緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

作詩:鶴見正夫 作曲:荻久保和明 「IN TERRA PAX――地に平和を より OH MY SOLDIER」を聴く

2016-06-12 00:26:42 | 合唱
平成4年度のNコン全国大会高等学校の部の録音を聴いていたら、いい合唱曲にめぐりあった。
詩:鶴見正夫 作曲:荻久保和明 「IN TERRA PAX――地に平和を より OH MY SOLDIER」という曲だ。
演奏者は大阪府立淀川工業高等学校。

特徴的なピアノのアルペジオで始まる。
"OH MY SOLDIER"は「戦争で散った世界中の無数の若者の命へのレクィエム」ということらしい。

しかし悲しくも美しい曲だ。
こんなにも聴く者の心に訴えかけるものなのか。

この曲を聴くと2度と戦争はしてはいけない思いに駆られる。

「Oh my soldier かえらぬいのち
Oh my soldier 言葉だけがかえる」

Youtubeで大阪府立淀川工業高等学校の演奏を見つけた。
とても素晴らしい演奏。
必聴だ。

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アルド・チッコリーニ演奏 ベートーヴェン ピアノソナタ第31番を聴く

2016-06-11 23:45:56 | ピアノ
私はピアノ曲が好きなのであるが、ピアノの曲の中でもとりわけベートーヴェンのピアノソナタが好きで、これまで数多くの演奏者の演奏を聴き比べしてきた。
ベートーヴェンのピアノソナタは全部で32曲あるが、全曲録音した演奏家も少なからずいる。

全曲録音の演奏にもピンからキリまであるが、私は演奏の良し悪しを判断するのに、いわゆる三大ソナタと言われる「月光」、「悲愴」、「熱情」の出来よりも、第31番、第32番の2曲を聴いて判断している。
この第31番、第32番はベートーヴェンの晩年の作品であるが、精神的に物凄く深い内容を持っており、生半可な音楽解釈では聴くに堪えない。
いや音楽解釈のレベルではなく、演奏者の人生体験の深さ、全人格的な内容を問われる。

私はベートーヴェンのピアノソナタの中でこの第31番、第32番の演奏を多数聴いてきた。
しかしこの曲ほど自分の心に染み入る曲は無い。
外見から分からない人間の精神的苦悩。
これほど人から理解されないものはないであろう。
癌で死んでいく人は多くの人から同情され、映画や小説にもなる。
しかし精神的に苦しみ自殺する人は、たいていは弱い精神的弱者、人生の敗北者としてしか見られない。

しかし精神的苦悩はそと見からは分からなくても音楽をとおして理解できる。
音楽には苦悩のまま終わるものもあるが、苦悩を乗り越えて到達した心境を音楽を通して芸術的高みまで到達させたものがある。

今日聴いたアルド・チッコリーニ(Aldo Ciccolini, 1925 – 2015)演奏のベートーヴェンのピアノソナタ第31番(録音1996年、71歳)は、聴く前はあまり期待していたなかったが、なかなかどうして、意外にも凄い演奏家であった。



技巧を前面に出す演奏家ではないが、しかし 71歳の演奏とは思えない技巧だ。
驚くことにその技巧は、精巧というより、堅牢な土台に根差し、何十年もの浸食に耐えてゆるぎない力強さを獲得したもののように思われるのだ。
物には派手さは無く、地味ではあるが、存在感を放っているものがあるが、 チッコリーニの演奏はそのようなものを感じる。

表面的に華やかで、精巧なもの、食品、音楽、演奏はたくさんあるが、一見地味であるが凄い内容をもつものがある。
たいては華やかで、最初のインパクトの強いものに惹かれ凄いと評価することが多い。
私もそのようなことになることが多々あるが、やはり、本質を持つものを選択し、評価出来るようにしたいものだ。
音楽や芸術に「偽物」と「本物」があるとしたら、やはり「本物」を見つけられるように精進していきたいと思う。

チッコリーニの演奏はさらっとしているようで、よく聴いてみるとそうでもない。地味なようで深いところから強い感情エネルギーが伝わってくる。

第3楽章「嘆きの歌」はどうだろう。
「嘆きの歌」が始まる前の以下の音の連続の部分。マリヤ・グリンベルクの1962年の録音盤と似たような音使いであるが、無造作であるようでそうではない。



マリヤ・グリンベルクの解釈がチッコリーニの演奏を通して理解できる。
「嘆きの歌」は意図的な感情に溺れず進んでいくが、下記の音が素晴らしい。芯の強い音だ。



フーガの低音が重層的でいい。この部分の低音が重層的でないとこの曲の持つ魅力が伝わってこない。
2度目のフーガから終結部の速度が次第に速まっていく所から最後までが聴きもの。
正直驚いた。
最後の低音部の音の分離が明瞭だったからだ。
この部分の音の分離を明瞭に示せる演奏者はわずかである。



そして最後の上昇音階は速度を緩めることなく、弾き切った。凄い。



ここが最大のポイント。
ここを緩めてしまう演奏家が多いが、ここは決して緩めてはならない。
緩めてはならない理由がある。
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ギター弦 ハナバッハ(黄)を試す

2016-06-04 22:28:06 | ギター
今弾いている古い国産ギター(1972年製)の12F上の弦高は、6弦で4.5mm、1弦で3.5mmである。
今のギターの殆どは、6弦4.0mm以下、1弦3.0mm以下である。
これはタッチがアル・アイレ中心の軽いタッチとなり、弦高が低くても弦がビリつかなくなったからであろう。
しかし1970年代のギターはかなり弦高が高い。
ホセ・ラミレスⅢ世に至っては、6弦5.5mm、1弦3.5mmである。
昔はタッチの強い弾き方が主流だったため、その要求に応えるために弦高を高くセットしていたのであろう。

