緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

合唱曲「木琴」を聴く(2)

2018-08-17 23:35:08 | 合唱
何故か悲しい曲を聴きたくなった。
最も暗く悲痛な曲として思い浮かんだのが、合唱曲「木琴」。
私の合唱曲鑑賞の原点となった曲だ。

日本人でないと生まれなかった合唱の名曲。
この曲を初めて歌ったのは中学3年生だったが、長いブランクを経て再会したときの感動は忘れられない。

この曲の録音をいろいろ聞いたが下記の演奏が最も素晴らしい。
特に次の部分の女声の演奏が素晴らしい。

「早く街に 赤や青や黄色の電灯がつくといいな
電灯がつくといいな」

「星の中で 鳴らしはじめてからまもなく
街は明るくなったのだよ」

どのような理由にしても、大切な存在が突然失われることは悲しい。


【合唱曲】 木琴


合唱曲 木琴
コメント

ボルトの頭、切る

2018-08-15 21:46:36 | 
昨日シフトレバーのオーバーホールをしたのだが、購入した交換キットについていたグリースの量が少なく、グリースを別途購入し、補充しておいた方が安全だと思い、今日早速グリースをつぎ足しする作業に取り掛かった。

昨日シフトレバーを外した時には、元々塗布されていたグリースはベットリと大量だった。
恐らく新車組み立て時に塗布されたものであろうが、もしこの量が適正値だとすると、交換キットについていたグリースの量では全然足りない。
納豆にたれと一緒についてくるからしくらいの量しか入っていないのである。
いくらなんでもこの量では足りない。
そこで市販のグリースを買って、これを補充することにした。



分解作業は昨日と同じだが、またしても蛇腹の豆ブーツをひっぱがすのに手間取った。
こいつとの格闘は昨日ほどではなかったが、今日も手間取った。

シフトレバーを外し、ミッション上部のホールにはめ込まれたカラーにグリースを塗布する。



ついでにホール周辺のシール剤の残骸を取り除き、パーツクリーナーを吹き付ける。
そして手前側の六角ボルトを増し締めする。
使った工具は下のラチェットレンチ。



外したシフトレバーはやはりグリース不足のようだった。
シャフトの先端部とカラーにグリースを継ぎ足しする。



シフトレバーをはめ込み、円盤を挿入してからもグリースを補充する。



そしてその円盤を固定するために3本のフランジ付六角ボルトを固定していた時、思わぬことが起きた。

強く締め付けた方がいいと思い、3つ目のボルトをラチェットレンチで回し続けていたら、急にレンチが速く回るようになったのである。
一瞬何が起こったが分からなかったが、ラチェットレンチを外してみたら、とんでもないことに。
何と、ボルトの頭を切ってしまったのだ。





せっかくグリースの補充も上手くいっていたのに、何てことをしでかしてしまったのだ。
締め付けトルクを前もって確認しておくべくだった。
サービスマニュアルを読むと締め付けトルク40~70と書いてあった。

といっても折ってしまったものはどうしようもだい。
とりあえずボルト1本欠損したまま、ブーツを元通りにかぶせ、再組立てを終了させた。
しかしこのまま放っておくことはできないので、近いうちに折れたボルトをボルト穴から引っ張り出し、新しいボルトで締め直さなければならない。
どうやって折れたボルトを引っ張り出すのか。
調べてみたら、専用工具があった。
エキストラクターという工具で、アマゾンで送料込み666円だった。



次の休日はこの折れたボルト外しをするために、あの豆ブーツとまた格闘しなければならない。

コメント

シフトレバーオーバーホール

2018-08-14 20:50:26 | 
今乗っている車の走行距離が16万kmを超えたが、まだまだ元気であと更に10万km以上は乗れそうな感じがする。
もっとも海外に輸出された日本製の中古車は30万kmとか40万km以上も使用されるという。
防錆力が向上した今の車は、ボディやシャーシが腐食してダメにならなければ、あとは消耗部品をしかるべき時期に交換してメンテナンスをしっかりやっていけば、30万kmでも40万kmでも使用に耐える性能を持っている。
エンジンやミッションなどの重要部品はオイル交換をきちんと守り、むちゃな操作(例えばレッドゾーンまで回すとか)さえしなければ壊れることは無い。

