緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

ドキュメンタリー「あるロシア人ピアニストを巡る対話ーアナトリー・ヴェデルニコフ」を見る

2024-05-31 22:22:16 | ピアノ
実家で兄から教えてもらったアナトリー・ヴェデルニコフ(Anatoly Vedernikov、1920\-1993)というロシアのピアニストの演奏を初めて聴いたのは2011年の頃だっただろうか。
その頃はさほどのインパクトも受けることなく、端正な演奏をするピアニストという印象しかなかった。
しかし何か惹き付けられるのを感じ、それから主に1960年代から1970年代に録音された8枚のCDを手に入れた。









ベートーヴェンのピアノソナタ、バッハのパルティータやイギリス組曲の全曲、フランク、ドビュッシーやリスト、ヒンデミットなどの曲が収録されたものであった。
ただ、長きに渡って繰り返し鑑賞するには至らなかった。
優等生的な演奏に感じていたのだろうか。心の深いところまでに降りてくるようには感じられなかったのである。

先日、Youtubeでたまたまドキュメンタリー「あるロシア人ピアニストを巡る対話ーAnatoly Vedernikov」と題するNHKのドキュメンタリー番組の録画が投稿されているのを見つけた。貴重な記録である。

あるロシア人ピアニストを巡る対話ーAnatoly Vedernikov


ヴェデルニコフの両親がロシア革命を逃れ、中国のハルビンに移住した後で彼は生れ、幼い頃からピアノの才能を開花させていた。
日本でレオ・シロタの指導を受け、コンサートに出演したこともあったのだという。
ヴェデルニコフの運命を変えたのは、両親とともにロシアに帰国してからだった。
ハルビン帰りのロシア人はスパイだと見なされ、秘密警察に逮捕され、父親は銃殺、母親は強制収容所に送られるという悲劇に見舞われた。
何の関連も無いヴェデルニコフも長きに渡って国外への出国は許されず、その制限が解除されたのはソ連が崩壊した1990年代の初めだったという。

そして「知られざる巨匠」としてクラシック界でにわかに注目され、日本でもデンオンからCDが多数販売された。
ロシアのもう一人の巨匠、マリヤ・グリンベルクも同様の運命を辿ったことは今まで何度か記事にしたとおりである。

ドキュメタリーではヴェデルニコフの未亡人(ヴァイオリニスト)のインタビューが収録されていた。
彼女が夫、ヴェデルニコフについて語ったことで、印象に残ったものを下記に挙げておきたい。

「あの人は、全ての不運とさまざまな困難をじっと耐えていました。(中略)しかし彼は果敢に耐えていたのです。他のことに取り組んで、じっと我慢したのです。読書をしたり外国語を学んだり。そして自分にとって一番大切なものが色あせないように努力していたのです」

「あの人はバッハを本当によく研究しました。彼はパルティータを理解するためには、バッハのカンタータを研究しなければならないと考え、全てのカンタータに取り組みました。それは途方もない量です。彼と他の多くの演奏家との違いは、彼が徹底的に研究した点だと思います。それぞれの音符の意味を読み取り、ハーモニーの中で、1つの音符が何故そこにあるのかを見極めました。彼の演奏を聴くと、そこまで理解していたことが聴こえてきます。」

「演奏中の彼は、とても静かに座っています。彼は自分が奏でる音の結果を聴いているのです。大きく体を動かして演奏する人は、自分の音が聴こえていないか、あるいはその曲を本当には理解していないのです。ヴェデルニコフの演奏は、聴衆には少し不愛想に見えたかもしれませんが、今その演奏を聴くと、情熱の大きなほとばしりを感じることが出来るのです。」

今日、ヴェデルニコフが1969年代終わりから1970年代前半にかけて録音した、ベートーヴェンのピアノソナタ第31番と第32番を約10年ぶりに聴いた。
それはまさに「抑制された、端正で明晰な中に、情熱の大きなほとばしりを秘めた」演奏であった。
レベルは超一流と言っていい。
第31番のエンディングは多くのピアニストがやっているような速度を緩めることなく、王道を極めたものであり、同じ旧ソ連時代に活動したピアニスト、マリヤ・グリンベルクやスヴャトスラフ・リヒテルと共通するものを感じた。脳が覚醒してくる。

VEDERNIKOV, Beethoven Piano Sonata No.31 in A flat major Op.110


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