緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

マンドリン、購入する。

2015-05-10 20:54:01 | マンドリン合奏
注文していた中古のマンドリンが今日届いた。
ついにマンドリンを始めるのである。
何故マンドリンなのか。
学生時代にマンドリン・オーケストラのギター・パートに所属し、鈴木静一、藤掛廣幸といった作曲家のオリジナ曲を演奏し、その素晴らしい音楽を満喫したが、就職後、マンドリン音楽とは無縁の日々を過ごしてきた。
30代半ばまではマンドリン・オーケストラ曲のことは全くと言っていいほど思い浮かぶことはなかった。
しかしある時、たしか現代ギターGGショップだったと思うが、中央大学マンドリン倶楽部が録音した鈴木静一のCD(フォンテック)見つけ、交響譚詩「火の山」を聴いて学生時代の、夢中で弾いた演奏の思い出が蘇り、これをきっかけに鈴木静一の自主製作CDや、藤掛廣幸のCDを10枚ほど買って聴いた。30代半ばから後半にかけての頃だ。
それからしばらく音楽鑑賞の対象がピアノ曲中心となり、マンドリン・オーケストラ曲からは一旦遠ざかっていた。
去年の秋だった。日曜日のお昼から仕事に出かける直前に、アマディの「東洋の印象」をふと聴きたくなって、Youtubeを検索したら藤掛廣幸のライブ録音がたくさん出てきた。そこで仕事から帰ってきたら聴こうと思い出かけた。
帰宅し、Youtubeのことを思い出し、藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」を聴いた。
この曲は以前藤掛廣幸の事務所から購入したCDで既に聴いていたが、久しぶりに聴いて物凄く感動した。
そして腹を空かした野良犬のようにガツガツとYoutubeのマンドリン・オーケストラ曲を聴きまくったのである。
その後はいくつかの大学のマンドリンクラブの生演奏を聴かせていただいた。
そして日増しに実際にマンドリンを弾いてみたいという気持ちが湧き起ってきたのである。
好きな曲のワン・フレーズでもいいから弾いてみたかった。
ギターに編曲して弾いてみる、という手段も考えたが、ギターとマンドリンは全く別物。マンドリンのために作られた曲はやはりオリジナルのマンドリンで弾かないと満足できない。日増しにマンドリンが欲しいという気持ちがふくらんでいた。
そんなわけで今回マンドリンの購入に至った。
中古品で価格が手ごろなものを探したが、マンドリンはクラシックギターよりもマイナーな楽器。中古楽器のサイトや、ヤフオクで検索してもあまり出品されていない。
古い量産品はかなり安い値段でも買えるが、すぐに飽きが出るだろうと、古い中古品でもいいものがないか探した。
ヤフオクも見たが、現品を直接触れられないというのが最大の難点。わずかばかりの写真で判断するのもリスクが高い。
またヤフオクにあることだが、古いボロボロの楽器を素人がサンディング、再塗装、リニューアルして、高く転売していることもあるので要注意だ。
結局、購入後返品可という条件で某中古ショップから国産の中古品を購入した。店主の好意で価格も店頭価格からかなり下げていただいた。感謝したい。
今日その楽器が届いたが、自分の主観では丁寧な手工品でいい材料を使っている。35年前の製作である。
早速調弦して弾いてみたが、マンドリンは軽いので、ひざの上に乗せても安定しない。すぐに動いてしまう。
そしてフレットとフレットの間が狭い。ギターとはまったく異なる感覚に戸惑う。
ピック(プレクトラム)でトレモロをやろうとしてもなかなか出来ない。
出来ないことだらけであるが、楽しい。
このマンドリンで、いつか藤掛廣幸の「星空のコンチェルト」や「詩的二章より第一章波と貝殻」、鈴木静一の交響譚詩「火の山」を弾けるようになりたいのである。いつになるかわからないが楽しみだ。
問題は基礎をどうやって習得するかだ。基礎を固めるまでレッスンを受けるか、ビデオなどの教材で独習するかだ。ゆっくり考えようと思う。
教本も中古品で「オデルマンドリン教本」というのを買った。