消耗部品とは、エンジンオイル、ミッションオイル、デフオイル、クーラントをはじめ、オイルシールやガスケット類、タイミングベルトなどのベルト類、燃料フィルター、ゴムホース類、マウント類、点火プラグ、プラグコード、ウォーターポンブ、マフラーなどである。
オルタネーターも10万kmを超えたらオーバーホールするか、リビルド品に交換した方がいい。
むかし林道に行った帰りに、オルタネーターのベアリングが焼き付いて固着し、走行不能となってしまったことがあった。
車をレッカー車で運んでもらい、自分はホテルに泊まらざる得なくなり、痛い出費となった。
この時オルタネーターをリビルド品に交換したが、交換して数か月で今度はウォーターポンプから水漏れが発生し、これも交換する羽目となった。
オルタネータとウォーターポンプを駆動するベルトは共通なのだが、オルターネータ交換時にベルトをきつく締めすぎたのかもしれない。
タイミングベルトはたいてい10万kmで交換するが、この時に一緒にウォーターポンプも交換してしまった方が工賃は安くて済む。
(私は別々に交換したが)

タイミングベルトやウォーターポンプは素人がそう簡単に交換できるものではないが、クーラント、ミッションオイル、点火プラグや燃料フィルターは自分でも交換したことがある。
ミッションオイルは注入用の専用ポンプを以前持っていたが、2年半前の引っ越しの際に捨ててしまった。
燃料フィルターは比較的に簡単に交換できるが、フィルターの両側とガソリンの配管との間に挿入するガスケット(アルミ製)を新品に交換せず再使用したら、そこからガソリンが漏れていることに気付き、旅先でディーラーに銅製のワッシャを急遽入れてもらったことがあった。
素人のメンテはこういうことがあるから怖い。
しかし交換をプロに頼むとかなりの出費になるのが痛い。
そこで自分で交換できるものは自分でやってしまおう、ということになる。
交換作業もやってみると意外に楽しいものだ。
こういう消耗パーツは駄目になってから交換するのではなく、しかるべき交換時期に来たら交換するのが鉄則だ。
先のオルタネータベアリング固着のような事態が起きる前に交換しておいた方が、長い目でみたら車の寿命を延ばせるのではないかと思う。
要は、壊れてから交換するのでは壊れる前に交換しておく、ということである。

今日交換した消耗部品はシフトレバーの根元にあるスペーサー類だ。
このスペーサー類が破砕するとシフトレバーを支えきれなくなり、レバーがグニャグニャになってしまう。
今現在シフトレバーは特段不具合を感じていないが、今のうちに交換しておくことにした。

購入したオーバーホール用キット。
交換部品とグリスが袋詰めされている。



グリスの量が少ないのが気になる。

今日の夕方5時。
暑さが引いた時間を見計らって作業に取り掛かった。
交換前の状態。



まずはシフトレバー周辺のカバー類を外す。
下の写真は先日取り付けた社外品のシフトレバーブーツカバー(合成皮革製)だ。



これをとフロアカバーがはがす。

フロアカバーを外した状態



10mmのソケットレンチで4本のボルトを外す。



ある程度緩んだら、ソケットだけで手で回した方が速い。



シフトノブを外さないとブーツカバーは取れない。。



外したシフトレバーブーツ。



裏面は台所の流しの円形のゴムマットみたいだ(あるいは昔の新幹線のトイレで見かけたもの?に似ている)。



ブーツカバーとレバーのシャフトが接する部分に潤滑剤(CRE556)を塗布しないと抜けづらい。

シフトレバーブーツを外したら、シフトレバーの根元に円形のじゃばらのブーツが現れた。





このブーツも外さなければならない。
ところがこのブーツを取り外すのが大変だった。
シフトレバーのシャフトが段差となっており、ブーツの穴の径が根元の細いシャフトの径に合わせてあるので、段差から上側に抜けていかないのだ。
CRE556を大量にぶっかけて、この穴を拡げようとやっきになる。