冒頭の古い国産ギターは弦の張力も強い楽器なので、弦高が高いと左手の押さえはかなりきつい。
ミスタッチや音のビリつきが発生しやすい。
これまで弦はオーガスチンの赤かプロ・アルテのノーマルを張ってきたが、楽器そのものの張力が強めなので、弦の張力が標準でも押さえは厳しい。年齢とともに筋力は少しづつ衰えていくものだ。

では弦高を下げて弾きやすくすればいいのではないか、という選択もある。
しかし、サドルを削って弦高を低くすると、楽器にもよるが、音が変わってしまうことが多い。
私は先のホセ・ラミレスⅢ世で、低いサドルを自作して交換したことがあるが、音が顕著に変わってしまったので、元に戻したことがある。
ラミレスは意外に弦の張力は強い。
古いラミレスの中古品などで弦の張力が弱くて弾きやすくしているものを見かけることがあるが、大抵サドルを限界まで削っている。しかし肝心の音は、甘いが平面的で張りに欠けている。
それ故に、サドルを削って弾きやすくするという選択は、最後の手段にした方がよいと思う。

では弦高の高いギターを弾きやすくするにはどうしたらよいか、と考えて試してみたのが、張力の弱い弦を張ってみることであった。
クラシック・ギター弦で最も張力の低い弦は、私の知る限りではハナバッハの黄ラベル(スーパー・ローテンション)である。
この弦は、以前、ドメニコーニが絶賛しているのを現代ギター誌の記事で知っていたので、張力が弱くても、弦の鳴りは劣らないのではないか、という期待をこめて、今回試してみることにしたのである。

アマゾンで検索すると、オーガスチンやプロアルテよりもはるかに高額であったが、 ハナバッハの黄ラベルが見つかり早速注文した。
今日それが届き、楽器に張ってみる。
こういう張力の弱い弦は、往々にして弦の伸びが無く、力や輝きが弱い、というイメージがある。
ヤマハの安い弦がそうであったからだ。

しかし今回試してみた ハナバッハの黄ラベルは想像以上の結果であった。
まず音の強さ、輝きはオーガスチンの赤ラベルよりもいいように感じた。これは意外。
また音の伸びは低音は全く問題なく、高音もオーガスチンの赤ラベルに比べてみても殆ど遜色はない。
張力が低い(37.1kg)ので、押絃は若干楽になった。

あとは劣化する速度がどのくらいかだ。
すぐに音が劣化してしまうのであれば、値段が高い分、買い続けることはなかなかできない。
最終評価はしばらく後になりそうだが、張り替えたばっかりの時は想像以上の感触を得ることができた。

ハナバッハの弦を初めて張ったのは、大学生の時。今から30数年前。
青ラベル(ハイテンション)であった。
その時の印象は、ナイロン弦は今のようにクリスタルではなく、白濁した色。
音色はカサカサしており、軽く、腰もない弦であった。1回張っただけでその後使うことは無かった。
10年ほど前に、黒ラベル(ノーマルテンション)と緑ラベル(ローテンション)を試したことがあったが、値段の割にはこれといっていい感触は得られなかった。
しかしこの黄ラベルはいい。

ビニール袋に入れずに、紙の袋1枚に入ったままなので、在庫の回転の速いショップから買わないと、買った時にはすでに劣化していることもあるかもしれない。



【20160606追記】

Tommy様

コメント欄に記載しました、シンプルチップの写真を掲載しました。
注意点として、チップから弦が外れないようにしっかりと固定する必要があります。
私は、1弦を3回、2弦を2回、4弦を2回巻き付けて固定しています。


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三枝成彰作曲 平峯千晶作詞 合唱曲「あしたはどこから」を聴く

2016-06-03 23:34:57 | 合唱
今日は会社の飲み会であったが、帰りのバスで寝過ごし、終点へ。
バス停から歩いて、途中、飲み足りなかったのか、コンビニで酒を買って家で飲む。

Youtubeでフラメンコ、パコ・デ・ルシアの演奏を聴いていたら、関連投稿の中に何度も聴いた合唱曲の映像が目に留まった。

三枝成彰作曲、平峯千晶作詞、「あしたはどこから」であった。
演奏は、福島県立橘高等学校。Nコン全国大会での演奏だ。
早速聴いた。

しかしいつ聴いても感動する。
曲には「陰」と「陽」があるものが少なからずあるが、この曲はその対比が素晴らしい。
とくに「陰」の終わりから、「陽」に移り変わり、「陽」が始まる部分が聴きもの。
この演奏は本当に感動する。

「陰」があるから「陽」が生きる。

私にもかつて「陰」の長い時代があった。
しかし今は概ね「陽」で生きられている。

今から思うと「陰」はつらかったが悪いことではなかった。
この曲の詩を聴き、曲を聴くとそんなことが思い浮かんできた。

「だが
誰も未来をうたわなくても
花はつぼみをほころばすように
眠らない夜のはてには
どこからか、ほのかにあかるく。」



【追記20160626 0:34】
この福島県立橘高等学校の演奏している姿に感動します。
演奏者から物凄い感情エネルギーが伝わってきますね。
ピアノ伴奏の演奏も音が明瞭で好きです。
このような演奏は少ない方だと思うが、これからも探し出していきたい。

【追記20161103】
数か月ぶりに聴きました。
しかし何度聴いても強く感動します。
とくに転調してからの歌声からとても強い感情が湧き起ってきます。
上手く言葉にできないが本当に素晴らしい演奏です。

【追記20170103】
また繰り返し聴かせてもらいました。
本当にすばらしい演奏ですね。
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