緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ジャン・ミコーのベートーヴェン・ピアノソナタを聴く

2014-03-08 23:26:09 | ピアノ
こんにちは。
3月も半ばに入りますが真冬のように寒い日が続いています。
昨日の夜は夜中に寒くてエアコンを付けました。夜中に寒くてエアコンを付けたことなんてちょっと思い当たりません。
今日、先日紹介したフランスのピアニスト、ジャン・ミコー(1924~)のレコードを聴きました。先日Youtubeで聴いたのはショパンのワルツ第10番ロ短調、作品69の2番でした。
素晴らしい演奏です。幸福を切に望みながらもかなうことなく39歳で世を去ったショパンの苦悩の気持ちがひしひしと伝わってきます。この曲でこういう弾き方の出来る人はそういないですね。多くは繊細であっても軽やかにさらって弾いている。あるいは必要以上に強く速く弾きすぎている人もいる。
ジャン・ミコーの演奏を聴いてからCDやレコードを探したが全くといいほど無い。やっと探して見つけたが海外から取り寄せるしかなかった。ベートーヴェンのピアノソナタ集が見つかった。2枚組みの中古LPで日本円で2,700円ほど。送料は確か1,600円くらいだったか。
今日それが届きました。注文してから2週間以上かかりました。
曲目は、第14番(月光)、第23番(熱情)、第8番(悲愴)、第24番(テレーゼ)、第19番。
録音年は不明。1960年代から1970年代と思われます。



早速「月光」から聴いてみる。音が非常に独特。芯が強く、タッチも強い。こういうタッチの演奏は聴いたことがありません。初めて聴いたショパンのワルツ第10番も同様の音のタッチであったことを思い出す。現代のピアニストからは聴けない演奏だ。ギターであればアルアイレ主流ではなく、アポヤンド主流の奏法だ。
エミール・ギレリスが鋼鉄の指を持つピアニストと呼ばれていたが、ジャン・ミコーの音もギレリスとは印象が違うが鋼鉄のようなタッチを感じる。
タッチが強いので速い速度が要求される月光の第3楽章は軽快な演奏を聴きなれている人はもどかしく感じるかもしれません。しかしこの独特の音はなかなか聴けるものではない。
最も感動したのは「熱情」。音の強さと共に低音の響きが凄い。底から響いてくるような重厚な音。マリヤ・グリンベルクやアルトゥール・シュナーベルの低音とも違うが、凄い響きの音である。
このピアニストは音を最も重視していると思います。
器楽にとって最も重要なのは音だと思います。以前のブログで述べましたが、1.楽器そのものが持つ音の魅力を最大限に引き出しているか、2.音に感情エネルギーが伝達されているか、の2点が器楽演奏の最も重要な要素だと思います。
ジャン・ミコーの演奏を聴くとこの2点の要素を強く感じます。
心に突き刺さるような感情がこもった強い音、こういう音を演奏家から聴くことがだんだん少なくなってきたと思います。ギターでいうとアンドレス・セゴビアなど数人に限られます。
ピアノの音の魅力に気づいたのは今から十年ほど前です。それまではピアノの音の違いがなかなか分からなかった。
ピアノの音の魅力に初めて気づいたのはジャン・ドワイアンの弾くフォーレの夜想曲第6番を聴いたときです。なんという重厚な響きをするのだろうと感心しました。ジャケットに楽器がベーゼンドルファーと記されていました。
でもその後楽器に関係なく、タッチによりピアノの魅力的な強く重厚な音を引き出しているピアニストがいることもわかってきました。マリヤ・グリンベルクやクラウディオ・アラウがそうです。そして今日聴いたジャン・ミコーもピアノの音の魅力が存分に伝わってきます。グルダやポリーニの音とは全く次元の違う音です。
ジャン・ミコーの演奏はグルダのような軽快で流麗なものとは性質が違います。よって聴き手を選びますが、演奏を聴いて心に刻まれる深さは強いです。
ジャン・ミコーはある方のサイトによると、コルトーの弟子であり、パリ・エコール・ノルマル音楽院の教授、ギーゼキングの後任としてドイツ国立ザールブリュッケン音楽大学の名誉教授にもなったほどの演奏家と紹介されているが、殆ど知られていないのは録音を殆ど残さなかったからに違いない。高い実力を持ちながら録音嫌いのために知られていない実力者はピアノ界では結構いるようである。
ナルシソ・イエペスが若いとき、ヴァイオリニストで作曲家のジョルジュ・エネスコやピアニストのギーゼキングの教えを請うたことは結構知られているが、私がもしギタリストだったとしたら、ギリアやポンセなどのギタリストに習わず、ジャン・ミコーのような音楽家に音楽や音の出し方を学ばせてもらいたいと思うくらいです。
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