(画像が寝てしまっている。なんで?)
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印象に残る練習曲

2015-05-09 23:18:52 | ギター
何か楽器を始める時、教則本が無いと習得できない。
ギターを初めて弾いたのがフォークギター。中学1年生の時である。
姉がフォークソングに興味を持ち、当時1万8千円のヤマハのギターを買ったのである。
姉はそのヤマハのフォークギターで、外国のフォークソングを弾いていたような気がする。
しばらくして兄が姉の真似をして、そのフォークギターを弾くようになった。姉が兄と楽しそうに練習しているのを見て、私は何か取り残されたような気持ちになり、フォークソングなど全く興味が無かったにもかかわらず、自分も負けじと姉や兄が弾いていないのを見計らって、そのギターで練習することになった。
兄が優越感を持って「どうだ、お前に弾けるか」といった感じで教え出すので、悔しくて、悔しくて。
その時使った教則本が、何といきなりセ-ハ(フォークギターではバレーというらしい)という、複数の弦を人差し指で同時に押さえる奏法が出てきて面喰ってしまった。しかもその和音はFコードだったので、指がちぎれそうに痛くて痛くて、次第にフォークギターを弾く気持ちが失せてきた。
だいたい中学1年生の時は全く音楽に興味がなかったのである。動機は姉や兄から取り残されて一人になってしまうのが嫌だったからである。こんなことでは長続き出来るわけがない。
このヤマハのギターの弦高が高く弾きにくかったことも影響している。
この話は確か以前にも書いた記憶がある。この挫折から数か月後にあるきっかけでクラシックギターにのめり込むことになった。同じギターでもこんなにも違うのかと驚いたものである。

クラシックギターは始めたはいいが、近くに教室は無いし、当時はビデオやDVDも無かった。
学校でクラシックギターを弾ける者は全校生徒で一人もいなかった。
なので独習を余儀なくされたわけであるが、まずは初心者にもわかる教則本が必要だった。
どこで調べたか忘れたが、阿部保夫と中林淳真の初心者用の教本があることを知り、親父に頼んで買ってきてもらった。
阿部保夫の教本は確か「独習者のためのギター教本」というタイトルだったと思う。中林淳真の方は忘れた。これらの教本は今でも実家に置いてある。
2冊買ったが、結局使ったのが阿部保夫の方。
この教則本はとても良かった。独習者の入門用テキストとしては最良のものであろう。
カルカッシやアグアドといったクラシックギターの黄金時代の作曲家の練習曲からいきなり入ることはせず、阿部保夫自身が作曲したやさしい練習曲から始めるように出来ていた。著者自身が作曲した「やさしいワルツ」などは40年経った今でもはっきりとその旋律を覚えている。
ある程度弾けるようになった段階で、ベートーヴェンの「エリーゼのために」やシューマンの「楽しき農夫」など著者自身が編曲した有名なクラシック曲が弾けるように構成されており、これが弾けるようになると何故か自分がとても上手くなったように感じられたのである。

それからまもなくして当時NHK教育テレビで放映されていた「ギターを弾こう」という、クラシックギター独習者のための番組を見るようになった。当時の講師は芳志戸幹雄や鈴木巌であった。この番組は非常に役に立った。また番組の最後に講師が弾く「ミニミニ・コンサート」が楽しみで、その演奏をカセットテープに録音したものである。芳志戸幹雄が弾くアルベニスの「アストゥリアス」や鈴木巌の弾くヴィラ・ロボスの「ショーロス第1番」を聴いてはクラシックギターの難しさに感嘆した。
このNHK「ギターを弾こう」のテキストに載っていた練習曲は、カルカッシ、アグアド、ソルなどの19世紀の作曲家によるものが殆どであったが、その中にはとても印象に残っているものがある。
この「ギターを弾こう」のテキスト2冊を大学のマンドリンクラブの後輩に貸してあげたら、ついに返って来なかった。思い出のある教材だけに惜しい。
また「ギターを弾こう」を見ていた頃に、全音楽譜出版社から出ていた、阿部保夫著「現代奏法によるカルカッシ・ギター教則本」も買った。この教本を買った帰りの列車の中でページを見開いて読んだ光景は今でもはっきり覚えている。
この教則本も大学のマンドリンクラブの後輩に貸してあげたら、ついに戻って来なかった。これも大変惜しい思いだ。大学生にものを貸す=あげる、という公式があるのを心得ておくべきであった。
NHK「ギターを弾こう」は高校3年生くらいまで見ていた。
講師が松田晃演の時であった。生徒の中に40歳くらいの上品な婦人がおり、ある時たまたまこの番組のこの婦人の演奏を見ていた父親が、「綺麗な手をしているねー」と感心して言ったのである。
そしたら、側で水仕事をしていた母親がその発言を聞くやいなやすかざず「こんな女の人は家事もしないで贅沢して苦労もしていないんだから、あたりまえでしょっ!」といきなり怒り出したのである。
突然言われた父親はびっくりしたのかしゅんとなり、小さな声で「ただ言っただけなのにな~」とたじたじになっていたのが面白かった。