しかしこの穴周辺のゴムが意外に硬く、穴が拡がってくれないのだ。
手に油が付いてすべってなかなか上手くいかない。
もうどうでもいいから、こいつをひっぱがしてやれ、という気持ちになり、下側からめくりあげるようにして引っ張り上げたら、穴の一部が段差の上側に乗っかってくれた。
反対側も乗っかるようにブーツを引っ張りあげたらやっとブーツが太い径のシャフトまで上がってきてくれた。
シャフトにCRE556をスプレーして、ブーツを引き抜く。



こういう、剥がし方のコツを商品の説明書に入れて欲しいものだ。

ブーツをひっぱがしたら、ミッションの上部が見えてきた。



シフトレバーの根元に円盤が3本のボルトで固定されている。



この円盤とシャフトとの隙間に黒くなったグリースが大量にはみ出している。
この円盤を固定しているボルトをラチェットレンチで取り外す。



ボルトを外したところ。



円盤を外したら、シフトレバーを引き抜くことが出来る。



オレンジ色のは、シーリング材を塗布した跡であろう。
水没しても水が浸入しないようにしているのか。

引き抜いたシフトレバー。円球の上にゴム製のカラーとスペーサーがはめられている。



外したカラーとスペーサー(金属製)。グリースが大量に付着している。
しかし意外にもこれらは破断も劣化もしていなかった。



ホールにはシフトレバー下部を支えるゴム製のカラーが見える。



これも交換する。
交換するためには、12mmの六角ボルトを外す必要がある。



このボルトを外すためにまず下のめがねレンチで試したが、隙間が狭いためにボルトが回せない。



そこで下のラチェットレンチを使うことに。



ボルトは固く締っていた。かなり力を入れないと外れない。

ボルトを外したところ。



外した下側のカラー。マイナスドライバーでほじらないと取り外せなかった。



これも劣化していなかった。
上側も下側もこのカラー(純正品)には切り欠きがあった。
この切り欠きの位置を誤って取り付けると何か影響が出るのかもしれない。

下側のカラーを取っぱらったところ。



新品の交換用カラー。
上下共通。純正品は上側のカラーの方が高さが高い。



外したボルトと交換用ボルト。



波形スプリング。



金属製のスペーサー。上側のカラーと波形スプリングとの間に挿入する。高さ調整のためのパーツか?。



下側のカラーにグリースを塗布しホールにはめ込み、ボルトを締める。



上側のカラーとシフトレバーの下側にグリースを塗布して、スペーサーと波形スプリングと一緒にシャフトに通して、はめ込む。



用意されたグリースの量が少ない。
こんな量で足りるのか?。
カラーとカラーとシャフトの接触部分程度の量しかない。
なので、シャフト下部の部分は元々付着していたグリースを再使用することにした。
それでも足りないような気がして、一抹の不安を残す。

円盤を載せて3本のボルトで固定する。
その際、波形スプリングの位置が偏らないように注意する。(写真を撮り忘れた)

ブーツを元通りに装着する。





シフトレバーノブをねじ込む。



フロアカバーを敷き、完成。(合成皮革製のブーツカバーを取り付けるのを忘れた)



試乗して、シフトに異常を感じないか確認する。
コメント

四時川林道を走る(1)

2018-08-13 20:49:04 | 林道
この夏休みに林道へ行ってみようと考えていた。
車に乗り始めてからずっと小型の四輪駆動車に乗ってきた。
30代前半によく林道に行った。
今から20年近く前のことだ。
30代後半になって林道へ行かなくなってしまった。
この頃から仕事が忙しくなり、ずっと長い間休日出勤の多い日々を過ごしてきた。
長時間労働が林道ツーリングへの情熱を冷ましてしまったのか。

今年の2月末からマンドリンオーケストラの大規模演奏会の練習が始まったが、その間に時折、林道に行ってみたいな、と思うようになった。
何故林道へ行きたいのか。
車の運転が好きなこともあるが、林道は、非日常、異次元の風景、空気を感じさせてくれるからだ。
舗装された林道は別として、未舗装の林道は人工物の無い、自然そのものを味わうことができる。
であれば登山でもいいではないかと、という考えもあるだろうが、登山は人がたくさん来る。
人のいない自然豊かな場所が好きな人にとって、林道は最高の環境を提供してくれる。
林道とは、自然豊かな場所で孤独感を感じつつ、自然が放出するエネルギーを浴びることのできる唯一の場所なのだ。
林道の走りかたの一つとして、廃道を荒らしながら走る走り方があるが、このような走りかたをする人は自然に興味の無い人だ。
すなわち四輪駆動者の性能を試し、それに興じることが目的の人である。
だから自然を荒らしても何とも思わない。
廃道とは自然の宿命である。
廃道は荒らされることを望んでいない。
廃道は時の経過とともに自然に帰ることを待ち望んでいる。
だから決して荒らしてはならないのである。

