緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

アリシア・デ・ラローチャ演奏 グラナドス作曲「スペイン舞曲第2番(オリエンタル)」を聴く

2023-12-16 22:53:11 | ピアノ
今日は23日に開催される千葉マンドリンクラブの部内発表会の練習のために千葉某町まで行ってきた。
練習開始前の待ち時間で同じギターパートの方と話をしているうちに、グラナドス作曲「スペイン舞曲第2番(オリエンタル)」の話題となり、1970年代の終わりごろにジュリアン・ブリームとジョン・ウィリアムスが2重奏で演奏したオリエンタルをお互い聴いていたことが分かった。
私が聴いたのは高校3年生のとき、FMラジオからデータに録音したものだ。
長い間この2人の2重奏はYoutubeでも探し出すことが出来なかったが、昨日偶然にもこのライブ録音が6年前に投稿されているのを見つけた。

原曲はピアノ独奏曲。



私は20代の後半の頃、アリシア・デ・ラローチャ演奏の1954年の録音をCDで聴いたのが最初だったと思う。
これが彼女の最初の録音ではないかと思う。





No. 2. Orientale


その後彼女が録音した音源をYoutubeで探してみたら、意外にも結構あることが分かった。
次が1961年の録音。これも最近見つけた。

Granados: Spanish Dance No. 2 (Oriental) - Alicia de Larrocha, 1961 - MHS 1518


その次が1964年。

12 Danzas españolas: No. 2, Oriental


そして一番流通し、知られている録音がデッカから1982年にリリースされたもの。(CD所有あり)

Granados: 12 Danzas españolas, Op. 37 - 2. Oriental


最後が1995年にRCAから出た録音。(CD所有あり)

Enrique Granados - Oriental, par Alicia de Larrocha


少なくとも5回録音しているわけで、ラローチャのこの曲を含め12のスペイン舞曲集に対する思い入れの強さが感じられる。
私は1961年と1964年の録音が好きだ。最盛期の頃の演奏で、音に力を感じるし生気に溢れ、情感に満ちている。

手持ちのギター2重奏の楽譜をかき集めてみた。















最初に買ったのが高校3年生のとき、好楽社から買ったUNION MUSICAL ESPANOLA社のクエルバス-プホール編の楽譜だった。
大学2年生のとき、ブリームとジョンの2重奏の録音を参考にしながらイ短調でギター3重奏に編曲した。
これは大学マンドリンクラブの卒業演奏会で弾いた。
就職して東京へ出てきてからギラルラ社版の2重奏用の編曲(イ短調)を手に入れたが全く演奏する機会がなかった。

ギターで演奏する際にはやはり原曲の楽譜とピアノ演奏の録音を聴き、オリジナルからかけ離れないように留意することが必要だと感じる。
アリシア・デ・ラローチャの演奏は基本に忠実でありながらスペイン人によるスペイン固有の音楽が伝わってくるかのようだ。

ブリームとジョンの録音もリンクを貼り付けさせていただく。(レント・アッサイが速すぎ?)

Danzas espanolas, Op. 37: No. 2, Oriental (Arranged for Two Guitars by Julian Bream & John...

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かわいいミニメトロノーム見つけた

2023-12-15 23:28:37 | 音楽一般
先日、小さなかわいいミニメトロノームを見つけて買った。







このミニメトロノーム、今から20年以上前だと思うが、大きな楽器店でよく見かけた。
欲しいなと思いつつ、買わないで済ましていたらいつの間にか製造終了となっていた。
日工精機というメーカーが製造したものであるが、メトロノーム製造メーカーとして有名な会社だ。

今回入手したものはデットストック品のようだ。未使用となっていた。値段は2千円ほど。
振り子を振らせてみると、意外に音は小さかった。でも一人で使うには十分な大きさだ。

自分のためにメトロノームを初めて買ったのは2000年頃だったと思う。
ウィンドウズ95搭載の中古おんぼろパソコンを買ってインターネットを始めた頃、ヤフオクで買ったのが下の写真の日工精機製メトロノームだ。
色はオーソドックスなアイボリーで昔ながらのデザイン。