さてこれらの教則本や教材から、私が特に印象に残った練習曲を紹介したい。
練習曲の難易度は初級~中級の初めくらいまでに限定する。

まずアグアドのイ短調の練習曲。この練習曲は今でも頻繁に弾く名曲である。短いシンプルな曲だがとても美しくギターを知らない方でも心に残る素晴らしいものだ。



この曲はNHK「ギターを弾こう」で鈴木巌が講師だった時の教材に掲載されていたが、先述のように今このテキストがないので、阿部保夫著「セゴビア奏法による ギター新教本」から転載する。
阿部保夫の教本では、最初の短調の部分に繰り返しが無いが、鈴木巌のテキストでは繰り返しがあった。
この練習曲は「ホセ・ルイス・ゴンサレス ギターテクニックノート」にも掲載されている。pimiの他,pmimの指使いも指定されている。

次にNHK「ギターを弾こう」で鈴木巌が講師だった時の教材に掲載されていた、カルカッシの「カプリチョウ(ニ短調)」。和声が独特で、暗い感じでなかなか魅力のある曲であった。この練習曲もお気に入りの曲として随分弾いた。カルカッシギター教則本(Op.59)の第三部16番目の曲でもある。



カルカッシギター教則本(Op.59)は中学2年生の時に初めて買ったが、最初は技巧練習しかやらず、この教本の練習曲には殆ど手を付けなかった。
高校卒業後大学入学までの春休みの間、基礎から徹底的にやり直そうと決意し、この教則本を最初から本格的に集中的にやった。この練習は非常に効果的で役に立った。今の基礎的な技巧の土台はこの練習があったからこそと言っても過言ではないと思う。
この練習の過程で出会った練習曲の中に、第三部第18番のホ短調の練習曲があった。
6連符の拍と、4分音符、 8分音符の拍の長さがなかなか分からなかった。いい練習曲である。
先の第16番カプリチョウと同様、暗く独特の和声が魅力だ。



大学時代に買ったソルの練習曲Op.60、25曲からなる初級練習曲集の第4番も美し曲だ。
単音のみで和音は使わないシンプルな曲であるが、夜の星空が浮かんでくるような寂しい曲でもある。
今は無くなってしまったが、当時よく楽譜を注文した好楽社のギター・ピースで玖島隆明の素晴らしい運指による。



これもソルの練習曲であるが、中級初めくらいのレベルの練習曲集Op.35の第18番、ホ短調である。
サーインス・デ・ラ・マーサ編の30のソル練習曲集の第1曲目としていきなり出てくる曲である。
この曲を初めて弾いたときまず感じたのは、70年代に聴いたフォークソング、かぐや姫の「神田川」とどこか同じようなフレーズがあったことである。ソルにしてはめずらしい曲想だ。



カルカッシ・ギター教則本(Op.59)と25の練習曲集(Op.60)の間の橋渡し的役目としての位置づけにある、カルカッシの「6つのカプリチオ」の第3番、ホ短調。暗く、また随所で独特の和声が現れる。先のNHK「ギターを弾こう」松田晃演講師の時の美しい手の婦人が弾いていた。



次に中級の練習曲集としてバイブル的存在であるカルカッシの25の練習曲集(Op.60)の第11番、ニ短調である。暗い曲であるが実に美しい。冒頭のアグアドの練習曲とともに最も好きな練習曲の1つだ。
この曲はやさしそうで実はかなり難しい。音価を正確に守り、休符は音を切るためには相当の練習が必要だ。素晴らしい練習曲。