今日行ってきたのは、福島県と茨城県、栃木県との県境近くにある「四時川林道」という林道だ。
20年近く前に行こうと計画して実現しなかったルートだ。
今日、その林道へ行ってきたのである。

この夏休みの天候は不安定だ。
今日の朝、もし天気が良く、かつ早くに目が覚めたら行ってみようか、というくらいの気持ちだったので、特段、念入りな準備をしていなかった。
今日の朝、6時10分前に目が覚めた。
カーテンを開けると、晴天ではなかったが、明るい曇り空だったので、行ってみようと決断した。

6時40分出発。
出発前にエンジンオイルの量を確認。
レベルゲージのLOW近くまで減っていたので、オイルを補充する。
高速は圏央道から入った。
渋滞は無かったが、結構車は多かった。
つくばJCで常磐自動車道に入り、いわき勿来ICで降りる。
所要時間2時間半弱くらいだったか。

高速を降りて林道への入り口に向かったが、入り口がなかなか見つからない。
またガソリンを入れようとスタンドを探したけど無い。
とても辺鄙な所だ。
ガイドブックを見ながら、入口の見当を付けて走るが、見つからず、しばらく走っているとセブンイレブンが見えてきたのでまずは駐車場に車を止めて位置を確認する。
車のクーラーが故障しているので、社内は灼熱地獄だ。
スマホからバッテリー加熱の警告音が鳴り始めたので、セブンイレブンでペットボトル飲料を3本買って、そのボトルを入れた袋の中にスマホを入れて熱さましする。

まずは懸念事項を払拭させる必要があった。
セブンイレブンの店員にこの近くにガソリンスタンドはないか訊ねたところ、5分くらいの所にあるとのこと。
レシートの裏に簡単な道順を書いてくれた。
途中迷ったが、ほどなくしてガソリンスタンドを発見。ガソリンを満タンにする。
これでまずはほっとした。
林道に入る直前にガソリンを満タンにすることは鉄則である。
道に迷ったことがいい方向に導いてくれた。
ガソリンを入れないで走ろうとしていたので、今から思えば運が良かった。

ガイドブックの略図を良く見て、林道の入口を探す。
最初に走ろうと考えていた、「林道長沢線」はロープが張られており、通行禁止となっていた。



「林道四時川目兼線」の入口も分かりづらかった。
公民館の直ぐ脇の細い道から入っていくのだが、標識は無い。
この公民館も表札等が無いので、目印の公民館であることに気付くのに時間を要した。

公民館の脇道を進んでいくと道は次第に細く、勾配は急な上り坂に変わり、途中から道はダートに変わっていた。
これで入った道が間違いなことを確信できた。

20年近くのブランクがあって久しぶりの林道。心が弾む。
この「林道四時川目兼線」は進むにつれて道幅は小型四輪駆動車1台分ほどの道幅になり、勾配も急になってきたが、ギアを4WDに切り替えるほどでは無かった。















