緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

札幌演奏会終わる

2024-08-18 23:37:12 | マンドリン合奏
16日、所属する千葉マンドリンクラブと札幌マンドリンクラブのジョイントコンサートが札幌コンサートホール「キタラ」で開催され、出演してきた。

13日に出発。台風が北海道に近づいてきており、欠航の可能性もあったが若干の遅れがあったものの無事到着することが出来た。
宿泊は実家。翌日14日に、1か月ほど前に入院した母の見舞いに行く。
状態はだいぶ悪かった。病院は実家から車で20分くらいの周囲が牧場や畑の多い辺鄙なところであった。実家に住む兄がお盆でも土日以外は出勤だったので、タクシーで行った。
重篤患者以外の病室はエアコンが無いという病院で、主治医も頼りなかった。

お盆だというのに日中はかなり気温が高かった。
実家にはエアコンが無いので、夜は室温30℃の熱帯夜。かなり体力を奪われた。全身汗だくで寝苦しく、また乾燥肌の猛烈なかゆみの襲撃を受け何度も目が覚める。

15日は本番前日の合奏練習であった。
13時から練習会場を使用できるということで、午前中に少し練習した。
札幌マンドリンクラブとジョイントでやる曲(序曲とタプカーラ)は事前にダビングしておいた練習録音を聴きながら練習する。序曲は札幌マンドリンクラブが提供してくれた練習録音を使った。結果的にはこれがすごく役にたった。
千葉マンドリンクラブが単独で演奏する曲(組曲と彷徨える魂)も練習録音を活用した。

13時ちょっと前に会場に着くように出かけたが、札幌駅から地下鉄東豊線に乗り換えるときにルートを間違えたようで地下鉄の駅まで10分以上もかかってしまった。
それでも会場の最寄り駅を降りたときに、千葉マンドリンクラブのメンバーで同じ大学出身の先輩Nさんの姿を見たのでほっとした。
地上に出てからNさんが待っていてくれて、高校時代のマンドリンクラブの初めての定期演奏会をこの会場でやったんだよなどと教えてくれた。
練習会場は区役所と併設した区民センターに中にある施設であったが、昔ながらの会場という感じ。このような施設は東京都内でも結構ある。

会場に着くと、既に何名かの方がたが椅子などのセッティングをしていた。
同じギターパートのWさんやTさんも来ていて、お互いに道中のことなどを話し合う。
残念なことに同じ大学出身のKさんが来れなくなったという話を聞いた。

14時に千葉マンドリンクラブの単独演奏の合奏練習が始まる。
指揮者より、随所での確認事項が指示される。最後の最後までウィークポイントは明確にして、認識しておくにこしたことはない。本番で脳の神経回路が発動してその部分に意識が向けられるからである。
いつも合奏練習のときは私はあまり人と会話しないのであるが、この日はいつもと違って何故か会話が弾んだ。母のこともあるが、今日、明日はそのことを忘れさせてもらって、せっかくの機会なのだから気持ち切り替えて楽しもうという前向きな心境になっていた。

18時から20時まで札幌マンドリンクラブとの合同合奏練習。
大方が初めて会う方がたであったが、母校マンドリンクラブのOBも何人かいた。
隣の席に札幌マンドリンクラブの年配の方が座った。
札幌マンドリンクラブが提示した曲、序曲(吉水秀徳作曲)は変拍子の多い曲。この変拍子に慣れるまで結構苦労した。指揮は札幌マンドリンクラブの指揮者で、私の出身大学のOBのSさんで50周年、55周年記念演奏会で共に演奏させていただいた方だ。
吉水氏は私より3つ上の方であるがほぼ同世代。鈴木静一から始まり、熊谷賢一、藤掛廣幸、帰山栄治といった作曲家の後の世代であり、曲想は親しみやすさを感じさせるものであった。
序曲を演奏していると、途中のテンポがゆるやかになる部分で、かすかに60年代後半から70年代の日本の雰囲気を感じさせる部分がある。
日本が右肩上がりで成長していた、国民皆が活気に満ちていた時代だ。
夕暮れ時、電灯が灯り始め、外でやんちゃに遊んでいた多くの子供たちが家に帰り、家族全員で食卓を囲んでその日の出来事を話す、そんな暖かさを感じさせる昭和の良き時代の断片を感じさせてくれるのである。
勝手な想像であるが、作曲者は自らの子供時代から思春期に過ごしたさまざまな体験で刻まれた記憶から沸き起こる感情をこの曲のモチーフにしているのではないかと感じられるのである。

この曲の札幌マンドリンクラブと千葉マンドリンクラブの解釈はこの上記中間部の解釈で大きな違いを感じた。札幌マンドリンクラブの方がよりテンポがゆっくりであり、この回想的感情をより細部渡って表現し聴き手の心に届けようとしているように感じられたがどうであろうか。
しかし演奏すればするほど色々な感情的な気付きが得られる曲のように感じる。