暗い曲ばかり並んだが、明るい曲もある。
カルカッシギター教則本(Op.59)の第二部に出てくるイ長調の明るい曲。天気の良い、気分のいい日に聞こえてきそうな曲。この曲は基礎を徹底的にやり直したときに出会った思い出の曲で、今も時々弾く。



最後にカルカッシの25の練習曲集(Op.60)の第8番、ホ長調。ギターで最も音が開放されやすい特性が活かされた、穏やかな曲。この曲はなかなか味わい深く、カルカッシという作曲家が、教育的な曲づくりの天才と感じられる所以である。


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久しぶりの日本酒

2015-05-05 22:45:47 | グルメ
連休もあと1日となってしまった。
今年の連休は実家に帰省することなく、またどこか旅行に行くわけではなく、だいたいは家でのんびり過ごしている。ブログの更新も増えてしまうわけだ。
数日前の週間天気予報では今日(5日)、天気が崩れると出ていたが、快晴そのもの。空気は乾燥し、暑くもなく、気持ちのいい風の吹く最高の休日であった。しかし夜になると意外に寒い。満月がやけに低い高さでくっきりと表面のクレータがわかるほど大きく見えていた。星もたくさん見えた空気が澄んでいるのであろう。
今日は子供の日であるから、観光地やレジャーランド、都心の駅などは人があふれ返っていたに違いない。
こういう日はどこにもいかず、家でくつろぐ。
布団をベランダに干す。日光をたっぷりあびた布団を枕にしてピアノ曲を聴く。干した後の独特のいい匂いのする布団を枕にしてくつろぐのは至福だ。子供の頃からこういうのが好きであった。学校から家に帰ったら、母親が干したばかりの布団が畳の上においてあって、その布団の上に寝ころびながら黄色い西陽の差し込む窓の風景を眺める。こういうのがとても好きだった。
夕食を終え、今聴いているのはZhu Xiao-Meiという中国上海出身の女流ピアニスト。ベートーヴェンのソナタやバッハのパルティータを聴いたが。いい演奏をする。わりに自分の感覚に合っている。風貌はよく見かける中年のおばさん(ごめんなさい!)といった感じだが、繊細でエレガントな演奏なのだ。こんど紹介しようと思う。

昨日東京武蔵小金井で開催されたマンドリン・コンサートの会場の近くに、輸入雑貨を扱う店があり、時間があったので立ち寄ったら日本酒もおいてあった。全国各地の日本酒が揃えてあり、眺めていると、大型連休の時以外普段は飲まない酒を久しぶりに飲んでみようかという気持ちになり、数多くある銘柄の中から選んだのが、「穏(odayaka)」という名前の福島県郡山市の酒蔵による純米吟醸であった。


(写真の向きがおかしい?)

ラベルに「メロンのような上品な香りと、みずみずしくジューシー味わい」と書いてあったが、なるほどピリピリした感じはなく、べたつきや甘ったるさもなく、上品ですっきりした味だ。いい酒だ。随分久しぶりにおいしい酒を飲んだ。
いつも実家に帰った時によく飲むのは、増毛の「国稀」や新十津川の「金滴」が多い。増毛の国稀酒蔵は実際に酒蔵を見学したことがある。
でも今日飲んだこの「穏」はこれらの酒よりもおいしい。自分の好みに合う酒だ。今度また飲んでみようと思う。
日本酒の銘柄はあまり詳しくないが、スーパーなどでも手に入る有名な酒(越乃寒梅や八海山、久保田など)はまず飲む気になれない。飲むのであれば宣伝をしない、たくさん作らない酒。あと自然に東北の方(新潟ではない)の酒に向いてしまう。自分はやはり東北より北が好きなのであろう。寒いところがいい。

酒を初めて飲んだのは高校卒業後すぐに高校の友達数人とすすきので宴会をやった時だ。友達はすでに酒の味を覚えていたし、タバコも吸っていた。そういえば私の兄も中学からタバコを吸っていて母を困らせていた。
私も大学に入ってすぐにタバコを吸うようになった。しかし23歳の時、すっかりやめた。以来タバコは1本も吸っていない。よく吸ったのがエコー。当時1箱80円。このエコーを下宿の近くの小さなタバコ屋さんで、揚げあんぱんといっしょに買ったものだ。
学生時代は本当にお金がなかった。アルバイトもよくやった。
いよいよタバコを買う金がなくなると、灰皿にたまった吸殻の先をハサミでちょん切って、それを吸うのである。
たまに金のあるとき吸ったのが、ハーフ・アンド・ハーフというタバコ。専門店に行かないと売っていない。このタバコは上手かった。今でも売っているのであろうか。

