緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ベートーヴェン ピアノソナタの名盤(1) 第32番

2013-08-15 22:43:22 | ピアノ
こんにちは。
今日はとても暑い1日でしたが、夜になると秋の虫の声が聞こえてくるようになりました。
今年になって始めたベートーヴェンのピアノソナタの鑑賞もたくさんの演奏家の録音を聴き比べすることにより、多くのことを学ぶことができました。
ピアノに限らずクラシックの曲はどんな曲でも演奏家によって驚くほど違いがあります。
ある演奏家の演奏を聴いて1回しか聴かずに通り過ぎてしまった曲でも、後日偶然、別の演奏家の演奏を聴いて大いに感動し、生涯聴き続けることになったなんてことも十分ありえます。
とくにこのベートーヴェンのピアノソナタはこの曲を弾くピアニストが多数いるため、同じ曲でも聴いて受ける印象は本当に様々です。そこがクラシック曲を鑑賞する楽しみでもありますが。
私はベートーヴェンのピアノソナタを全曲聴いて、全32曲のなかでの最高傑作は第32番だと思っています。



有名なのは第14番の「月光」、第8番「悲愴」、第23番「熱情」といったいわゆる3大ソナタですが、曲の構成力、精神性の高さ、深さ、聴き手を惹き付ける力、技巧の困難性など全ての面で最高の曲はこの第32番だと思います。
この曲はピアノが好きな人だけでなく、クラシック愛好家やジャズやロック等他のジャンルが好きな人にも是非聴いておいて欲しい曲です。
人により好みはありますが、この曲を聴いて必ず得るものはあると思います。これは文学で言えば不朽の名作を読むに等しいものだと思います。
この曲はベートーヴェンの晩年に作曲されたのですが、彼の人生の縮図が感じ取れます。
第1楽章はどうすることも出来ない苦悩と叫び、激しい葛藤、そして時折安堵感を感じるも一瞬にして消え去り、苦悩とそれに対する闘いが終始続きます。
これはベートーヴェンの若い頃や壮年期の心情を表現していると思います。
それに対して第2楽章は、テンポがゆっくりとした穏やかな曲想となるが、穏やかな気持ちを表す部分と過去の苦悩を回想するかのような感傷的な部分とが交互に何度も繰り返されます。これはベートーヴェンがまさに苦悩を乗り越えた境地を表現していると思います。
そしてアリエッタ第三変奏でこれまでの人生で味わった、あるいは味わいたかったであろうこれ以上ないというほどの強い歓喜を表現しています。
そして最後に自分のこれまでの人生を強く肯定するかのような激しい盛り上がりを経て、極めて美しい、天上から降り注ぐ光の粒子を浴びるかのようなトリルが現れ、消え入るような穏やかな和音で終結します。
私の最も好きなピアノ曲である、ガブリエル・フォーレの13の夜想曲もフォーレの人生の縮図を感じますが、フォーレの最後の第13番はこのベートーヴェンのソナタ第32番と対照的なのも興味を惹かれる。
フォーレもベートーヴェンもピアノ1台で自らの人生で味わった全ての感情を表現しているのは驚嘆に値すると思います。
さて、このベートーヴェンのピアノソナタ第32番ですが、実に多くの録音があります。
私が今まで聴いた録音を下記にあげておきます(概ね聴いた順)。

①ソロモン・カットナー(1951年、スタジオ録音)
②クララ・ハスキル(1953年、ライブ録音)
③アルトゥール・シュナーベル(1932年、スタジオ録音)
④アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1990年、ライブ録音)
⑤アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1988年、ライブ録音)
⑥アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1965年、スタジオ録音)
⑦アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリ(1961年、ライブ録音)
⑧スバヤトスラフ・リヒテル(1975年、ライブ録音)
⑨スバヤトスラフ・リヒテル(1963年、ライブ録音)
⑩アナトリー・ベデルニコフ(1974年、スタジオ録音)
⑪グレン・グールド(1956年、スタジオ録音)
⑫ヴィルヘルム・バックハウス(1961年、スタジオ録音)
⑬ヴィルヘルム・バックハウス(1954年、ライブ録音)
⑭ヴィルヘルム・ケンプ(1951~56年、スタジオ録音)
⑮ヴィルヘルム・ケンプ(1964年、スタジオ録音)
⑯マウリツィオ・ポリーニ(1976年、スタジオ録音)
⑰イヴォンヌ・ルフェビュール(1961年、ライブ録音)
⑱ミエチスラフ・ホルショフスキー(1951年、スタジオ録音)
⑲イーヴ・ナット(1954年、スタジオ録音)
⑳マリヤ・グリンベルグ(1961年、スタジオ録音)
21マリヤ・グリンベルグ(1966年、スタジオ録音)
22ルドルフ・ゼルキン(1967年、スタジオ録音)
23クリストフ・エッシェンバッハ(1978年、スタジオ録音)
24エリー・ナイ(1936年、ライブ録音)
25ディーター・ツェヒリン(1970年、スタジオ録音)
26フリードリヒ・グルダ(1968年、スタジオ録音)
27エリック・ハイドシェク(1967~1973年、スタジオ録音)
28アニー・フィッシャー(1977~78年、スタジオ録音)
29エドウィン・フィッシャー(1954年、ライブ録音)
30タチアナ・ニコラーエワ(1984年、ライブ録音)
31ジョン・リル(録音年不明、スタジオ録音)
32マリヤ・ユージナ(1958年、ステレオ録音)