ジョイント2曲目はタプカーラ第1楽章(伊福部昭作曲)であった。指揮は千葉マンドリンクラブの客演指揮者のKさん。
この曲はもともと管弦楽の曲を遠藤秀安氏が編曲したもの。いかにも伊福部昭が作曲したという曲想であり、代表作「交響譚詩」を彷彿させるフレーズも何か所かある。
この曲も変拍子がふんだんに採用されていたため慣れるまで時間を要した。ただ同一パターンが多かったため、難曲という感じはしなかった。

札幌マンドリンクラブのメンバーが加わったため、多少緊張した。普段間違わない箇所をミスしたりしたが、概ねふだん通りの演奏をした。
合同合奏練習が終わり、隣に座っていた札幌マンドリンクラブの年配の方の顔を初めて見たら、何と私の学生時代の先輩のAさんではないか。
人見知りのため初対面だとすっかり思い込み顔も見ていなかった隣の方がAさんだったとは夢にも思っていなかった。
Aさんから開口一番、「音がでかい!」。「いやいやこれが普通ですよ。そういえば学生時代から私は音が出かかったではないですか」と切り返した。
「今どこに住んでるの?」、「関東某県で、千葉マンドリンクラブの練習会場までこの路線で2時間以上かかるのです」、「その路線、何回か乗ったことあるよ。留まる駅が多くてね」。以外にもAさんはこのマイナーな路線を知っていた。
また大学時代の後輩のベース、O君がいることにも初めて気づき、再会を喜ぶ。

合同練習が終わり帰路についたが、帰りが勤め帰りの兄とほぼ同じタイミングだったので、帰りは最寄り駅から2人でタクシーで帰った。
家でビールとワインを飲む。寝たのが12時頃であったが、1時半に目が覚める。暑さもあるが普段から眠りが浅く、不眠傾向なのだ。本番直前だというのに1時半から3時半まで一睡も出来なかった。
5時50分の目覚ましで飛び起きる。パンとバナナだけ食べて出発。たまたま通勤の兄と一緒に札幌に向かうことになった。
キララホールは札幌中島公園の奥にあった。中島公園は子供の頃に北海道神宮祭で来たことがあるくらいで、中に入ったことはあまりなかったがかなり広い公園だ。
キララホールに着くと、母校マンドリンクラブの先輩Kさんが来ていたので55周年記念演奏会以来で言葉を交わした。
しばらくすると後輩のTがタクシーでやってきた。重たいダンボール箱の運搬を手伝うよう指示される。ダンボール箱を運び終えたのはいいが、自分のマンドリンを外に置いたまま忘れてしまったようで、後から来た方が持ってきてくれるまで自分でも気が付かなかったようだ。

9:30からリハーサル開始。
400人ほどの収容の小ホール。舞台はトッパンホールと同じくらいと感じた(後で客演指揮者のKさんも同様のことを言っていた)。
とにかくスペースが狭い。しかし合同ステージでは指揮がはっきり見える位置に座れたのは良かった。
リハーサルではタプカーラで、ここは絶対に音を入れてはいけない箇所で音を出してしまった。慣れない環境だと平静さを失うことがある。
しかし今回は失敗しても不安はなかった。何故ならば、本番で同じミスをすることはないからだ。
同じ千葉マンドリンクラブのギターパートのTさんの音が後ろからビンビン響いてくる。
私ももっと音を出していいんだ。昨日の大学マンドリンクラブAさんの一言は忘れることにしよう。
確かに冷静に考えてみると、札幌マンドリンクラブは小ホール、千葉マンドリンクラブや別の所属団体である東京マンドリンクラブは大ホールで演奏するので、音の出し方が根本的に違うのだ。
140人編成で2年に1回開催される大規模個展オーケストラの本番演奏録音を聴くと、ギターパートの音があまり聴こえてこない。20数名の人数でもある。
遠達性のある音作りはマンドリンオーケストラギターパートの課題でもある。

昼は弁当を用意していただいた。しゃけ弁当。ご飯大盛を注文していたが、60人以上の参加者で大盛を予約したのは3名のみだったとのこと。
食べる前はあまり食欲を感じなかったが、食べてみるとこれがおいしくあっという間に平らげる。
本番前まで少し時間があるので、練習をする。練習が終わったとき7Fのポジションマークが取れてしまって、跡形もなくなっていることに気が付く。これはやばい!。
1年前からポジションマークを使うようになった。それまで40年以上、ポジションマーク無しで弾いてきたが、演奏の確実性を確保するために使うようになった。
普段は用意周到でない私ではあるが、ギターに関しては結構、準備はしておく方で、万が一のために予備のポジションマークシールを持ってきていたので事なきを得た。ほっとする。

