連休初日に、ギター独奏曲を録音してみた。
暗譜している曲で、手っ取り早く録音できる曲として、バリオスの「大聖堂第1楽章」にした。
「大聖堂」は今は3楽章が当たり前となっているが、昔の楽譜、例えばシーラ・ゴドイの編集した楽譜は第2楽章と第3楽章のみだったし、バリオスの自演録音も第2楽章と第3楽章のみだった。
比較的新しい録音、例えば、ナルシソ・イエペスの録音もオリジナルの第2楽章と第3楽章のみである。
イエペスは90年代に日本で開催されたマスター・クラスで、大聖堂の第1楽章は本来、別の曲であったことを明言している。
それを裏付ける資料を、去年のお盆休みに帰省したときに実家においてあった資料から見つけることができた。
その資料にはバリオスの「大聖堂第1楽章」の自筆譜の写真が掲載されていたが、曲のタイトルは「プレリュード」だった。
つまり、第1楽章は本来、大聖堂とは全く別の曲であったことが間違いないということだ。
では、この「プレリュード」を大聖堂の第1楽章として採用したのは誰で、いつからかということになるが、これについても事実が判明した。
まずこの「プレリュード」の作曲年であるが、1938年1月28日とある。
そして、この曲を大聖堂の第1楽章として採用したのは誰かということだが、これはバリオス本人だった。
バリオスがこの「プレリュード」を大聖堂の第1楽章としてそれまでの第2楽章と第3楽章に付加して3楽章全てをコンサートで演奏した記録が残っているが、資料では1939年7月となっていた。
それまでは、下の写真のように第2楽章と第3楽章のみのプログラムとなっている。
だからということでもないが、この大聖堂の第1楽章は単独での曲として弾いても中途半端とは言えなないと思う。
元々、単独の曲として作曲されたからである。
今日この曲を録音してみたが、なかなかうまくいかなかった。
音がびりついたり、鳴り切らなかったりと。
でもいいや。またいいのを録って記事にすればいい。
(下のリンクから聴けます)
【大聖堂第1楽章:2020年4月29日)】
また、10年前の録音もあったので、これも貼り付けておく。
【大聖堂第1楽章:2010年11月21日】
両者を聴き比べてみると、基本的にテンポや曲の解釈にそう相違はなかった。
自分の解釈はかなり速いテンポで崩さず淡々と弾くというもの。
はっきり言って、10年前の演奏の方が、脂が乗っていたと感じる(衰えたか? ちょっと虚しいな)。
【追記202004292224】
10年前の録音で別の録音が見つかったので貼り付けておきます。
(こっちの方が少しだけいいかもしれない)
【大聖堂第1楽章(10年前の録音、別テイク】
暗譜している曲で、手っ取り早く録音できる曲として、バリオスの「大聖堂第1楽章」にした。
「大聖堂」は今は3楽章が当たり前となっているが、昔の楽譜、例えばシーラ・ゴドイの編集した楽譜は第2楽章と第3楽章のみだったし、バリオスの自演録音も第2楽章と第3楽章のみだった。
比較的新しい録音、例えば、ナルシソ・イエペスの録音もオリジナルの第2楽章と第3楽章のみである。
イエペスは90年代に日本で開催されたマスター・クラスで、大聖堂の第1楽章は本来、別の曲であったことを明言している。
それを裏付ける資料を、去年のお盆休みに帰省したときに実家においてあった資料から見つけることができた。
その資料にはバリオスの「大聖堂第1楽章」の自筆譜の写真が掲載されていたが、曲のタイトルは「プレリュード」だった。
つまり、第1楽章は本来、大聖堂とは全く別の曲であったことが間違いないということだ。
では、この「プレリュード」を大聖堂の第1楽章として採用したのは誰で、いつからかということになるが、これについても事実が判明した。
まずこの「プレリュード」の作曲年であるが、1938年1月28日とある。
そして、この曲を大聖堂の第1楽章として採用したのは誰かということだが、これはバリオス本人だった。
