緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

印象に残る練習曲

2015-05-09 23:18:52 | ギター
何か楽器を始める時、教則本が無いと習得できない。
ギターを初めて弾いたのがフォークギター。中学1年生の時である。
姉がフォークソングに興味を持ち、当時1万8千円のヤマハのギターを買ったのである。
姉はそのヤマハのフォークギターで、外国のフォークソングを弾いていたような気がする。
しばらくして兄が姉の真似をして、そのフォークギターを弾くようになった。姉が兄と楽しそうに練習しているのを見て、私は何か取り残されたような気持ちになり、フォークソングなど全く興味が無かったにもかかわらず、自分も負けじと姉や兄が弾いていないのを見計らって、そのギターで練習することになった。
兄が優越感を持って「どうだ、お前に弾けるか」といった感じで教え出すので、悔しくて、悔しくて。
その時使った教則本が、何といきなりセ-ハ(フォークギターではバレーというらしい)という、複数の弦を人差し指で同時に押さえる奏法が出てきて面喰ってしまった。しかもその和音はFコードだったので、指がちぎれそうに痛くて痛くて、次第にフォークギターを弾く気持ちが失せてきた。
だいたい中学1年生の時は全く音楽に興味がなかったのである。動機は姉や兄から取り残されて一人になってしまうのが嫌だったからである。こんなことでは長続き出来るわけがない。
このヤマハのギターの弦高が高く弾きにくかったことも影響している。
この話は確か以前にも書いた記憶がある。この挫折から数か月後にあるきっかけでクラシックギターにのめり込むことになった。同じギターでもこんなにも違うのかと驚いたものである。

クラシックギターは始めたはいいが、近くに教室は無いし、当時はビデオやDVDも無かった。
学校でクラシックギターを弾ける者は全校生徒で一人もいなかった。
なので独習を余儀なくされたわけであるが、まずは初心者にもわかる教則本が必要だった。
どこで調べたか忘れたが、阿部保夫と中林淳真の初心者用の教本があることを知り、親父に頼んで買ってきてもらった。
阿部保夫の教本は確か「独習者のためのギター教本」というタイトルだったと思う。中林淳真の方は忘れた。これらの教本は今でも実家に置いてある。
2冊買ったが、結局使ったのが阿部保夫の方。
この教則本はとても良かった。独習者の入門用テキストとしては最良のものであろう。
カルカッシやアグアドといったクラシックギターの黄金時代の作曲家の練習曲からいきなり入ることはせず、阿部保夫自身が作曲したやさしい練習曲から始めるように出来ていた。著者自身が作曲した「やさしいワルツ」などは40年経った今でもはっきりとその旋律を覚えている。
ある程度弾けるようになった段階で、ベートーヴェンの「エリーゼのために」やシューマンの「楽しき農夫」など著者自身が編曲した有名なクラシック曲が弾けるように構成されており、これが弾けるようになると何故か自分がとても上手くなったように感じられたのである。

それからまもなくして当時NHK教育テレビで放映されていた「ギターを弾こう」という、クラシックギター独習者のための番組を見るようになった。当時の講師は芳志戸幹雄や鈴木巌であった。この番組は非常に役に立った。また番組の最後に講師が弾く「ミニミニ・コンサート」が楽しみで、その演奏をカセットテープに録音したものである。芳志戸幹雄が弾くアルベニスの「アストゥリアス」や鈴木巌の弾くヴィラ・ロボスの「ショーロス第1番」を聴いてはクラシックギターの難しさに感嘆した。
このNHK「ギターを弾こう」のテキストに載っていた練習曲は、カルカッシ、アグアド、ソルなどの19世紀の作曲家によるものが殆どであったが、その中にはとても印象に残っているものがある。
この「ギターを弾こう」のテキスト2冊を大学のマンドリンクラブの後輩に貸してあげたら、ついに返って来なかった。思い出のある教材だけに惜しい。
また「ギターを弾こう」を見ていた頃に、全音楽譜出版社から出ていた、阿部保夫著「現代奏法によるカルカッシ・ギター教則本」も買った。この教本を買った帰りの列車の中でページを見開いて読んだ光景は今でもはっきり覚えている。
この教則本も大学のマンドリンクラブの後輩に貸してあげたら、ついに戻って来なかった。これも大変惜しい思いだ。大学生にものを貸す=あげる、という公式があるのを心得ておくべきであった。
NHK「ギターを弾こう」は高校3年生くらいまで見ていた。
講師が松田晃演の時であった。生徒の中に40歳くらいの上品な婦人がおり、ある時たまたまこの番組のこの婦人の演奏を見ていた父親が、「綺麗な手をしているねー」と感心して言ったのである。
そしたら、側で水仕事をしていた母親がその発言を聞くやいなやすかざず「こんな女の人は家事もしないで贅沢して苦労もしていないんだから、あたりまえでしょっ!」といきなり怒り出したのである。
突然言われた父親はびっくりしたのかしゅんとなり、小さな声で「ただ言っただけなのにな~」とたじたじになっていたのが面白かった。