大学に入ってからコンパという飲み会がさかんにあった。マンドリン・オーケストラ以外にも、音楽とは全く関係ない団体に所属していたので、コンパの数は多かった。3年生になってからはゼミのコンパも加わってアルバイトで稼いだ金は酒代に消えていった。
大学に入ってコンパで酒を浴びるほど飲まされて初めて酔いつぶれたのは1年生の6月末の学園祭の打ち上げであった。
ビール大ジョッキ7、8杯のまされ、2次会で日本酒などを飲まされ、飲み屋のトイレは水びだし、目が回ってしまい、タクシーで先輩に連れられ夜11頃に下宿に着くやいなやトイレかけこみ、そのまま朝日が昇るまでずっと便器に顔を埋めていた。トイレといっても田舎なので汲み取り式である。気分の悪さが何倍にも増幅された。
もう二度とこんな体験をしたくないといっても先輩たちは容赦しなかった。酔いつぶれて先輩にタクシーで下宿まで連れてってもらったはいいけど、降りたとたん、雪の中に放り投げられたこともあった。しかし朝起きたら全然憶えていない。朝起きたら何故か顔が痛くて打撲になっていたので、下宿のおかみさんに聞いたら、先輩らがふざけてあんたを雪の中に放り投げていたわよと。
今まで悪酔いして一番苦しかったのは、ゼミの花見の時であった。5月半ばに大学近くの公園で3、4年生と教官とで桜はもう散ってしまっているものの花見と称して飲み会をやったことがあった。
その時は何故かみんなガブガブとハイペースで酒をのみ、どんちゃん騒ぎとなった。そして4年生の1人が酔いつぶれてゲロを吐き、数人が同じように潰れだした。
わたしも目が回るほど飲んで、お開きになった時には一人で歩けない状態であった。数人に支えられながらやっと駅までたどり着き、列車に乗ったがすかさずトイレに駆け込み、札幌まで1時間近くそのままトイレに入り続けた。
札幌まで着いたはいいが、とても次の列車に乗り換えることが出来ず、ゼミの友達に付き添われながらすかさず駅のトイレに駆け込む。30分経ってもまだ収まる気配はない。友達には悪いから先に帰ってもらって、2時間くらいそのトイレに居続けた。小さなトイレだったので大の方が確か2つしかなく、ひっきりなしにドアをノックする音がおぼろげながら聴こえてきたが、関係なかった。どうでもよかった。
そしてやっと気分の悪さが納まってきて、乗換の列車に乗り込んだが、開放感からか眠ってしまった。眠りから覚めて気が付いたら降りる駅から40分くらい先の駅まで乗り過ごしてしまっていることに気付いた。やむなく反対方向の列車に乗って引き換えし、家の最寄の駅に着いてタクシーに乗った。無事家に着いたが、夕方4時ごろに大学の最寄の駅を出て、7時前には着くところが、10時になってしまった。しばらくして父親から貰った大事なライターが無くなっていることに気付いた。

数年前まで一気飲みというのが若者たちの飲み会の定番だったようだが、急性アルコール中毒で若い命を失うことが問題視されてから、今では大学のコンパでもあまり後輩に酒を無理強いすることは下火となったようだ。
私の学生時代はこういう飲み会が当たり前であったが、今から思うと自分の酒の限界を知ることには役立っても、苦しいだけでいいことは一つも無かったと思う。
だんだん年を取るにつれて酒を飲まなくなった。飲むのであれば、銘柄の違いを楽しんでワインを飲むように飲みたいと思う。
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昭和女子大学・法政大学工学部マンドリン・ギタークラブ ジョイントコンサートを聴く