いよいよ本番。客席を見ると予想に反してほぼ満席ではないか。これは大成功の予兆か。
もしかして大学時代一緒に活動した連中も聴きに来てくれているのではないかという期待も膨らんだ。
演奏が始まると、両手の手の平に夥しい量の発汗が生じてきた。
緊張であろう。いつものことだと思いつつも手が滑らないことを祈る。
1曲目、「彷徨える魂」(ボッタキアリ作曲)は出だしの曲にしては上手く弾けた。
2曲目の組曲(二橋潤一作曲)は4曲の選曲。1曲目は概ねの出来。2曲目のアリアは最も思い入れのある曲。ギターパートは独奏曲として弾いても美しい曲であり、今回最も練習した曲だ。これも概ね上手くいった。
終曲のジーグは超難曲。1舜たりとも気を抜けない曲であり、単音中心の技巧を要する曲であるが、1か所少しズレてしまったのが今回の演奏では唯一の心残りとなった。
合同ステージの2曲は正直上手くいった。後でリハーサルで間違えておいて良かったと思った。
序曲の途中で、ギターのみ奏でられる短いフレーズも、いつも練習では上手く弾けなかったが本番では上手くいった。
フィナーレのタプカーラの終結部はかき鳴らしでガンガン、ボルテージを上げた。曲が終わった瞬間は満足感に浸れたのは幸いだった。

今回の演奏会は手に夥しい量の汗をかいたものの、珍しくほとんど不安は感じなかった。
演奏会は楽しまなければ意味はないと、始めから決めていたからであろうか。
音楽そのものに没入すればいいのではないかと思った。音楽と一体になれれば、雑念など生じる余地は無いのである。普段の練習もこの意識状態を作れるようにしていこうと思った。
演奏会終演後、ロビーに行ってみたが知っているかたは大学マンドリンクラブのOB会長のOさんだけであった。少し会話をしたが周りが大きな話声で充満していたため、殆ど聞き取れなかった。

打ち上げはすすきの駅の近くの居酒屋であった。
席の配置は札幌マンドリンクラブと千葉マンドリンクラブが交互の列になっていた。
私は千葉マンドリンクラブのTさんと共に、札幌マンドリンクラブの正指揮者のSさんとギタートップのKさんのいるテーブルの席に座らせてもらった。
Sさんとは1年前の大学マンドリンクラブ55周年記念の際に何度か話す機会があったが、演奏経験は豊富で、マンドリン音楽を相当聴いておられる方であることが分かった。
私が「序曲」の札幌マンドリンクラブの演奏解釈について肯定的、新たな発見があった旨をSさんに語ったが、Sさんはその言葉どおりに受け止めてくれていなかったようで、そのことが唯一今回の演奏旅行で寂しさを感じたことでもあった。

一次会のみの参加で申し込んでいたが、成り行きで2次会にも行くことに。
一次会の終わりで大学マンドリンクラブで一緒だったマンドリンのKさんも話しかけてくれて嬉しかった。
2次会も居酒屋であったが、カラオケでなくて良かった。
札幌マンドリンクラブの若い方とも少し話をした。1次会と同じく、向かいの席は偶然、札幌マンドリンクラブの指揮者Sさんであったが、マンドリン音楽中心の話題だった。
私は藤掛廣幸の「スタバート・マーテル」の話などをした。もっと静かなところで音楽談義をしてみたいと思ったが、居酒屋が騒々しかったのと明日朝早いため十分な会話が出来なかったのが残念であった。

2次会もお開きとなり、帰り際に札幌マンドリンクラブの代表で母校マンドリンクラブの先輩のMさんに挨拶しようとした瞬間、何とMさんの方から声をかけてくれた。遠いところを参加してくれてありがとうと言って下さった。私も楽しかったと謝意を言わせていただいた。
実家についたのが10時半。
明日の帰路の飛行機は運よく欠航にならずに済んだようだった(後から帰省してきた姉から聴いた話では月曜も便まで既に満席とのこと。欠航だったら帰りは火曜日以降になっていただろうに)。
12時過ぎに床に就き、翌日朝5時に目を覚ます。駅までのバスがないため、兄に無理を言って車で駅まで送ってもらった。
千歳空港に着くと、早朝にもかかわらず、大勢の観光客で混み合っていた。
楽器など特殊荷物専用のカウンターに行くと、普通の荷物を預けたり、無人チェックインを利用せずカウンターでチェックインを済ませようとしていた客が多数いて、手続きに時間を要した。
そのため、搭乗は発車間際になってしまい冷や冷やした。
それでも珍しく定刻発車、定刻到着だった。
羽田に9時過ぎに到着し、次の目的地である早稲田に向かう。
東京マンドリンクラブの合奏練習に参加するためである。
早稲田の日高食堂で中華丼を食べ、早めの昼食を取る。
練習会場に行く途中で東京マンドリンクラブの音楽監督のIさんと出会い、千葉マンドリンクラブの札幌公演の話などをする。
途中、昼休憩で昼ごはんに行く途中のギターパートの方がたと出会う。
練習会場に着いたら、意外にも何人かの方がたから話しかけてくれてとても嬉しかった。
普段寡黙な私にはいつになく、会話が苦に感じなくなっている自分がそこにいるのが感じられた。
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