ヤフオクで悪い評価がたくさんついているあぶない出品者から買った。最安値だったからだ。
商品は無事届いた。
このメトロノーム、2011年の大震災の時に本棚から落下し、カバーの固定用爪を破損してしまった。
使用に支障はないのでそのまま使っている。

やはりアナログにはアナログの良さを感じる。
機構部の設計、デザイン、各パーツの製作、組立など、作った人のいろいろな思いが伝わってくるかのようだ。

フィルムカメラもずっとマニュアル露出、マニュアルフォーカスを使ってきた。
キャノンF-1、キャノンニューF-1などを使ってきた。ニコンFの露出計無しのアイレベルを使っていたこともある。
車もずっとマニュアルトランスミッション車を乗り継いできた。AT車は買ったことがない。

アナログとかマニュアルとか言われる製品は、デジタル、オートマティックと言われる製品とは根本的にコンセプトに対する考え方が全く異なる。
不便なように思えて実は製品の構造や機能をおのずと理解できるようになるのがアナログ、マニュアル製品なのだ。

スマホやデジカメやハンディー録音機など、電子機器は機能が豊富過ぎるうえに覚えるのが大変。用意された機能のごくわずかしか利用しないのが今の自分だ。
こういう人をアナログ人間というようだ。



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チャイコフスキー作曲 ピアノのための組曲「四季」 Op. 37aより「舟歌」を聴く

2023-12-12 21:51:24 | ピアノ
チャイコフスキーのピアノ独奏曲は数が比較的多いのにあまり演奏される機会はないが、このピアノのための組曲「四季」 Op. 37aは録音もかなりある。
その中でも「舟歌」はシンプルで短いながらも非常に美しい曲だ。

チャイコフスキーは14歳で母をコレラで失い、結婚に失敗し、自殺未遂に追い込まれるほど精神的に追い詰められたという。
また壮年期から長い間うつ病を患っていたらしい。
彼の人生は幸福と不幸、華やかさと絶望という二極性に支配されていた。
作者自身が「この曲は、私のすべての作品の中で最高の出来栄えだ」と評価した交響曲第6番「悲愴」は彼がコレラで死去する9日前に初演が行われたが、そのときの聴衆の反応は好ましいものでなかったとされる。
私はこの「悲愴」を20代半ばの頃、あの古く暗い独身寮の中で何度も聴きまくるなかでうつ病から抜け出すきっかけを得た。
そして2年前、ラジオでたまたま聴いた森正指揮、NHK交響楽団の古いライブ演奏をきっかけに2、3か月で140枚ほどのCDやレコードを買って聴きまくった。

この交響曲第6番「悲愴」は、チャイコフスキーの人生の縮図、生き様そのものであろう。
これほど完成度の高く、精神的な深みに満ち、厳しさを求められるオーケストラ曲はないと思っている。


Tchaikovsky - The Seasons, Op. 37a - VI. June Barcarolle
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理想のタッチを得る条件(その3)

2023-12-10 22:25:29 | ギター
今日は久しぶりにマンドリンコンサートを聴きに行ってきた。
東京マンドリンクラブと千葉マンドリンクラブの指揮者が振る演奏会と、中央大学マンドリン倶楽部の第125回定期演奏会のどちらかにするか迷ったが、前者の演奏会を選択した(有難いことにチケットもいただいた)。
エルガー、イベール、マーラー、ベートーヴェンといった作曲家の弦楽、管弦楽、交響曲などのクラシック音楽をマンドリンオーケストラに編曲したプログラムであったが、このような演奏会はこれまで目にしたことはない。
編曲も大変であろうが、オリジナルが通常のオーケストラ編成であるがゆえに演奏は困難を極めるレベルであり、短期間(5か月ほど?)でここまで仕上げたな、というのがまず最初の感想だ。
マンドリンオーケストラ界の演奏会において、次第に、100年、200年と長く演奏され、鑑賞され続けられる力を持ったオリジナル曲の演奏割合が減少し、現代的な感覚に満ちてはいるがどことなく物足りなさを感じる曲の割合が徐々に増えつつある状況のなか、偉大な作曲家の手により主に19世紀から20世紀にかけて生まれたクラシックの大曲だけを集めてマンドリンオーケストラで演奏するという試みはこれまでに無く斬新であり、編曲をはじめ技巧面や音楽表現力の困難性に対する大いなる挑戦という、何かこの音楽領域に新たな方向性を見出そうとしているようにも感じられたのである。
演奏はどれもが素晴らしかったが、あえて挙げるとしたら、エルガーの弦楽セレナード第2楽章ラルゲットが最も聴きごたえがあったことを記載するにとどめておきたい。