2015-05-05 01:08:33 | マンドリン合奏
連休もあと残すところ2日となってしまった。束の間の休息である。
しかし今日は何日分もの休息に値する充実したコンサートを聴かせていただいた。
そのコンサートとは、昭和女子大学と法政大学工学部マンドリン・ギタークラブのジョイントコンサートであった。
去年の冬に、法政大学工学部マンドリンクラブの定期演奏会を聴いてから、大学マンドリン・オーケストラやマンドリン・アンサンブルの演奏会を出来るだけ聴きたいと思うようになった。
自分自身が30年前、大学のマンドリン・オーケストラに所属し、マンドリン・オーケストラの曲が好きだということもあるが、大学生の情熱あふれる演奏を聴きたかったからだ。
法政大学工学部を皮切りに、中央大学、立教大学、それから一昨日は東京女子大学の演奏を聴いてきた。

今日のジョイントコンサートは、昨年の法政大学工学部マンドリンクラブの定期演奏会の会場と同じ、JR武蔵小金井駅のすぐ側にある小金井市民交流センター大ホールで行われた。
18時30分の開演であったが、開演の少し前に、部員によるちょっとした余興があった。
想像していない展開に少し驚いたが、面白かった。聴衆に、構えず、気楽に楽しんで聴いて欲しいという、配慮をしてくれているのが伝わってきた。

さてプログラムは、第一部が昭和女子大学の演奏、第二部が法政大学工学部の演奏、第三部が両大学の合同演奏という内容で、曲は宍戸秀明、武藤理恵、藤掛廣幸といった日本人の作曲家によるマンドリンオーケストラのためのオリジナル曲が多かった。
最後の曲は藤掛廣幸の「山河緑照」であった。
各曲についての感想は割愛させていただくとして、今日のこのジョイント・コンサートはとてもリラックスして聴くことができたばかりではなく、いくつかの点で新たな発見を得られた収穫のあるものであった。
まず、演奏者たちがマンドリン合奏曲がとても好きで、演奏することがとても楽しいと感じていると思われる奏者がかなりいたことである。
このような感じは、別に奏者の顔の表情に現れなくても、例えば指揮者を見る眼の真剣さの度合いや、マンドリンやギターのフレットを追う顔の動き、指の動き、リズムに合わせた上体の動きなどを見ることによって、聴き手に伝わってくるものである。
つまり聴き手に音楽を楽しんでもらうには演奏者自らが演奏することが嬉しい、曲の素晴らしさに感動している、その気持ちの高まり、エネルギーが湧いてくる、といった状態になることが重要で、両大学の演奏会に対する基本姿勢はここにあるのではないかという気がした。
もちろん演奏者が楽しむといっても、演奏に対する妥協のない真剣さが前提となることは言うまでもないが、今日の演奏会のために三か月前から練習を開始し、合宿も行って臨んだことは高く評価したいと思う。
演奏会を聴いての満足度は、終わったあとの気持ちの充実度と、演奏前の気持ちからの変化に現れる。実際今日の演奏会では、終わったあとに気持ちが充実しているのを感じ取れた。

今日のジョイント・コンサートを含めていくつかの大学の演奏会を聴いてきて感じることは、大学により独自のカラーがあるということだ。
例えば中央大学は高度な大曲を、管楽器やパーカッションを含めた大編成で臨み、完璧とも言える完成度で観客に披露する。マンドリン音楽に通じた聴き手にとってはまことに聴き応えがある選曲、演奏であるが、聴く際にはかなりの緊張を強いられる。曲中にソロでもあれば奏者のプレッシャーの強さは相当のものであろう。失敗は許されない雰囲気があるからだ。それだけ曲の完成度を求める気持ちが強く伝わってくる。
立教大学も中央大学ほどではないが、管楽器やパーカッションを含めての演奏で、やはりレベルの高いものを目指そうという基本的な方向性が感じられた。両校の過去の生演奏は録音され、CDで発売されていた。
これは過去からの大学の伝統にもよるが、このような演奏会に対する基本的姿勢も重要なことである。
一方、昭和女子大学や法政大学工学部は、大編成の大曲、難曲を目指して、それこそ体育会系の厳しさで演奏に臨むという雰囲気は、今日の演奏会を聴く限りでは感じられなかったが、マンドリン音楽になじみのない聴き手に対しても楽しんでもらったり、興味を感じてもらったり、演奏会そのものを演奏者と聴衆で音楽の素晴らしさを共有していこう、ということを基本的に目指しているように感じられ、このような姿勢を今回新たに発見できたことは私にとって収穫であった。