空気がひんやりして涼しい。
季節が秋だともっと自然を満喫できるに違いない。





朽ち果てた標識。林道目兼線と書いてある。





途中、「仏具山」への分岐点に出くわす。



仏具山への登山道へ通じるルートだ。
ガイドブックには「林道横川仏具線」とある。
ちょっと迷ったが入ってみることにした。
このルートに入って見たら、結構厳しいルートであることに気付いた。
まず道幅が狭い。
小型四輪駆動車1台がやっと入れる幅で、両脇は背の高い雑草や木の枝が伸びてきて、車体を容赦なく擦り付ける。
また勾配がかなりきつく、4WDでないと厳しい。さっきの分岐点で4WDに切り替えておいて正解だった。
不安感を感じながらしばらく進んでいくと、道が大きく地割れしている箇所が何か所も出てきた。
この地割れにハンドルをとられてスタックしたら大変だ。
やけくそになってアクセルを吹かす。
下手にスピードを落とすとこの溝にはまってしまうからだ。
対向車が万が一来たらヤバイと思ったが、1台の車も1人の人間も出くわすことはなかった。
この荒れた林道に好き好んでくる人はいなかったようである。
こういう所に来るもの好きは私だけなのかと一瞬頭をよぎった。
このルートの頂上まで登りきったとき、安堵感が出てきた。
下った所に分岐点があった。
標識がわかりづらい。



左の方に行ってみたら行き止まりだった。
変電所のような建物があった。



右側は下りだ。



この下りを行ってみることにした。
かなりの急こう配で、大きな石が散乱してあり、結構神経を使った。
途中、林の中の美しい木漏れ日を見た。



写真では分からないが、こういう自然そのものの美しい景観が林道で見られる。
下りの林道は部分的に舗装されていた。
林道の終点は国道289号線だった。
この林道も1台の車、1人の人間も出くわさなかった。

ここから次の林道、「林道弥太郎線」→「林道藤の木沢線」→「四時川林道」を目指す。
国道289号線の沿いの水力発電所から入っていく道、四時川渓谷への道から入っていくのであるが、この道の入り口が分かりづらく、何度も迷う。
「四時川渓谷」という標識はあるのだが、その先に標識が無い。
ここではないかという道に入ってみたら「通行止め」とある。
引換してまた何回が試行錯誤の運転を繰り返し、今度は間違いないだろと思った道に入ったら、行き止まりだった。
また引き返して、今度はこの道に違いないと確信(スマホのナビがあったから)した道に入ったら、さっきの「通行止め」の標識のある場所にまた行ってしまうという愚行をおかした。

仕方ないので、別ルートを探した。
ガイドブックを見ると、辺栗トンネルを過ぎたあたりに「江尻横川線」という舗装の林道から入っていけることを確認。
この「江尻横川線」と思われる林道んへ入っていった。







途中発電所の建物の付近で分岐点に出くわす。



朽ち果てた「林道弥太郎線」の標識を発見。
案内板は殆ど役に立たない。







途中仏具山へのルートを示す標識を発見。



この「林道弥太郎線」は比較的走りやすい。
途中、「林道藤の木沢線」→「四時川林道」に通じるルートに出くわすはずだったが、入り口を発見できなかった。
そのまま進んでみる。





T字路にぶつかる。左方面は通行止めだった。



やむなく右側に行ってみると、小川町に抜ける道であることが判明。
「林道藤の木沢線」→「四時川林道」に通じるルートを見失い、通り越してしまったことに気付く。
引き返そうと思ったが、丁度その時、雨が降り出した。
雨脚がだんだん強まってきたので、今日の所は、「林道藤の木沢線」→「四時川林道」の走破は断念した。

県道27号線から国道349号線を経由し、国道289号線に戻ったあたりから物凄いスコールに。
ちょっと心残りはあったが、今日の林道ツーリングはこれでいったん終わりにし、帰路につくことにした。

国道289号線から国道118号線に入り、コンビニで巻きずしを買って食べた。
国道118号線から県道60号線に入り、国道4号線を目指す。



この県道60号線は殆ど車がいなく快適だった。
最初は道幅が広いが、だんだん登りにつれて道幅が狭くなり、急こう配となる。
頂上から下りにに入ったあたりから雨脚が弱まり、小雨となったので左右の窓を開け放つ。
涼しい風が社内に入ってくる。
「最高に気持ちいい!!」
クーラーの故障なんか何の影響もなかった。
林道はクーラー無、窓全開が一番いい。
但し今回はアブが何度も車内に入ってきてうるさかった。
もっとも林道走行のスリルと戦っていたので、アブが襲ってくるなんかまったく気にならなかったが。