帰りはたまたま同じ方向に歩いていた東京マンドリンクラブのメンバー数人と出会い、そのまま居酒屋に。
予定外のことだったが、コンサートの後にまっすぐ帰るのも寂しいものだからかえって良かった。

さて、話題は変わり「理想のタッチを得る条件」についての考察であるが、そもそもタッチの仕方というものがどういうプロセスで決まるか、ということを考えてみる必要があると思う。
ギター音楽を殆ど知らない段階で教室の先生に習った方は恐らく、特定の先生から教えられたとおりのタッチの仕方を盲目的に身に付けるものと思われる。そしてそのタッチの仕方は一旦定着するとその後ずっと継続されていくに違いない。このような過程を経て演奏されている方は結構見かける。
これに対して、ギター音楽を聴き、その音に魅力を感じてギターを始めた人は、いろいろな奏者の演奏を聴く中で、「このような音を出したい」という思うようになる。
タッチの仕方はある程度基本というものがあり、教室の先生や教本から教わる必要がある、そこから先は、各自が理想とする自分の音の表出を目指して試行錯誤しながら見出していくものだと思う。
各自がどのような音を理想とするかは自由ではあるが、それでも大切なことは、「ギターにとって魅力のある音とはどういう音なのか」、「他の楽器には出せないギターの音の美しさとは一体どのようなものなのか」というようなことを常に考える必要があると思う。
自分の音を常に客観的に見つめ、自分の出したい理想の音に対する飽くなき追求という姿勢が日々の練習を楽しくするし充実させることは間違いない。
そのためにはやはりギターの巨匠と呼ばれる優れた演奏家の音を出来るだけ聴くことが必要だ。新しいとか古いとかは当てはまらない。
たった1度聴いただけなのに、何故かずっと記憶に残っている音というのがある。そのような音は聴き手の深いところまで届くほど感情エネルギーを内在させている音と言える。このような音をどうやったら出せるのか、ということを考えていくことで自然にそれに見合うタッチが見いだされるのではないかと思う。
(私の場合、高校3年生でラジオで聴いたホセ・ルイス・ゴンサレスの音がまさにそうでした)
客観的に自分の音を見つめるには生の音で録音するとか、人に聴いてもらうという手段がある。

「タッチの前に優れた演奏家の録音をたくさん聴く」
これは理想のタッチを得るための最も重要な前提条件だと思う。

さっき録音したいつもの曲をアップしておく。トレモロがなかなかそろわない。最後ミスりだ。

①アルハンブラ宮殿の思い出 2023年12月10日夜

②スペイン舞曲第5番アンダルーサ 2023年12月10日夜





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理想のタッチを得る条件(その2)

2023-12-09 22:17:55 | ギター
今日は午後から千葉マンドリンクラブ部内発表会の練習のため、千葉某町まで行ってきた。
各パート1名でのアンサンブル練習であったが、これって結構楽しい。
自分の楽器の音が良く聴こえるし、他パートの音もよく聴こえてくる。
各パートの演奏や音の違いが明瞭に識別できるので、かなり音楽が身近に感じられるのである。
入りやテンポを間違うとすぐに分かるのもいい。
定期演奏会がオフのときはこういうアンサンブルにも参加するのもいいと思った(もちろん独奏も大事だが)。