さてこれらの教則本や教材から、私が特に印象に残った練習曲を紹介したい。
練習曲の難易度は初級~中級の初めくらいまでに限定する。

まずアグアドのイ短調の練習曲。この練習曲は今でも頻繁に弾く名曲である。短いシンプルな曲だがとても美しくギターを知らない方でも心に残る素晴らしいものだ。



この曲はNHK「ギターを弾こう」で鈴木巌が講師だった時の教材に掲載されていたが、先述のように今このテキストがないので、阿部保夫著「セゴビア奏法による ギター新教本」から転載する。
阿部保夫の教本では、最初の短調の部分に繰り返しが無いが、鈴木巌のテキストでは繰り返しがあった。
この練習曲は「ホセ・ルイス・ゴンサレス ギターテクニックノート」にも掲載されている。pimiの他,pmimの指使いも指定されている。

次にNHK「ギターを弾こう」で鈴木巌が講師だった時の教材に掲載されていた、カルカッシの「カプリチョウ(ニ短調)」。和声が独特で、暗い感じでなかなか魅力のある曲であった。この練習曲もお気に入りの曲として随分弾いた。カルカッシギター教則本(Op.59)の第三部16番目の曲でもある。



カルカッシギター教則本(Op.59)は中学2年生の時に初めて買ったが、最初は技巧練習しかやらず、この教本の練習曲には殆ど手を付けなかった。
高校卒業後大学入学までの春休みの間、基礎から徹底的にやり直そうと決意し、この教則本を最初から本格的に集中的にやった。この練習は非常に効果的で役に立った。今の基礎的な技巧の土台はこの練習があったからこそと言っても過言ではないと思う。
この練習の過程で出会った練習曲の中に、第三部第18番のホ短調の練習曲があった。
6連符の拍と、4分音符、 8分音符の拍の長さがなかなか分からなかった。いい練習曲である。
先の第16番カプリチョウと同様、暗く独特の和声が魅力だ。



大学時代に買ったソルの練習曲Op.60、25曲からなる初級練習曲集の第4番も美し曲だ。
単音のみで和音は使わないシンプルな曲であるが、夜の星空が浮かんでくるような寂しい曲でもある。
今は無くなってしまったが、当時よく楽譜を注文した好楽社のギター・ピースで玖島隆明の素晴らしい運指による。



これもソルの練習曲であるが、中級初めくらいのレベルの練習曲集Op.35の第18番、ホ短調である。
サーインス・デ・ラ・マーサ編の30のソル練習曲集の第1曲目としていきなり出てくる曲である。
この曲を初めて弾いたときまず感じたのは、70年代に聴いたフォークソング、かぐや姫の「神田川」とどこか同じようなフレーズがあったことである。ソルにしてはめずらしい曲想だ。



カルカッシ・ギター教則本(Op.59)と25の練習曲集(Op.60)の間の橋渡し的役目としての位置づけにある、カルカッシの「6つのカプリチオ」の第3番、ホ短調。暗く、また随所で独特の和声が現れる。先のNHK「ギターを弾こう」松田晃演講師の時の美しい手の婦人が弾いていた。



次に中級の練習曲集としてバイブル的存在であるカルカッシの25の練習曲集(Op.60)の第11番、ニ短調である。暗い曲であるが実に美しい。冒頭のアグアドの練習曲とともに最も好きな練習曲の1つだ。
この曲はやさしそうで実はかなり難しい。音価を正確に守り、休符は音を切るためには相当の練習が必要だ。素晴らしい練習曲。



暗い曲ばかり並んだが、明るい曲もある。
カルカッシギター教則本(Op.59)の第二部に出てくるイ長調の明るい曲。天気の良い、気分のいい日に聞こえてきそうな曲。この曲は基礎を徹底的にやり直したときに出会った思い出の曲で、今も時々弾く。



最後にカルカッシの25の練習曲集(Op.60)の第8番、ホ長調。ギターで最も音が開放されやすい特性が活かされた、穏やかな曲。この曲はなかなか味わい深く、カルカッシという作曲家が、教育的な曲づくりの天才と感じられる所以である。


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