国道4号線に出た時はさすがにほっとした。
家に着いたのは夜の8時頃。
さすがに疲れた。
14時間連続運転。
総走行距離約420km。

今回走破できなかった「林道藤の木沢線」→「四時川林道」は後日行く予定だ。
秋がいいかな。


コメント

思い出の街を訪れる

2018-08-12 21:07:23 | その他
今日、思い出の町を訪れてきた。
そこは私が就職で東京に出てきて、28まで5年間過ごした街である。
思い出といっても楽しかった思い出では無い。
実に暗く、苦しかった思い出しかない。東京砂漠の暗黒の記憶だ。
その思い出の街を訪れたのである。

その街はJR京浜東北線蒲田駅から東急線に乗り換え2駅目にある。
この駅から歩いて12,3分の所に、かつて勤め先の独身寮があった。
大学を卒業後、まず配属されたのが東京の本社だった。
入社式の前日、羽田から直接この本社へ出向き、この寮に住む女性社員が一緒に寮まで連れて行ってくれたのを今でも覚えている。
東京大田区にあるこの寮は男子寮と女子寮の2棟があり、古い2階建ての建物だった。
まかない付きで共同の風呂とトイレ、部屋は6畳か8畳だった。
各部屋の外にプレートがあり、5本の釘が打ち付けてあった。
この部屋に、高度成長期の頃は5人から6人の金の卵たちが詰め込まれていたという。
私がこの寮に入ったときは既に無くなっていたが、寮のすぐそばに工場があったのである。
その工場は昭和40年代に関東某県に移転した。

とにかく古い寮だった。
陽の当たらないこの暗い部屋で5年間を過ごした。
28歳のとき、この寮を取り壊すことになり、出ていかざるを得なくなった時、丁度関東某県の工場に転勤となったのである。
この工場にはついこの前まで26年間勤務した。
この寮が取り壊された後、その敷地は駐車場になった。
30歳過ぎのときに、一度この寮の跡地を見に行った。
寮の鉄の門と表札のみが残され、あとは全て無くなっていた。
でも表札が残っていたのは意外だった。
〇〇株式会社〇〇寮と記載されていた表札である。

今日、20数年振りにこの地を訪れた。
京浜東北線の快速に乗る。
東京を出ると浜松町までノンストップとなる。
しかし私の記憶が正しければ、当時は田町までノンストップだったと思う。
今日乗った列車は蒲田止まりだった。

蒲田駅で降りると、駅直結の東急プラザに寄った。
会社帰りによくこのデパートに立ち寄り、本屋で本を買ったり、衣料品を買ったりした。
安くて庶民的なデパートだった。
衣料品は今はユニクロの売り場に変わっていた。
本屋は昔のままだった。懐かしい。
蒲田駅の外は繁華街だ。
就職して初めてこの蒲田駅近くの繁華街に行った時、なんて臭いところだと思った。
この臭い繁華街で、松屋に入って定食を食べたのである。

東急プラザを出ると、すぐに東急線の改札がある。
ここから2つの路線が出ていた。
東急目蒲線と東急池上線である。
寮は東急目蒲線の2つ目の駅で降りる。
東急目蒲線に乗ろうとして左側のホームに止まっている電車の正面のプレートを見て驚いた。
「目黒」と書いていないではないか。「多摩川」と書いてある。
何で?と思って、自動券売機の上に掲げられている路線図を見た。
目蒲線はどこにも無かった。
代わりに「多摩川線」と記載されていた。



下の写真は池上線。



いつの間にか、路線が変わっていたのだ。
目蒲線は無くなっていた。





私が寮から通勤していた頃は未だ緑色の古い車両の電車が走っていた。
夏は冷房が入らず、扇風機だけだった。
速度も遅かった。
この目蒲線に乗務する新人運転手が、指導役に付き添われて、蒲田駅で「パンタ~、良し!」と大きな声で指差し呼称している光景を何度か目にした。
運転席に入ると、「〇〇、良し!」、「□□、良し!」、「△△、良し!」と、凄い大きな声で機関銃のように声を張り上げていたのを思い出す。まるで昔の軍隊式の教育だ。

当時、この目蒲線で酔っぱらって寝込んでしまい、蒲田・目黒間を2往復してしまったことがあったのを思いだした。
目蒲線ならず多摩川線に乗って、2つ目の駅で降りる。





駅舎は変わっていなかった。
改札を出る前に確か反対側のホームに渡るための踏切があったはずだが、今は無かった。
改札を出てすぐ左側にこ汚い立ち食いそばやがあったが、無くなっていた。