さて寝る前に一筆。
「理想のタッチを得る条件」と題する記事を先日書いたが、その続き。
条件10項目を再掲する。

<理想のタッチを得る条件>

①自分によく合った最高のギターをもつこと。
②高めの足台とギターによく適したよい弦であること。
③よい助言者、優れた教育機器教材、鏡などを持つこと。
④身体全体が自然で正しい姿勢であること。
⑤右手の重心、弾く位置がノーマルなこと。
⑥pimaの各指が独立性を養えるトレーニングを積んでいること。
⑦p指はあらゆる種類のアポヤンドが可能なこと。
⑧各指の爪は短めで正しい手入れ法を知り、深めのタッチができること。
⑨imaは左端の先端で弦を巻き込むようにタッチが出来ること(回転運動が含まれること)。
⑩右手全体にムダな力が加わらなくて移動性に富むこと(瞬間にエネルギーは効果的に出される)。

⑧の「各指の爪は短めで正しい手入れ法を知り、深めのタッチができること。」
これは最近偶然、マンドリン合奏の曲でラスゲアードを多用する曲ですり減らした爪で独奏曲を弾いたら、意外にも音がまろやかで芯のある音が出たことに気が付き、以来、爪の長さを短めにして、タッチも指頭⇒爪の順で弦に接触するように意識して弾くようにしている。

思えばギターを始めた1970年代の半ばからずっと長い間、爪の長さはそれほど長くはなかったし、タッチも指頭⇒爪の順で弦に接触するように弾いていた。
ギターを始めた当初はもっぱらアポヤンド奏法がメインだった。
例えば、セゴビアから直接指導を受けた阿部保夫の教本「セゴビア奏法によるギター新教本」の最初の練習曲、アグアドとソルの初級練習曲は全ての音をアポヤンドで弾くよう指示している。



阿部保夫氏はこの教本の解説で、「指頭奏法を使っているプジョール先生の生徒も爪を伸ばしていた。私が渡伊して一番おどろいたことは、爪を伸ばしながら指頭としか思われないやわらかくきれいな音でひいていることだった」と述べている。
ここで言う「爪を伸ばす」とは、長い爪ではなく、完全な指頭ではない、やや短めの爪+指頭で弾いている、という意味ではないかと思う。

また、クラシックギターの音でセゴビアとともに最も美しい音を出すギタリストとして賞賛されたホセ・ルイス・ゴンサレスの教本「ホセ・ルイス・ゴンサレス テクニック・ノート」の最初の練習は③弦での音階をアポヤンドで弾くというものであった。



ホセ・ルイス・ゴンサレスは演奏会の始まる直前、演奏会場の控室で長時間にわたってこの③弦の音階練習をしていたというエピソードを聴いたことがある。(XジャパンのYOSHIKIさんも本番前の控室でハノンのような基礎練習を延々としていた場面をドキュメンタリーで見たことがある)。

この「短めの爪で深いタッチ」をアポヤンド奏法で、基礎練習を徹底して積み重ねることが「理想のタッチを得る」ための必要条件であり、美しい音を生む土台であると考えている。
セゴビアも深いタッチをしているのがYoutubeの動画で見ることができるが、驚くほど脱力し柔らかいタッチをしている。
余計な力が入っていなく、必要最大限の瞬発的なエネルギーでもってあのセゴビアトーンと呼ばれる音が生み出されているのであろう。

イエペスもソルの練習曲などの出版物でアポヤンドの指定をかなり行っている。
下はソルの練習曲ホ短調であるが旋律部は全てアポヤンドを指示している。



またソルの魔笛の主題による変奏曲の次の部分などもアポヤンドの指定だ。





セゴビアもイエペスも老齢になってからも音が衰退することはなかった。
これはアポヤンドを中心とした、深いタッチ、それも余計な力の一切入らない瞬間的なエネルギーを用いたタッチを若い時から徹底的に習得し土台としてきたからではないかと思う。
1980年代頃からアルアイレしか使わない奏者が激増したが、このような奏者が老齢期に入り、その音が昔と変わらず維持出来ているのだろうか。
(バルエコは、ラッセルは?)

今日の帰宅後に久しぶりにバリオスの大聖堂第1楽章を弾いてみた。旋律部は全てアポヤンドで弾いている。

久しぶりのバリオス、大聖堂第1楽章 旋律部をアポヤンドで弾く練習のための最適な曲 2023年12月9日
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