バリオスがこの「プレリュード」を大聖堂の第1楽章としてそれまでの第2楽章と第3楽章に付加して3楽章全てをコンサートで演奏した記録が残っているが、資料では1939年7月となっていた。
それまでは、下の写真のように第2楽章と第3楽章のみのプログラムとなっている。
だからということでもないが、この大聖堂の第1楽章は単独での曲として弾いても中途半端とは言えなないと思う。
元々、単独の曲として作曲されたからである。
今日この曲を録音してみたが、なかなかうまくいかなかった。
音がびりついたり、鳴り切らなかったりと。
でもいいや。またいいのを録って記事にすればいい。
(下のリンクから聴けます)
【大聖堂第1楽章:2020年4月29日)】
また、10年前の録音もあったので、これも貼り付けておく。
【大聖堂第1楽章:2010年11月21日】
両者を聴き比べてみると、基本的にテンポや曲の解釈にそう相違はなかった。
自分の解釈はかなり速いテンポで崩さず淡々と弾くというもの。
はっきり言って、10年前の演奏の方が、脂が乗っていたと感じる(衰えたか? ちょっと虚しいな)。
【追記202004292224】
10年前の録音で別の録音が見つかったので貼り付けておきます。
(こっちの方が少しだけいいかもしれない)
【大聖堂第1楽章(10年前の録音、別テイク】
実は私も今、大聖堂を練習しています。(ベニーテス版)10数年前に一度暗譜したのですが、それきりほったらかしで、映画「マチネの終わりに」をきっかけに、再度取り組むことにしました。(幸福の硬貨もしっかり弾きました^^;)
やっとなんとか暗譜で弾けるようになりましたが、プレリュードは似たようなフレーズが何度も出てきて暗譜しにくいですね。(今でも油断すると間違います)
早くコロナが収束して、人前で演奏したいです。
けんいちさんも、大聖堂を練習なさっていたのですね。
私もこの曲はベニーテス版から始めました。
映画「マチネの終わりに」は未だ見ていないのですが、大聖堂が使われているという話は聞いておりました。
第1楽章は本当に美しいですね。
前奏曲ハ短調もそうなのですが、バリオスの簡素でありながら、純粋な美しさは誰も真似できないものだと思います。
おっしゃるように早くコロナが収束して欲しいですね。
私の場合は、マンドリン合奏が待ち遠しいです。
ところで実家においてあった資料とは何だったのでしょうか?
資料ですが、「ギターミュージック」という今は廃刊となりましたが、新堀系の出版社が出していたクラシックギター専門誌で、今手許に無いのでかすかな記憶ですが1983年頃の号だったと思います。
確か、リチャード・ストーバーの資料を和訳したものだったと思います。
「ギターミュージック」は私も何冊か持っていました。懐かしいですね。
バリオスの大聖堂1楽章ですね。ノーミスの演奏さすがですね。
遠くから、微かにきこえてくる切なくも美しい旋律・・・。
この曲は、現代ギターの1968年ぐらいに添付楽譜として載っていたように記憶しています。その時は、1楽章はなく、2,3楽章だけでした。ギターを始めて2年ほどした時だったと思います。2楽章は雰囲気がつかめず難しかったので、3楽章を練習した記憶があります。
その後10年ほど後、ジョン・ウイリアムスのLPレコードで全3楽章を聴いて、1楽章の美しさに憧れ、早速、全音楽譜出版社から出ていた、ベニーテス編の楽譜を買ってきて、練習しました。やはりその時も、2楽章は難しくてなかなかものにならなかった記憶があります。(笑い)また、バリオスはジョンが有名にしたようですね。
私は、流行に逆行するようですが、バリオスを盛んに練習したのは、30年ほど前でしょうか、郷愁のショーロ(例の指が届かないところはベニーテス編では、その音だけ1オクターブ高く指示していましたが)とかワルツ第3番などなど、バリオスは手が大きかったのでしょうね。運指がきつい箇所がかなりありますよね。最近は、全く弾かなくなりました。
