 皇族内閣説が幕僚間に臺頭して 頻りに策動が行なわれているということですが、
もし 一歩を譲らば、國體を傷つける大問題が生ずる瀬戸際ではありませんか。
又、私たちは今まで 欺され通し欺されてきました。
軍長老の閣下たちが我々のような若輩に對し 懇切にお話下さるのは、
ただ、我々は、今、武力を持っているからであります。
お説のように、一度兵を解散させたならば、又、どうなるか分りません。
我々が兵を握っている間に、我々の趣旨が貫徹されてほしいのです。
それさえ實現すれば もはや 何の心殘りもなく 我々は立派にその責を負う覺悟であります 」
磯部のこの鞏硬な發言につづいて、
村中が、皇族内閣説の不可なる理由を國體論をもち出して 理路整然と説いた。
これに對し 參議官たちは一言も發しなかった。
植田大將が何か村中に一言 二言 話しかけた。
林大將は靑ざめて顔をあげなかった。
眞崎、阿部、西大將らも何もいわない。
一同沈黙して座は靜まりかえっていた。
突如、満井中佐が立って、
「 現在の軍内外の情勢は、昭和維新への気勢が大いに上っており、
 これを止めようとしても 止め得るものではない。
決起將校の志を汲んで この事態に善処するよう、大なるものがある。
いたずらに彼らを彈壓することがあってはならない。
昭和維新に邁進することが この事態収拾の根本である 」
と 一席ぶった。
しかし 満井のこの發言にも なんの反響もなかった。
あとは又沈黙が續いた。
寺内大將が どうすればよいのだとつぶやく。
磯部は
「 軍は自體の肅正をするとともに維新に突入するを要す 」
と 紙片に書いて示した。
參議官はこれを回覧し 寺内はこれを手帳にかきとめた。
こうして、この會見は 数時間の長きにわたったが、何の結論も出ない。
そこで 一旦休憩することになり それぞれ別室に退った。

この間 阿部大將は靑年將校の部屋を訪ねて いろいろ懇談して參議官の控室にかえってきた。
そして、
「 彼らの意嚮はまず眞崎内閣を希望し 荒木には関東軍司令官を期待している。
 そして、今度はその趣旨で我々と個別に會い 意見を述べたいともいっている。
それから 林大將には強い反感を抱いている模様で、直接、面接の際には、すぐ軍籍を離れてもらいたいと要請するといっている。
もし それが聞き入れられねば 不本意ながら、なおこの上 血を見ることもやむを得ないともいっている。
そして建川、小磯、杉山らをはじめ 片倉、辻といった一連の人々も、
この際 速やかに軍籍を退くことを強く希望する意嚮のようだ 」
との 情報をもち込んだ。

そこで引きつづき第二回会會見となったが、
參議官側は林の發言を控えさせて眞崎に發言をすすめた。
それはすでに夜も更けて眞夜中のことであった。
眞崎大將は、
「 諸君は自分を内閣の首班に期待しているようだが、 第一自分はその任ではない。
 亦 かような不祥事をおこしたあとで 君らの推擧で自分が總理たることは、
お上に對し鞏要となり臣下の道に反し 畏れ多い限りであるので、斷じて引きうけることはできない 」
この時、いままで黙っていた阿部大將が、
「 君たちは軍を健全にするというが、萬一、皇軍相撃となれば 參謀本部、陸軍省の被害は必至であり、
 その結果作戰上の重要書類は悉く焼かれて、今後、軍は大變なことになってしまうじゃないか、
ともかく、君たちは まず速やかにこれらの地區から引きさがってはどうか 」
この眞崎、阿部の發言で彼らは大きな期待はずれを味わった。
荒木、眞崎は自分の味方で我々の後押しをすると思っていたが、逆に後退を勧められてしまったのだ。
この時、立會いの山口大尉は、
「 もう話は止めて下さい、今日は彼らも血を見てきたのですから、理屈は もう澤山です 」
といい、
満井も、
「 これ以上議論は不必要と思います。
 この邊で一旦打ち切ってはいかがですか、自分はちょっと他に用件もありますから、これで歸ります 」
と 挨拶もそこそこに出て行った。
かくて、この再度にわたる徹夜の開顕も何ら得るところなく終った。
二十七日の天明近くであった。

二・二六事件  大谷敬二郎 から


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