緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

感動した合唱曲(全日本合唱コンクール高等学校部門) (3)

2014-03-02 21:57:12 | 合唱
こんにちは。
寒い1日でした。冬に逆戻りしたようです。
久しぶりに合唱曲の話題です。このところピアノ曲の話が多いですが合唱曲も聴いています。
今日聴いたのは朝日新聞と全日本合唱連盟が主催する合唱コンクールの高等学校部門で、2004年度のものです。
曲は、作詞:工藤直子、作曲:松下耕、女声合唱のための組曲「愛するもののためにうたう歌」より「こころ」、「ばら」、「手をください」です。
演奏は北海道地区代表、北海道立中標津高等学校です。
7つの組曲から3曲選ばれていますが、無伴奏で詩も曲もとても短いです。
とても繊細な曲で30人前後の少人数編成の女声合唱でないと表現できない曲。
「こころ」は簡素な詩であるが、難しい詩でもある。理解しようと何度も繰り返し聴きなおす。
砕け散ったこころの破片をひとつひとつやさしく拾い上げることは自分を肯定できる人でないとできないですね。自分を嫌い憎んでいる人には絶対にできない。破片を放置する。時に自ら心を破壊する。そして不幸にも自ら砕いていることを意識できないでいる。
誰にも心が砕けることはあります。自分で破片を拾い上げられる人は幸せな人です。
しかし破片を拾い上げられない人、自ら砕いてしまう人は人生を苦しみます。
破片をていねいに拾い上げられるかどうかは、自分を肯定できるようになれるかどうかにかかっています。
この詩は心が砕けてもそれは自分のものだから大切にすることを言いたいのではないか。
人生の途上には砕けた心を修復するのが絶望的なほどの体験をすることがありますね。
しかしもし生きることを選択したならば、ひとつひとつ砕けたかけらを時間をかけて拾いあげていくしかないことを、この詩の作者は平易な表現のなかで教えているのではないか。
「ばら」を聴いていると安らかな気持ちになります。ちょうどいい湯加減のお湯に浸かっているときのような。いい旋律の音楽だ。
「はなびらが散るそこに、なにか楽しいことがやってくる」。女性でないと感じられない繊細さですね。つらいことから開放されて得た幸福感、何かを乗り越えたときの充足感、この先の希望という明るさが感じられる。
「手をください」は何ともいえない気持ちにさせる。「ばら」とは対照的な曲だ。
「からっぽの手」とは何を意味するのか。空虚な心だろうか。さびしく冷たく凍った心を意味していると思う。
孤独で荒涼とした人生の中で凍った心の中で、何かとつながりたいが出来ない葛藤を抱えている。その苦しみはたとえようもないものであろう。
作者はからっぽの手の人に対し、ポケットからその手を出して、私に下さいと語りかける。凍った心を溶かすのは本能的な愛情のみである。しかしこれは他人だけが行えるものではない。これは自分自身でも行えることを言いたかったのではないか。これをできるのは、自分に対し愛情を感じたそのときからである。
この「こころ」、「ばら」、「手を下さい」の3つの詩はばらばらに見えて、実は関連しているものだと思います。少なくても私にはそう感じられた。
さて演奏の方ですが、中標津高校の演奏は本当に素晴らしいです。
このような短い曲を詩の意味するものに同化し、繊細でかつときに内に秘めながらも激しい感情も表現しています。
詩の意味するものを純粋に聴き手に伝えることにしか集中していない、何も見返りを求めず、歌うことに全てのエネルギーを注いでいることが伝わってきます。
歌声が自然で、彼女たちの歌声の奥にある感情を感じ取ることができた。
地味で素朴な高校であるが、このような演奏をする学校が好きだ。



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