緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

中央大学マンドリン倶楽部 第114回定期演奏会を聴く

2018-06-02 22:18:24 | マンドリン合奏
今日、東京三鷹駅から歩いて15分程の武蔵野市民文化会館小ホールで、中央大学マンドリン倶楽部 第114回定期演奏会が開催された。
この団体の演奏は4年ほど前に初めて聴いて大いに感動し、それからは毎回聴きに行った。
初めて聴いた演奏会のメイン曲は鈴木静一の「シルクロード」だった。
ただ昨年冬の定期演奏会は平日開催だったため、行けなかった。
学生時代に弾いた鈴木静一の「幻の国 邪馬台」がメイン曲だっただけに残念であったが、今回の定期演奏会は休日開催だったので行くことが出来た。
よって1年振りに聴くことになる。

今日の会場である武蔵野市民文化会館小ホールは八王子のオリンパスホールに比べれば小さなホールだったが、ほぼ満席に近い客の入りだったと思う。
恐らく私のように毎回聴くのを楽しみに来ている方もいるのであろう。
今日は意外にも高校生や大学生と思われる若い世代が多かった。
マンドリンオーケストラは社会人団体は現在でも盛況で多くの団体があるが、高校や大学は1970年代から1980年代前半の最盛期に比べれば下火となった感は否めず、今日の中央大学マンドリン倶楽部の人数も4年前に初めて聴いた時よりも少なかった。
マンドリン音楽の真の魅力にはまったら、なかなか抜け出せないほどの魅力のある音楽ジャンルなのに、大学生団体にかつての活況が見られないのは少し寂しい。
マンドリン音楽って、学生時代に経験していないと、その後の人生で持続できない不思議な音楽でもある。

さて今日のプログラムは下記のとおり。

第Ⅰ部

歌劇『仮面』序曲  ピエトロ・マスカーニ 作曲

『夜曲』  スパルタコ・コペルティーニ 作曲

組曲『ナポリの風景』  イルミナート・クロッタ 作曲

第Ⅱ部

『荒城の月による変奏曲』  藤掛廣幸 作曲

『星空コンチェルト』  藤掛廣幸 作曲

第Ⅰ部はイタリア人作曲家、第Ⅱ部は邦人作曲家、それも藤掛廣幸による曲という構成で、プログラミングもいつものようにこだわりの強さを感じさせる。
ただ藤掛廣幸の曲はこの4年間で聴いたことは無かった。
この団体ではあまり演奏しない作曲家なのかもしれない。
(以前買った過去の演奏録音には「星空のコンチェルト」があった)

1曲目の歌劇『仮面』序曲は、私の学生時代、3年生の時の定期演奏会で弾いた思い出の曲。



3年くらい前に母校の定期演奏会を聴きに行った時のプログラムにもこの曲があった。
(この定期演奏会で星空のコンチェルトも曲目としてあった。偶然か)
イタリア人作曲家の曲によくある、難しいパッセージのある曲だ。
ギターも難しい箇所がある。





学生時代、ここは何度も練習した。そしてこの部分を後輩に見せつけて優越感に浸ったものだ。
短調に転調するとギターパートはアルペジオの伴奏となるが、この部分もお気に入りで何度も弾いた。
懐かしい。



軽快でイタリアらしい曲。
音合わせが難しい。それだけに技巧練習は相当時間を積み重ねなければならないだろう。
今日の中央大学マンドリン倶楽部は極くわずかなずれはあったものの完璧に近い演奏だった。
中間部の長調の雄大な部分に心打たれた。
最後まで気の抜けない曲。高度な技術力に支えられていないととても鑑賞できるレベルまでいけない程の曲であるが、中央大学マンドリン倶楽部は練習の成果が十分に発揮された素晴らしい演奏だった。