私の母校のマンドリンクラブは中央大学や立教大学に近い面があるが、夏の演奏旅行では地方の方々に、親しみやすい曲を選び演奏もした。しかし自分自身ではこのような親しみやすい曲で聴き手と楽しみを共有する雰囲気を作り出すことは無かった。

大学にはそれぞれ長い歴史の積み重ねで形成されてきたカラーというものがあり、そのカラーを代々引き継いでいくものだと思う。
今日の昭和女子大学と法政大学工学部の演奏姿勢には今まで気付かなかったものを感じさせてもらった。
今年の冬に両校の定期演奏会があるとのことで、また聴かせてもらいたいと思っている。
また他の大学の演奏会もできるだけ足を運んでみたい。
大学のカラーの違いを演奏を通じて知ることも興味深く、楽しみが1つ増えた。


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楽器の音量を考える

2015-05-03 21:52:08 | ギター
2週間前のある朝、いつもより早く目が覚めてふと枕元のカラーボックスを何気なく見たら、1990年代初めにあるコレクターの展示会の会場で買った、ギターの名器を紹介する小冊子があったので手に取って読んでみた。
「GUITARRAS Y GUITARREROS(ギターと名工たち) Ⅰ」と題するその小冊子は、トーレスやサントス・エルナンデスや、ハウザーⅠ世、エルナンデス・イ・アグアド、イグシオ・フレタなどの名工たちとその楽器を写真付きで紹介したものであった。
この中で取り上げられていたある製作家のコメントで考えさせられるものがあったので紹介させていただく。
その製作家とはスペインの名工、マルセリーノ・ロペス(1931~)のことであるが、彼は楽器について次のようにコメントしている。

「私はトーレスとサントスの技法を使って製作していますが、現代のギターはトーレスを基本として、それが少し大きくなったにすぎず、この出発点(トーレス)の理解なくして、よいギターは生まれないでしょう」。
「生活信条は愛情を持って働くということでしょうか、自分が楽しむ為に私は楽器を製作したいのです。よい楽器を作るためには芸術とは何か、音楽とはどのような音が必要かを理解せねばなりません。ギタリストも、ギターにはどんな音が必要かもっと考えねばなりません。よい才能が悪いギターによってどんどん潰されているのです」
また別のところ(現代ギター誌)で、彼は次のようにも述べている。
「かつてのヴァイオリンやピアノのなどの楽器の製作者達は皆、その楽器を弾きこなせる能力を持つ、音楽家とも言える腕を持っていました。そして私もギターを作るうえでギターを弾けることは重要なことだと思います。現に私が弾けることにより、1本毎の微妙な違い、さらには年月を経た時の音の出具合などを確かめられ、大いに役立っていますから」
「私が求めるものはクラシカルな落ち着いた音色です。ギターは派手できらびやかな音も、大きな音量も必要ありません。私はギターはサロンの楽器である方が相応しいと思っています。」

マルセリーノ・ロペスの楽器は今まで数本試奏させてもらったことがあるが、音量重視ではなく音質重視の楽器のように思う。しかし低音(特に5弦)は意外にゴーンと響き渡る。音響のいいホール次第では、いい弾き手であれば音量重視の楽器よりも鳴り響くのではないかという音だ。
ロペスが警告しているように、1990年代初め頃から工学的な発想、設計にもとづいて大音量を生むために製作されたギターがどんどん出てきて、著名なギタリストが採用してから今や主流となりつつあるが、これらの楽器を実際に弾かせてもらったり、ギタリストの録音を聴いてもいい感じを持ったことは一度もない。
まず音量が不自然に馬鹿でかい。音量が出るから人により弾いていて気分良く感じるかもしれないが、音そのものは無機的で生命が宿っていない。デッド・サウンドというような音であろうか。
軽いタッチでも鳴り響くように設計されているから、音に芯がない。高音はファンファン、ヒュン・ヒュン、低音はボン・ボンといった感じだ。
思うにダブルトップやワッフルバー・アーチバックの楽器は音のエネルギーを瞬間的に一気に放出する構造をとっているのではないかと思う。
だから弾弦した直後は音が力強く出てくるが減衰も早い。音の減衰が速いと音の余韻を感じることが出来ない。
聴き手はもう少しこの音や響きを聴いていたいのに、すぐにトーンダウンしてしまっては物足りなさを感じる。
このような楽器をギタリストが持った場合、楽に音出しが出来るので重宝するに違いない。しかし次第にその立ち上がりの速い大きな音の力に心酔し依存するようになり、音の出し方を忘れ、何がギターにとっていい音かを追求する努力もしなくなり、次第にマイクや音加工などの電気処理の機能にも頼るようにどんどん悪い方向の深みにはまっていくのではないかという気がする。大音量の楽器に何故マイクを使うのか?。そんなに超大音量が必要なのか。ギターという楽器の持つ特有の音の魅力を失ってしまっても。
冒頭のロペスが述べた警告はこのような背景があるのではないかと思う。
もっともこのような音量重視の楽器も、一発勝負のコンクールや指の故障などで強いタッチが出来ない時には効力があると言えるので、真向から否定はしないが、録音で何度も聴きたいとは思わない。