全てCDで聴いたものです(youtubeではありません)。随分と聴いたものですが、この曲の最高の演奏を得る為にはここまで聴く必要がありました。
初めて聴いたのは①のソロモンのスタジオ録音ですが、数回聴いても大きな感動は得られませんでした。もしこの曲をこのソロモンの演奏で聴くのを止めてしまったいたら、恐らく一生この曲の素晴らしさに気づくことなく終わっていただろうと思います。
この曲の本当の素晴らしさに気づかせてくれたのが、④のミケランジェリの1990年のライブ録音です。
しかしこのライブ録音はミケランジェリが最晩年の時の演奏であり、かなりパワーが落ちていたのは事実です。しかし素晴らしい演奏だったので、もっと彼の若い頃の演奏があるのではないかと探して聴いたのが⑤の1988年のライブ録音でした。彼が68歳の時ですね。



このライブ録音を聴いて衝撃を受けました。全身全霊をもって弾くミケランジェリの演奏と、ベートーヴェンの心情が一体となった極めて稀にみる超名演だと思いました。
この曲をミケランジェリは過去に何度も演奏会で演奏しており、他の誰よりもこの曲に惹かれ、多大な時間をかけて到達したものであることが分かります。
同じ頃に聴いた⑥のスタジオ録音(1965年)も素晴らしく、中古CDショップへ行くとこの録音はCDでもLPでも見かけます。ガルッピのソナタとスカルラッティのソナタと合わせて録音されたものですね。ミケランジェリが好きな方であれば当然聴いていると思いますが。



しばらくこの第32番のソナタの録音ではミケランジェリ以上の演奏は存在しないと思っていたのですが、それが打ち砕かれたのが⑳のマリヤ・グリンベルグの1961年の録音でした。
この録音も偶然の出会いでした。上野の東京文化会館音楽資料室の端末で何気なくベートーヴェンのソナタでも検索してみようと思い、出てきたのが彼女の録音でした。
トリトンというレーベルから出された現在は極めて入手困難な録音で、恐らく放送用の音源かと思われます。



彼女が後でソナタ全集として録音したものとは明らかに異なります(上記21番の全集で、ベネチアというロシアのレーベルから1960-1974年の録音として2000年代前半から2006年の間に2回復刻されたものがあるが、その中の第32番の録音は彼女の最盛期を過ぎた頃の録音(1966年)で、パワーが落ちているのが残念。正確に確認していないがyoutubeで投稿されている音源はこのベネチアからのもののようだ。トリトンの1961年の録音はyoutubeでは多分聴けないはずです)。
とにかくこのマリヤ・グリンベルグという聴いたこともないピアニストの第32番を初めて聴いた時には度肝を抜かれました。
女性とは思えない力強い、地の底から響いてくるような独特の重厚な低音と、鋭く芯があり、時には信じられないほど透明な美しい音の高音との対比が素晴らしく、また奏でられる音楽には力強い生命感に溢れ、それでいて誇張など一切感じることのない自然な音楽の流れにただ驚く以外にありませんでした。
そして聴けば聴くほど感動が増していきました。
マリヤ・グリンベルグは旧ソ連のスターリン時代に不幸のどん底に陥り、その後も著しく不当な待遇を受け続けたようで、彼女の若かった頃の澄んだ大きな目は老年になると鋭く悲しげな目に変わってしまった。
この1961年、彼女が53歳の頃の最盛期の演奏を聴くと、ピアノが好きで好きでたまらないという気持ちが伝わってきます。ピアノを演奏することに最大の喜びを感じていることが最後まで伝わってきます。
旧ソ連時代に不当な扱いを受けたことで世界で屈指の実力を持つにもかかわらず、ソ連やその近隣国以外に殆ど知られることなく生涯を閉じたことはさぞ無念であったと思います。
しかし彼女がもし活動を制限されずに世界的に知られるピアニストになっていたとしたら、聴く者の心を深く揺さぶられるような演奏を残せなかったかもしれないとも思う。
彼女が受けた不当な制限が逆に超名演を生み出すもとになったのではないかと思います。
彼女が出す低音は素晴らしいです。ピアノでよくあのような音を出せると思います。
これは単なる力の加減ではないと思います。肉体的な力以外の何かが働いているのだと思います(ギターでいうとセゴビアの音がそうだ)。
⑯のポリーニや26のグルダの演奏と比べて聴いてみるとその違いがはっきりします。
どんなに淀みのないテクニック、澄んだ美しい音で弾いても、最後は演奏者の心の芯から出てくるものの違いで感動する度合いに差がでるのだと思う。
その芯から出てくるものは演奏者の人生体験なのだとつくづく思う。
ミケランジェリもグリンベルグもベートーヴェンの苦悩とそれを乗り越えたときの境地を真に理解できたからこそ素晴らしい演奏に到達できたのだと思います。