改札を出てすぐ右に曲がると踏切があり、踏切を渡るとラーメン屋があるはずだ。
このラーメン屋はよく通った。
週末は殆どこのラーメン屋で晩飯を食べた。
よく食べたのがみそバターラーメンと餃子のセットと生姜焼き定食。
店員は3人。
50過ぎくらいの縮れ髪のおじさんと、30代後半と思われるイケメンで優しい男と、怖くて人間嫌いな目つきの悪い男の3人でやっていた。
寮の先輩に連れられて初めてこの店に入った時のことを思い出した。
汚い店で、席はカウンターのみ。
初めて食べたのはワンタンめんだった。
先輩はマーボーナス定食を注文した。
3人の店員の中で、イケメンの目の優しい店員がいつも丁寧に「ありがとうございました」と言ってくれた。
その丁寧なあいさつが今でも記憶に残っている。
この店は数年後にリニューアルし、4人掛けのテーブル席も2つ出来た。

果たしてこのラーメン屋が残っているのか。
踏切を渡って左側を見たら、何とあった。
しぶとく生き残っていた。
店も全く変わっていない。



寮までは駅の改札を出て左側に曲がってすぐの商店街をまっすぐ行ったところにあった。



この商店街の入り口の手前にそば屋があった。
古いそば屋で、70過ぎくらいのおとなしい老人が一人で店をやっていた。
なんせ一人でやっているので、注文してから食べ物が出てくるまでとても長かった。
その長さに耐えられず、文句を言う客もいた。
このそば屋では「天ざる」をよく注文した。
贅沢なご馳走だった。当時で千円くらいだったか。
この天ざるの天ぷらがとてもおいしかかった。
今日、このそば屋で天ざるを食べようと思っていた。
しかし、このそば屋はどこにも見当たらなかった。

ちょっと落胆したが、商店街をそのまま進んで行った。
しばらくすると懐かしい店に遭遇した。
金魚屋さんである。



何も変わっていなかった。
この金魚屋の斜め向かいに酒屋があった。



この酒屋でよくエビスビールを買った。
そして正月には、岡山県の地酒、「加茂緑」という銘柄の樽酒を買って飲んだ。
この樽酒が実にうまかった。
今日この酒屋に入ってみた。
当時は40代半ばくらいの主人と、30代後半くらの奥さんが店をやっていた。
70歳すぎくらいの店主と思われる方が店にいた。
まず間違いなく、当時この店にいた主人である。
「加茂緑」はないかと聞いた。
今は取り扱っていないと言われた。
「何故?」 理由はあえて聞かなかった。
福島の酒蔵の原酒を貯蔵したタンクが2つ置いてあった。
試飲させてもらった。だけど値段が高い。
試飲だけで店を後にした。

商店街の中ほどに神社がある。





一度も行ったっことが無い。

この神社の付近に、らあじゃん亭という小さな中華料理店があったはずだ。
この店もよく行った。
らあじゃん麺というちょっと辛い独特のラーメンをよく食べた。
この店は無くなっていた。

そしてこの店も一度も入ったことは無いが、中華料理屋があった。



何も変わっていない。
当時、この店の前で、小さな女の子とこの店の店員とがよく戯れていたのを思い出す。

この店の先に銭湯があった。
寮の風呂は10時までだったので、帰りが遅くなったときはこの銭湯をよく利用した・



この先にパン屋があった。



とりたてておいしい焼き立てのパンがあったわけではない。
しかし当時の私はこのパンが好きだった。
このパン屋のパンをたくさん買って、当時練馬に住んでいた姉の家に遊びに行ったことがあった。
このパン屋もしぶとく生き残っていた。

