緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

H.ラヴィトラーノ作曲「序曲 レナータ」を聴く

2018-08-26 20:19:00 | マンドリン合奏
昨日、7月中旬に開催された母校マンドリンクラブ記念演奏会のCDとDVDが届いた。
10年毎に開催される記念演奏会。
前回の40周年の時は誘いを受けたものの多忙で参加できず、今回の50周年は何が何でも参加したいと思っていた。
しかし住所が変わったこともあり、案内は届かず。
偶然見かけた演奏会の案内をきっかけに現役生に問い合わせし、OB会にたどり着くことができた。
ギタートップの方が楽譜を送って下さったが、5月中旬に開催された大規模演奏会の練習や業務多忙などで殆ど練習できない日々が続いたが、それでも4月中旬に札幌に行き、初めて合同練習に参加した。
学生時代に一緒だった仲間にたくさん会えるのではという期待があったが、私の知っているOBは意外に少なかった。
しかし10年前に直接誘ってくれた同期のMや後輩のO君(ベース)、同じギターパートだった2年先輩のTさん、同じく2年先輩のマンドリンのKさんと会うことができた。
30数年振りの再会である。
みんな年を取ったが変わっていなかった。
少なかったけど、昔の仲間に会えたことが嬉しかった。
この時、何人かのOBが声を掛けてくれた。
千葉の船橋の社会人団体でも演奏しているというマンドリン+ドラのIさん、セロのSさん。
セロのSさんは合同練習に参加するたびに私のことを覚えてくれていたのか、必ず声を掛けてくれた。
(演奏会の懇親会でSさんがOB・OG会会長だと分かって驚く)

合同練習はこの後、6月中旬、演奏会前日、合わせて3回の参加となった。
私のような遠いところからの参加はこれが精いっぱい。
本当はもっと参加して貢献したかった。
しかし今回この記念行事に参加できたことは本当に運が良かったし、記念行事を運営、支えて下さった方々に感謝している。

さて送られてきたCDとDVDを恐る恐る聴いてみる。
しかし聴いてみたらびっくり、上手いのだ。
やはり札幌在住を中心としたOB、OGたちの練習、努力の賜物なのだと思った。
勿論、遠い所から練習に参加して貢献した方もいるだろうが、私のような数回しか練習に参加できなかった存在はせいぜい足を引っ張らないようにしかできなかったのではないかとも思った。
実際、フライングや、変な所で音を出さないように十分に注意するようにした。
しかし自分としては参加者として、もしかして最初で最後の参加になるかもしれないこの演奏会に対して、悔いを残す演奏はしたくなかったのも事実だった。
こういうのも自己満足かもしれないが、自分としては精いっぱい演奏させてもらったと思う。

DVDで2部と3部を全曲聴いた(1部は現役生のみ)が、3部の演奏が良かった。
1曲目はラヴィトラーノ作曲「序曲 レナータ」、2曲目はボッタキアリ作曲「交響的前奏曲」、3曲目が鈴木静一作曲「北夷」。
演奏していてとても感動したのが、「序曲 レナータ」。
この曲は学生時代、3年生の時の定期演奏会の1部1曲目だった思い出の曲だった。
イタリアらしい優雅な曲で親しみやすい曲であるが、何故か弾いていて惹き込まれる曲だった。

とくにハ長調に転調してからしばらく続く部分がとても幸福感を感じる素晴らしい旋律だ。
マンドリンソロの美しい旋律の後から続く。
ギターは下記のアルペジオでの伴奏であるが、この伴奏を弾いているだけでも幸福感を感じる
(この楽譜は学生時代のもの)





今日、ここの部分を弾きたくなって録音してみた。
調弦が狂っているが良かったら聴いて下さい。

ハ長調への転調部

記念演奏会のマンドリンソロからこのハ長調の部分が実に美しかった。

その後、イ短調に戻るがテンポが速まり、マンドリンの超絶技巧を要するパッセージが続いた後にやや激しくも優雅な音楽が続く。



次のような低音パートの刻みが特徴的だ。



ここの部分も弾いていて昂奮してくる(あまり強く弾きすぎてはいけないが)。

その後ホ短調に転調し、フェレールの「水神の踊り」を彷彿させる3拍子に移る。



そして一度は誰もが耳にしたことがあるのではないかという低音の力強い旋律が現れ、再び上記のイ短調のフレーズが繰り返され、技巧を要するPiu Allegroでコーダに入る。