2曲目の『夜曲』は静かで穏やかな曲。
指揮は副指揮者に代わる。
これもイタリアらしい曲だ。
伴奏のギターの音が柔らかく、いい音を出している。透明度の高い音。これが重要。
タッチに細心の注意を払っている。
マンドリン合奏にありがちなのは、かすれたタッチ。これはよく聴く。
ギターパートに求められるのは、柔らかく、透明度が高く、また曲想により、芯の強い太い音を出せることである。
かすれたメタリックな音は避けなければならない。
ギターのタッチは一朝一夕で出来るものでない。
今日の中央大学マンドリン倶楽部のギターパートはとてもいい音を出していた。
自己主張せず、マンドリンの音の背後から静かに浮かび上がるように響かせる。全体の調和を常に考えないと出来ない芸当だ。
このような音や響きの選択を考え抜いてきたことが感じ取れるし、地味であるからこそ、そこに逆に感動する。
マンドリン合奏に主役も脇役も存在しない。
マンドリン合奏でギターパートの役割の強さ、重要性を改めて認識させられる。
マンドリン合奏でギターが無かったら、とげとげしく、幅も深みも無い、つまらない音楽ジャンルにとどまっていただろう。

3曲目は4楽章からなる難曲だ。
指揮は4年生の正指揮者。
渾身の指揮。フレーズとフレーズの間の間の緊張感が尋常でなかった。
イタリアのマンドリン曲は日本人の感覚からするとつかみどころのないところがある。
とくにリズムがめまぐるしく変動するところが大変だ。
この曲も聴いていてそんな印象を持った。
だから演奏するのに困難が付きまとう。
第2楽章の短調の曲のマンドリンとドラの音が美しかった。
ただ音が美しいというのではなく、感情的な美しさ、と言っていい。
歌心というのだろうか。
最終楽章は動と静の対象の織りなす曲だ。最後は超絶技巧で締めくくる。

第Ⅱ部は藤掛廣幸の2曲。
思えばマンドリン合奏曲で初めて聴いたのが藤掛廣幸だった。
大学の新入生歓迎コンサートで聴いた「グランドシャコンヌ」だった。
その時の鮮烈な印象は今でもはっきりと憶えている。
演奏者達の指揮に合わせて揺れ動く様、演奏者の指揮を見る真剣なまなざし。
底から湧き上がってくるような感情のエネルギー。それも半端でない今まで感じたことのない強さであった。
80年代前半の学生時代に藤掛廣幸のメイン曲は全て弾いた。
ただし今日の最後の曲となった「星空のコンチェルト」は卒業後の90年代に作曲されたので演奏の経験はない。
今から10年前に母校の40周年記念演奏会があり、この曲が演奏曲目となった。
出演を誘われたが業務多忙で実現できなかった。今から思うととても残念だが。
出来ることならば、この曲も実際に弾いてみたい。
1曲目の『荒城の月による変奏曲』は初めて聴いた。
フルートが賛助として加わる。
出だしから主題に入らない。
ギターパートのソロから始まる。
このソロは上手かった。
箏を模したタッチ。力強い音。
西洋風(バロック風?)のリズムであり藤掛流のリズムでもあると感じたが、私にはこのアレンジはちょっと違和感を感じた。
長調の変奏も聴いていて藤掛色が滲み出ている。
編曲というより、荒城の月をテーマとした創作曲というイメージがする。

そして最終曲はマンドリン合奏曲の中でも上位人気曲にあがる『星空コンチェルト』。
この曲を初めて聴いたのは今から20年前の30代半ばだったと思う。
藤掛廣幸の事務所に直接注文して買ったCDで聴いた。
その時はあまり強烈な印象は感じなかった。
今から5年くらい前だったであろうか。
日曜日に仕事で出勤し、帰ってから何気なくYoutubeでたまたま見つけたこの曲の演奏を聴いて、冒頭の極めて美しい旋律とハーモニーに感動し、それからというものこの冒頭の部分を毎日何度も再生して聴く日々が始まった。1日20回くらい立て続けに聴き続けたであろうか。
季節は秋だったと思う。
この冒頭の部分があまりも美しいのである。マンドリンアンサンブルの極致と言っていい。
この曲は全てこの冒頭の部分のためにあると言っても過言ではない。
今日の中央大学マンドリン倶楽部のこの冒頭の部分に入る前の緊張感が物凄かった。
正指揮者が2ndマンドリン奏者に向きを変え、対峙する。
そして静かに指揮棒を振り下ろす。
2ndマンドリンにより、静かにあの感傷的な美しいメロディが奏でられる。
テンポはやや遅めで、フレージングも長めだ。
譜面の指示は、Andantino Grazioso con espressioneとなっている。
出だし3小節目から4小節目1拍目にかけてのアラストレ(グリッサンド)が難しい。
ここを正確に弾いていた。素晴らしい。