最近の若いギタリストの薄っぺらい音でバリオスを聴くとつまらなく感じてしまったのでしょうね。セゴビアがこの曲を弾いたらどんな感じだったのでしょうね。遠くから小さな音で微かにきこえてくるセゴビアトーン・・・。考えただけでうっとりしますよね。聞いた話では、バリオスは大聖堂の楽譜をセゴビアに送る約束をして彼のマネージャーに依頼したが、マネージャーがずぼらでセゴビアの元に届かなかったようですね。それでセゴビアが怒ってバリオスを弾かなかったそうです。でも、トローバ、ポンセ、テデスコ、タンスマンなどに比べると、どうしても音楽的には?が付きますよね。
話題は変わりますが、毎年6月に奈井江のコンサートホールで行われる合同コンサートも、今年は、コロナウイルスの影響で中止になりました。私は1年間かけて、ポンセの『主題と変奏と終曲』と伊福部昭さんの『ギターのためのトッカータ』を練習してきたのですが、とても残念です。緑陽さんも伊福部昭さんの曲はかなり練習されたようですね。『・・・トッカータ』は、ピチカートのところが難しくなかったですか?私は、ローポジションに運指をかえて弾いています。また、16分音符の同じような音型が転調しながら連続するのも大変に難しいというより、指が疲れますね。年齢的にもこのような曲を弾けるのはあと何年かな?なんて思っています。(笑い)
コロナウイルスで大変な時期ですが緑陽さんに於かれましては充分にご自愛ください。
fadoさんのコメントを読むといつも、気持ちがなごみます。
私もfadoさんと同じように、ジョン・ウィリアムスの録音で初めてこの曲を聴きました。
高校3年にあがる前の春休みで、クラシックギターの特集をFMラジオでやっていてテープに録音、夢中で聴きました。
この特集でホセ・ルイス・ゴンサレスの弾く郷愁のショーロを聴いて感銘し、ヘスス・ベニーテス版の楽譜を早速買ってきて、馬鹿の一つ覚えみたいに弾いていました。
左指の拡張が要求される部分は私はベニーテスの代替運指で対応しましたね。
おっしゃるように、バリオスの曲は左手の運指が厳しい曲が多いですね。
前奏曲ハ短調や情熱のマズルカなどとてもいい曲なのですが、左手の疲労が激しいのと、届かない箇所があるために何度も断念せざるを得ませんでした。
バリオスの録音で本当に素晴らしいなと思うのは、バルタサール・ベニーテス(ジョンより前に録音)、ホセ・ルイス・ゴンサレス、ジョン・ウィリアム(旧盤)の3人だけですね。
大聖堂は田部井辰雄さんもいい演奏ですが。
あと、ヘスス・ベニーテスの大聖堂の演奏も好きです。
おっしゃるように、大聖堂に関心を示したセゴビアにバリオスは楽譜を送る手配をしたが、届かなかったようですね。
セゴビアはバリオスのことを、スチール弦のひどい音で、左指のタコがひどかったくらいの印象しかもたなかったようです。
バリオスの曲は純クラシックとは言えないのかもしれません。しかし純粋な美しさがあります。
奈井江のコンサートの中止、残念ですね。
私もマンドリンオーケストラの演奏会が5月と7月に予定されていて猛(?)練習していたのですが中止となってしまいました。
合同練習や本番を楽しみにしていただけに本当に残念でなりません。
伊福部昭の「ギターのためのトッカータ」、難曲ですね。
あのピチカートの部分、私は右親指を痛めました。
阿部保夫さんが上手に弾いていますね。メロディーラインを浮かび上がらせるのはかなり難しいです。
この曲は本当に左指が疲弊します。
実はこの曲を昨日、一昨日と久しぶりに弾いていました。
札幌をはじめ、北海道のコロナ感染は増加傾向が収まらないようですね。
3月中旬にいち早く緊急事態宣言が出されてその後収束していたように思っていたのですが、4月10頃から急に増加しているようです。
実家の高齢の母が心配です。
父が昨年亡くなり、母も元気が無くなってきました。
連休中帰ってあげたかったのですが。
一刻も早く収束して欲しいですね。
fadoさんもお体を大切になさって下さい。
またギターや音楽、時事を中心とした話題をお聞かせ下さい。楽しみにしています。
ありがとうございました。