このPiu Allegroからは何度も練習した。
今日この部分を録音してみた。
最後の音階がブチブチしてしまったけど。

最後のPiu Allegroの前後

今回の記念演奏会で共演した方々ともっと交流をもちたかったが、わずかな限られた時間で終わってしまったのが残念。
当日参加できないかもしれない持病を抱えての参加者、深夜の仕事で寝ないで参加していた方もいた。
DVDでこうして演奏者たちを見ていると音楽をやる人って本当にいいな、と思った。

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バーデン・パウエルのライブ録音を聴く

2018-08-26 13:23:06 | ジャズ
2か月くらい前だったか、たまたまYoutubeで楽器紹介を見ていたら、ジリ・ジルマル作曲の「ギターソロの為のバーデン・ジャズ組曲」という曲が演奏されていた。
クラシックギターでこういうジャズとかポピュラー音楽を弾くのは好きではないのだが、気晴らしで弾いてみようと思い、楽譜を買った。



買ったけど1度も弾かずにいたが、7月中旬に開催された母校マンドリンクラブ記念演奏会のために札幌に行き、本番直前で控室で学生時代の思い出の曲を弾いていたら、隣の初対面の若いOBがこの「バーデン・ジャズ組曲」を弾き出した。
私は彼に「それ、バーデン・ジャズ組曲ですね。私も最近楽譜を買ったんですよ」などと話した。
演奏会が終り、家に帰ってからこの楽譜を取り出し、1曲目の「シンプリシタス」を初見で弾いてみた。

でもちょっと物足りなくなくて、本物のバーデン、すなわちバーデン・パウエルというボサノバ・ギターの巨匠の演奏を聴いてにたいと思い、Youtubeで探した。

いくつか聴いたが中でも下記のライブ演奏が凄かった。

Baden Powell - Prelude in A minor


Gente Humilde (Garoto) - Baden Powell



「 Prelude in A minor」は自作なんだろうけど、独特な和声とその流れが素晴らしい。
全体的に静かに進んでいくが、随所でクレッシェンドし情熱的に奏でられる。
アルペジオの粒が浮き出ており、見事だ。
このライブで使用された楽器は確か、アレクサンドル・ラゴヤも使っていたような気がする。
独特な深い響きの低音。
それにしてもよく間違わない。破綻が無い。
演奏と表現に絶対的な自信が感じられる。

「Gente Humilde (Garoto)」の低音の音が凄い。
楽器はもしかしるとヤマハのGC71かもしれない。
この音を聴くと、楽器の音というのは奏者によって作られるのではないかと感じてくる。
多分、この楽器が新品の時はこんな深く力強い音はしていなかったのではないか。

この演奏も破綻が無く、演奏に絶対的な自身が感じられる。
要するに、演奏と格闘、演奏と葛藤するのではなく、自分と音楽が自然に一体化、融合しているのだ。
奏者と音楽、演奏が分離、対峙していない。
これはクラシックギターの巨匠、アンドレス・セゴビアにも見られる。
頂点を極めた音楽家に共通してみられる姿だ。

セゴビアもそうなのであるが、バーデン・パウエルも演奏中は、殆ど無表情だ。おおげさな動作が一切ない。
しかし演奏が終わったあとの、表情は格別だ。
本物の音楽家はこうなのかもしれない。

このような曲をクラシックギタリストが弾くのは好ましくない。
バーデン・パウエルやチャーリー・バードといったジャスやボサノバ弾きがクラシックギターを楽器として使用していたとしても、演奏される音や音楽はクラシックギタリストのそれとは全く別世界のものだ。
彼らは幼い時から、土着の音楽に触れ、クラブなどでライブを積み重ねてきた人たちである。
クラシックの世界とは全く違う。
彼らの音はクラシック界からすると汚く聴こえるかもしれないが、音の良し悪しを超えたもっと全人間的なものを感じる。
だから多くの聴衆の心を捉えるかもしれない。

ジョン・ウィリアムスが80年代にチャーリー・バードの自作曲を録音したが、全く駄目だった。
綺麗な音で端正な演奏をしたって合うわけがない。
そもそも根本からずれている。
クラシック奏者は意識せずともクラシック音楽の弾き方が染みついてしまっているので、ジャズを本気で弾こうとしても上手くいくはずはないのだ。
ジャズやポピュラー音楽はその道のプロにまかせるのがいい。
クラシックギター奏者はプロであるならば、余興は別として本業に専念して、安易に他ジャンルを取り入れない方がいいと思っている。
音楽のジャンルには根本的に相いれない垣根というものがあると感じる。
チャーリー・バードがヴィラ・ロボスの12の練習曲をレコードに録音したが、上手いとは言えない。
逆のパターンも同じようなことを感じる。
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