こういう所を譜面どおりにきちんと弾くのが、彼らの妥協を許さない流儀なのだ。
作者は星空を見て、何を感じたのあろう。
その気持ちがこの極めて美しい旋律とハーモニーを生みだした。
だた星空が美しかっただけとは思えない。
美しいだけではこの旋律は生れない。
私なりに解釈させてもらうならば、この旋律は心の痛みから生みだされたもののように感じる。
幸せを強く切望しながらも、それがかなわない切なさ。人を真に好きになっても、触れ合わない淋しさ、といったものを私は感じる。
この部分は聴くたびに強い感情を感じる。美しさだけではこんなに強い感情が湧き起ってくることは無い。
この旋律とハーモニーは日本人にしか生みだせないと思う。
外国人はストレートに感情を表現する。
しかし日本人は、とくに悲しみの感情は人に見せない。
独り、人知れず抑制された感情をしみじみと吐露する。
この冒頭の部分は作者がその瞬間の気持ちを音にしたのでなく、それまでに至る様々な人生の積み重ねの過程から回想され滲み出た気持ちが凝縮されたものではないかと思うのである。
今日の中央大学マンドリン倶楽部のこの冒頭の部分の演奏はとても感情に満ちていた。
長調に転調後、明るい雰囲気に転じるが、ここの部分を聴くと私は70年代頃の生活が蘇ってくる。
今日の演奏はフルートも加わっていた。
このフルートの音が随所で突き抜けるような鋭い音を出しており、演奏に深みを加えていたのが良かった。
途中バロック形式によるドラのソロからマンドリンへと変奏していく難所があるが、この部分ももたつくことなく軽快に力強い演奏をしていた。
1stマンドリンとセロのソロとギターの伴奏の部分が感情豊かに奏され、長調に転じた後、テンポは急速に高まり、最後は振り絞るように渾身の力で音を出し切った。

今日も素晴らしい演奏を観させてもらったし、聴かせてもらった。
アンコールのムーン・リバーで最後の演奏が終わり、帰路につく間ずっと感動が醒めることはなかった。
とくに今日の演奏会は強い感情が蘇ってきた。
何がこんなに聴き手に強い感情を蘇らせるのか。
彼らの音楽、それもマンドリン音楽に対する気持ちの強さなのではないだろうか。
演奏する曲の持つ、人間が生み出した気持ちの強さ、創作するまでの苦悩、曲の構成力、緻密さなどへの感銘、そのようなものに完全に同化するべくたゆまぬ努力をしてきたに違いない。
演奏に葛藤や迷いがあっては聴き手を感動させられない。
そのようなものが残っている段階で、いい演奏が出来るはずは無い。
技術的な面でも音楽表現面でもこのような壁を乗り越えてきたと感ぜずにはいられない。
自分も演奏するから分かるけど、ここまで持ってくるのがいかに大変なことか。
「音楽との完全な一体化」。
音楽が生み出す波長の波に乗ることが、どれだけ大変なことであり、またその実現がどれだけ聴き手に大きな感動を与えるか、今日の演奏会を聴いて改めて認識させられた。
指揮者の力みなぎる渾身の演奏者に対する導き、演奏者達の指揮者を見る真剣なまなざしに、彼らがこの日の演奏会にかけてきた強い思いを今回も存分に感じとることが出来た。
本当に素晴らしかった。感謝したい。

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