ロペスが「よい楽器を作るためには芸術とは何か、音楽とはどのような音が必要かを理解せねばなりません。」と言っているが、ギター音楽に限らず幅広く音楽を聴いていれば、音量を素材の持つ限界を超えて大きくしようなどと考えないと思う。
木材の響きにはどう考えても限界がある。木材の自然な響きを限界を超えて大きくしようと思えば、作為的な細工が必要になる。しかしその細工によって増幅された音は木材の持つ自然な響きは失われている。
構造により音を大きくするのであれば、木材の材質の良さは殆ど関係ないと思う。その音には30年も、40年も自然乾燥されてやっと生みだせるような自然な響きは感じられない。
ロペスを始め多くの現役の製作家が、トーレス、サントス、アグアド、ハウザー、ブーシェと言った歴史的名器のモデルを作り続けているのはやはりこの偉大な先駆者たちの楽器の構造、製法、音に対する感覚を究極的な目標としているのではないかと思う。
ロペスの場合、実際エルナンデス・アグアドの元で彼らの名前で楽器を製作していたことがあるようであるが、彼のアグアドモデルは忠実な復元ではなく、ロペスのオリジナリティが反映されたもののようだ。
今の楽器に「何々モデル」というのが多く、製作者のオリジナルティーが無いのではないかという意見を聞くが、もちろん外観的な模倣があっても、音は歴史的名器を理想としながらも製作者の独自の考えが反映されたものだと理解すればよいのではないか。

ロペスはタレガの高弟ダニエル・フォルテアに6年間師事したとのことで、ギタリストになることを目指していたという。
彼は、ダニエル・フォルテアが演奏家として成功しなかったのは極度の対人恐怖症だったからだと言っている。
その為、コンサートや録音などで真価を発揮できなかったようだ。
しかしフォルテアは純粋でやさしい人柄で生徒たちに好かれていたという。当時のマドリッドの教師達の20分の1の月謝しか取らなかったらしい。
生徒がレッスン料の値上げを頼んでも「今のみんなからの月謝でちょうど生活が成り立つんだ」と断ったとのことだ。
今の時代では考えられないことだが、このような素朴で欲の無い素晴らしい指導者に巡り合えたこともロペスの製作の原点になっているのかもしれない。

今日は天気良く空気が乾燥していたので部屋の窓をしばらく開けて湿気を取り、その後でギターを弾いたら素晴らしく鳴ってくれた.
いつも使っているギターはスペインの伝統的な工法で製作され、塗装は極薄のセラック・ニスであるが、湿気を吸うと鳴りが悪くなり、空気が乾燥すると素晴らしい響きを出してくれる。
木材という素材の自然な響きを最重視して作られたからなのであろうが、湿度にあまり関係なく一定の音量を保持できるギターもある。
しかし前者の楽器の方が、弾いていて得られる満足感ははるかに大きい。
多分後者のような楽器は、素材に音を求めるのではなく、構造により音が決定される度合いが大きいのであろうが、どんな環境でも使える反面、良い音を出す工夫や努力という楽しみは得られない。

ロペスのような製作家はバック・オーダーを抱えても決して急いで作らない(本人もそう言っている)。
製作家にとってたくさん作れば収入も増えるので、それも別の観点では大切なことでもあるが、先のダニエル・フォルテアのように丁度生活が成り立つレベルで質素な生活しか出来なくても、なりよりも楽器製作が楽しくて、日夜研究に没頭するような職人魂を持った製作家の方が好感を持てる。
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