緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

毛利蔵人作曲「アナモルフォーズ」を聴く

2018-06-09 22:46:23 | ギター
2週間前に初めて練習に参加したマンドリン合奏の団体のホームページで、1970年代から現在に至るまでの定期演奏会の演奏曲目を見ていると、私の好きな現代音楽作曲家の名前が目に留まった。
毛利蔵人(もうりくろうど 1950-1997)である。
定期演奏会の曲目は、マンドリンオーケストラのための組曲『信長 -KING of ZIPANGU』(委嘱初演)/毛利蔵人、となっていた。

NHKの大河ドラマ『信長 -KING of ZIPANGU』のテーマ曲を作曲したのは毛利蔵人である。



このマンドリンオーケストラのための組曲は毛利蔵人自身がマンドリンオーケストラ用に書き下ろしたのであろうか。
この時の定期演奏会が1995年であったから、作曲家自身は存命であったので本当のことかもしれない。

作曲家の毛利蔵人(1950-1997)の名前を知ったのは大学時代だったと思う。
当時、全音のギターピースから出ている邦人作曲家の曲を集めていた時で、ピースの裏表紙の曲目カタログに毛利蔵人の名前を目にしたのが最初だった。
「アナモルフォーズ」(1977年。被献呈者:荘村清志)という曲だった。



ちょうどこの頃、全音のギターピースが出版停止となった頃であり、この「アナモルフォーズ」は既に売っていなかったが、ずっと後になって中古楽譜で手に入れることが出来た。

Youtubeで毛利蔵人のキーワードで検索しても、世界名作劇場の「赤毛のアン」で三善晃と共に作曲した劇中音楽が出てくるのが殆どで、彼の本領である現代音楽は殆ど出てこない。
毛利蔵人が「赤毛のアン」の劇中音楽の作者でしか殆ど知られていないのは残念だ。

毛利蔵人の音楽に触れるきっかけとなったのが、彼の唯一のギター曲である「アナモルフォーズ」であったが、他にもフォンテックから出ている作品集で、「待ちながら」、「冬のために」、「ディファレンス」などの作品に出会った。
これらの曲については、だいぶ以前に記事にしたと思う。
私はこれらの曲は根本的に好きだ。



彼は生活のために映画音楽やドラマなどの音楽を作ったけれど、先にも述べたように本領は現代音楽にあったことは間違いない。
完全な無調音楽。
不気味で難解で、音楽の意図することが読み取りにくく、理解に苦しむ音楽である。
「アナモルフォーズ」は未だましであるが、他の曲、例えば弦楽などの曲は聴いていて寒気すら感じる。
恐らく多くの人が耳を塞ぎたくなる音楽かもしれない。

「アナモルフォーズ」は毛利蔵人の初期の作品である。
毛利蔵人は都立高校卒業後、音楽大学には進まず、独学で音楽を習得したと言われている、働きながら三善晃に師事し、作曲活動をした。
「アナモルフォーズ」はそのような時期に作曲されたと思われる。
荘村清志が三善晃に「エピターズ」などのギター曲を作曲してもらった縁で、毛利蔵人と出会ったのかもしれない。

「アナモルフォーズ」とは一般的に 絵画の分野で歪んだ画像(歪像画)のことを言う。
遠近法の性質を逆利用して、絵の正面など通常の視点から見ると、歪んで見え、絵の端など特殊な1点から眺めたときだけ正常に見えるように描かれた絵(インターネットより引用)のことらしい。
作曲者はこの曲について、「ひとりの希有な演奏家が、楽器と一体化することによって生じる世界へ、誘われるままに入って行くと、そこに照射された私自身の歪んだ像(Anamorphose)が結ばれる。
」、「その様な世界を識った事が、音を定着される作業をさほど困難に感じさせなかった」と言っている。
このコメントがこの曲を理解するうえでの唯一のヒントであるが、あとは実際に録音を聴いたり、自分で演奏するなりして、自分の感覚だけをたよりにこの曲の意味するところを長い時間をかけて理解しようとしていく他はない。
(録音はフォンテックから出ている佐藤紀雄氏のライブ録音がある)
これが普通の調性音楽と根本的に異なるところで、現代音楽にもいろいろあるが、薄っぺらいものや、先日紹介したバークリーの「一楽章のソナタ」のように理解しやすいものは別として、この「アナモルフォーズ」のような曲は、調性音楽に対する鑑賞の仕方をまずは白紙にして、全く無の状態で聴いていかないと多分聴いていて嫌になってしまうのではないか。
でも私は現代音楽の持つ独特の不気味さや哲学的難解さ、負の感情が漂うあたりが好きで、時々この種の音楽を聴く。

この曲について感想を具体的に書けるほどの理解に程遠いのであるが、曲のイメージとしては動と静、激しい部分と静かな部分の対比が顕著、静かな部分はハーモニックスを多用していることに特色がある。











特殊奏法、タンボーラが2か所、表面板へのノックが1か所出てくるが、派手な奏法、例えばブローウェルの前衛音楽に出てくるようなバルトーク・ピチカートなどは出てこない。
表面的な奇をてらったような現代音楽とは一線を画す、深い内面的な音楽である。
ハーモニックスの多用、難解な音価の使い方、動と静の対比、不気味さなどから、私の好きなもう一人の現代作曲家である野呂武男(1925-1967)のギター曲に共通しているものを感じる。
下記は彼の代表作で最高傑作でもある、コンポジションⅡ「離と合」のうち、「合」の一部の譜面。





「アナモルフォーズ」を聴いていると、現代音楽にはその領域で様々なものがあることに気付かされる。
形式的な奇抜さを狙ったものが多いが、そのようなものは早晩聴いていて醒めていくものだ。
(例えばブローウェルの「永遠の螺旋」)
聴けば聴くほどに新しい発見、理解が深まったことに嬉しさを感じられるものがいい。
とてつもなく、深い思索、感性、論理的思考から生み出された創造物であることにいつか気付くことを期待し、時間をかけて聴き続けたい。
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