この先で商店街は終わる。



先述した店以外にも無くなってしまった店があった。
理髪店や本屋、レンタルビデオショップ、たけちゃんという名前の立ち飲み屋などがそうだ。

商店街が終って道路を渡ってすぐのところに、多摩川というそば屋があったが、このそば屋は変わらない店構えで残っていた。



このそば屋にもよく行った。
なべ焼きうどんをよく注文した。
北海道のなべ焼きうどんとは違っていた。

このそば屋の並びに、デイリーヤマザキがあったが別の店に変わっていた。
このデイリーヤマザキで休日の朝食べる、カップラーメン+ゆで卵をよく買った。
驚いたのはこの旧デイリーヤマザキ前で、東急バスが停留所で止まったことだった。
当時はこの狭い道でバスが走っているのは見たことが無い。
このバスを撮ろうカメラのシャッターを押したら、何とSDカードがいっぱいになってしまって撮影できなかった。

このデイリーヤマザキから右に入る道にまっすぐ行って突き当りが寮の入り口だ。
寮の跡地が駐車場となっているはずだ。
寮の手前がタクシー会社の車庫。
この車庫は当時と全く変わっていなかった。
古くて、超おんぼろの車庫。
スマホで写真を撮れることに気付いた。



この車庫の斜め向かいに区民センターがある。
この区民センターも全く変わっていなかった。
この区民センターの隣が寮だった。
門と表札は見えない。無くなっていた。
しかし最も驚いたのは、駐車場だとばっかり思っていたのに、何と建物が建っているではないか。



大型の建物、老人ホームだった。
土地を老人ホームに売却したとは一度も聞いていなかった。
これは予想外だった。

寮の隣に中小企業の工場があったが、これも無くなっていた。代わりに4階建てのマンションが建っていた。

老人ホームのすぐそばに高圧線の鉄塔があった。
そう、思い出した。
この鉄塔が寮の敷地内にあり、この鉄塔のすぐ側は当時の私の部屋だったのだ。



寮のすぐ裏に高層の都営住宅がある。



塗り替えたのか。昔はもっと汚らしい灰色だったはずだ。
この都営住宅が建つ前に、勤め先の会社の工場があった。

寮から、5分くらい歩くと多摩川の河川敷に出る。
多摩川に行く途中に清掃工場があった。





商店街から朝、私服を着た清掃工場の職員たちが通勤で歩いてきたのを思い出す。

多摩川の河川敷に行ってみた。





心が辛くてどうしようもない時、夜、この河川敷によく行った。
夜風にあたりながら、しばらく佇んでいたものだ。

元来た道を引き返す。
この路地の突き当りが寮の門だった。



東急線の駅近くまで来て、そうだ、あのしぶとく生き残ったラーメン屋に入って昔懐かしいメニューを食べようと思い立った。
店の前まで行った。
何と準備中だった。
ドア越しに中を覗いた。
あのあの懐かしい、店員と思われる人が中にいた。
目つきの悪い怖い店員はいなかった。
縮れ毛の店員とイケメンの優しい店員と思われる2人がいた。
直感であの当時の店員だと感じた。
2人とも年を取っていた。

近くのマルエツで時間を潰す。
5時になって店に行ってみたら、まだ準備中だった。
マルエツに戻り、また30分時間を潰す。
5時半過ぎに行ってみたら店は再開していた。
店に入ると店員は2人いた。
縮れ毛の店員はいなかったが、イケメンの優しい店員と思われる人と、30代後半くらいの店員がいた。
カウンター席に座り、メニューを眺める。
みそバターラーメンにしようかと思ったが、生姜焼き定食にした。
注文しようとしたとき、何とあのイケメンの優しい目の店員と思われる店員が私に会釈したのだ。
もしかして私のことを覚えていたのか?。
生姜焼き定食を注文してから、このイケメンの店員を本人に悟られないように観察した。
やはりあの当時の店員に間違いなかった。
年の頃は70ぐらいか。
お互いに年を取ったが、この店員の面影は当時と全く変わっていなかった。優しい目。

注文した生姜焼き定食が出てきた。
凄いボリュームだ。しかもうまい!。

米一粒残すことなく、全てたいらげた。
コップの水を飲み、立ち上がった。
「ごちそうさま」という言葉が出ていた。
私が今まで飲食店で「ごちそうさま」なんて言ったことは殆ど記憶にない。
そしたら、あの当時の丁寧な「ありがとうございました」というあいさつが帰ってきた。
やはりあのときの店員に間違いない。
年を取ったせいか、声は小さくなっていたが、あの時の店員に間違いなかった。




コメント (2)