<追記>
これからベートーヴェンのピアノソナタ全32曲の名盤を不定期ではあるが、紹介していきます(次回は第31番を予定)。

【追記20151024】
その後のこの曲の鑑賞で判ったことを記します。

①マリヤ・グリンベルク1961年録音のTRITON盤の原盤は、旧ソ連時代のメロディア盤、ГOCT5289-61 33Д-09524(録音年不明)であることが判明した。
TRITON盤は、第2楽章の入りで、第1楽章のピッチとわずかなずれを感じて違和感を感じたが、このメロディアの原盤にはそのずれは無い。
またTRITON盤の第1楽章で、古い録音にたまにあるような録り直しの残骸の音も、このメロディアの原盤には無いようだ。
それにしてもこの盤のマリヤ・グリンベルクの演奏は物凄い。この32番の演奏で、この盤を超える演奏は2度と現れないのではないか。

②マリヤ・グリンベルクの第32番の録音は、1960年代後半の全集録音以外に、上記①のTRITON盤(原盤はメロディア 33Д-09524)、あともう一つ、旧ソ連時代のメロディアの前身のレーベルから恐らく1950年代と思われる録音(ГOCT5289-56 Д-2936,2937)がある。
この盤の演奏はTRITON盤の演奏とは部分的に弾き方が異なる箇所があるが、力強い演奏だ。解釈が時代によって微妙に変化しているのも興味深い。
マリヤ・グリンベルクが残した第32番の録音は上記の3種類と考えられる。
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2 コメント

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参考にさせていただきます。 (anny)
2016-07-15 08:55:42
初めまして、通りすがりのannyと申します。ベートーベンの32番の素晴らしさに嵌まって久しくなります。
私のとっておきの名盤が挙がっていなかったので、もしよろしければご参考までにお聴きになってみてください。
p. ゲルバー レーベルはデノンになります。ワルトシュタインとのカップリングがあると思いますが、曲の組み合わせを変えて再版が何度もされているようですので、それとは限りません。譜読みの正確さと、それを正確に表現するテクニックの素晴らしさに脱帽しております。
私も32番はゲルバーに限らず、多くの演奏家を聴いてきました。CD、レコード、両面から聴き比べもしてきました。演奏会ではここ数年ですとツィメルマン、シフにも行ってきました。それらをひっくるめてダントツ1位がゲルバー盤だと思っております。
ネットでこの手の聴き比べが書かれているのをたまに覗かせて頂いておりますが、ゲルバーが挙がっていることは滅多にありません。残念です。
余談ですが、私が高校生のとき、ミケランジェリのレコードを買って聴いていました。ガルッピとカップリングになっているものです(今は、10枚ボックスのCDも持っております)。それ以来、ミケランジェリの魅力に取り付かれ、80年代に来日した時、シューマンの協奏曲をジュリーニ指揮で聴けたのは至高のときでした。

とりとめもなく長々と書いていまい、申し訳ありませんでした。
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Unknown (緑陽)
2016-07-16 00:48:18
annyさん、はじめまして。
コメント下さりありがとうございました。
ブルーノ・レオナルド・ゲルバーの1989年12月の録音ですね。
この記事にはとりあげておりませんが、既に聴いております。
おっしゃるように、譜読みの正確さ、どの奏者にも聴こえてこない音の分離と表現力、正確なテクニックを持ち合わせていると感じました。
ゲルバーはベートーヴェンのソナタ集の全曲録音に至っておりませんが、彼はベートーヴェンを最も敬愛しているようですね。
ゲルバーの録音は中古CDショップでは殆ど見かけません。LPレコードでは時々見かけることがあります。
ゲルバーは、昨今の若い演奏家がテクニック偏重で、本当の意味で感情を表現し、身を捧げられないでいることに対し警告をしています。
ゲルバーの弾く、リストのピアノソナタロ短調も聴きました。
しかし私にとっては正直なところゲルバーの演奏は今一つなのです。
人により感じ方は様々なので、客観的にどれが正しいとかは申し上げることはできません。
この記事の後で、様々な録音を聴き重ねましたが、私にとっては、マリヤ・グリンベルクの1961年録音(原盤メロディア、後にTRITON版で発売)が最も衝撃的でした。
そしてこの演奏こそが最も私の魂を揺さぶるものなのです。
この第32番は非常に奥深い、人間の歴史的感情表現が高度な芸術性をもって完成されたものであり、並大抵の人生体験では表現し得ない曲ではないか、と感じております。
コメントいただき感謝しております。
私もさまざまな演奏を聴いて、人間が生み出すものの素晴らしさに感動することが出来れば、とても幸福に感じます。
ご教示下さりありがとうございました。
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