緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

小倉尚継作曲「陰旋法民謡による三つの女声合唱曲」より あいや節を聴く

2018-12-15 20:38:45 | 合唱
日本の中心部、例えば東京でもいい。
ここから向かってどの方角の土地に行き、暮らしたいか、と聞かれれば迷わず「北」と答えるだろう。
故郷の北海道から仕事場所として選んだ関東に出てきて30年以上が過ぎたが、故郷に帰省にするたびに関東と故郷との間、すなわち東北地方を何度通り過ぎたことだろう。
今は帰省は飛行機を使うが、昔はもっぱら鉄道だった。
青春18きっぷを使って帰省したことも何度かある。
鉄道は今は無き寝台列車が多かった。
新幹線を利用したときは、青森で一泊した。
3,000円で泊まれるカプセルホテルか、巴旅館と言ったかな、同じく3,000円で泊まれる古い畳の部屋の旅館をよく利用した。

関東から北と言っても栃木県は好きではない。
言葉も好きでないが、人間が、ちょっと我が強い感じがするのだ。思い過ごしかもしれないが。
しかし北に行くにつれ、福島県から何故か土地も人間も好きになれる。
昔。郡山駅に停車中の普通列車に乗った時のこと。
女子大生と思しき女性が話す方言がすごく土臭く、しかしとても素朴で、思わず笑ってしまったのだ。
また昔。普通列車で帰省したとき、八戸発青森行きのローカル線の社内で、若い女性が友達に「ジャージがあれば、何とかなるよ」と言っているのを聴いて、これも思わず笑ってしまった。
そういえば小学校6年生の時、ジャージばかり着て登校していたが、或る時先生からその地味な服装を褒められたことがあった。
中学3年生の時も体育のある時はジャージで通学した。
社会科の石森先生もジャージだったな。

帰省する途中で立ち寄った山形-左沢間の左沢線(フルーツライン左沢線)も良かった。
どこまでものどかで、のんびりしていて。
東京となんという違いだろう。
今年の7月から東京勤務になったが、駅や道路を歩く人の速度がなんて速いのだろう。
これだけでストレスを感じてしまう。
30年前に就職で東京に出てきたときも、東京の人は何でこんなに速くあるのか、まずそのことが異様に感じたことを覚えている。

30歳くらいのころ、東北地方1週の旅に出たことがあった。
今は廃止されたJRの周遊券を使って、宿はユースホステルだった。
一ノ関から碁石海岸、松島、浄土ヶ浜、酒巻、宮古、北山崎(断崖絶壁)、津軽半島の大湊から恐山(温泉有)、脇ノ沢(仏ケ浦)、弘前に戻って、そこから五能線に乗って五色沼と言ったかな、そこに寄って東能代、秋田の男鹿半島から山形、福島を経由して帰ってきた。
これ以外にもJRの路線は殆ど乗った。
岩泉線にも乗ったが、この路線も印象深かった。今は廃止されたようだ。
角館から乗った秋田内陸縦貫鉄道、これも今は無きレールバス、野辺地-二戸間の何線と言ったか忘れたが、これにも乗った。
この後、津軽線に乗り、三厩からバスに乗り換え竜飛岬まで行った。
風が強く寒くて、風力発電が点在していて。
山にも行った。
北八甲田、南八甲田、鳥海山。
鳥海山の帰りは迷いそうになった。
遭難者も出たという「祓川」というコース。
分かりにくい登山道。途中で「康新道」と言ったかな、その断崖絶壁の登山道に行きそうになって思いとどまった。

東北はどこに行っても好きになれた。
何故だかよく分からないが、自分に合う土地なのかもしれない。言葉も好きだ。
東北の人は寡黙の人が多いと思う。
昔知人から、北海道や東北は寒いから寡黙な人が多いんだ、と言われたことがあった。
全て当てはまらないと思うが、そういう傾向はあると思う。
少なくても関西の人とは全然違う。

今度東北を車で回ってみようと思っている。
東京勤務になってから車に乗る機会が減ってしまった。
車が駄目になってしまう。
車はコンスタントに乗ってあげないと、寿命が縮まってしまうのだ。

さて前置きが大変長くなってしまったが、今日紹介する曲は合唱曲で、小倉尚継作曲「陰旋法民謡による三つの女声合唱曲」より あいや節という曲。
録音は青森西高等学校の演奏で、この学校の指揮者である小倉尚継氏の作詞、作曲だと言う。
Youtubeで見つけた録音が初演らしい。

伊福部昭の「ピアノ組曲」を彷彿させた。
日本陰旋法を使った曲だ。
しかし「あいや節」は津軽地方に古くから伝わる民謡だ。
「あいや節」からインスピレーションを得て作られた曲だと言っていい。
後半にねぶた祭の雰囲気を思わせる箇所がある。
ねぶた祭は北八甲田登山の帰りに見に行った。
熱気のある踊り。若い人たちの舞はエネルギーが強く発散される。
ねぶたは伊福部昭の「ピアノ組曲」にも出てくる。
この曲の作者は日本の陰旋法の音楽にとても強い愛着を感じていたと思われる。
「あいや節」の原曲を聴いてみると陰旋法ではない。

この日本独自の「陰旋法」は日本人のDNAに刻み込まれたものだ。
今の時代、陰旋法の曲を作る作曲家はいなくなったが、それでも今の日本人の心に深く染み入るものがある。
日本という国の閉鎖的環境から生まれた独自の感性を持つ音楽。
夜の静寂、わずかな風の音にも敏感に風情を感じたに違いにない昔の日本人。
四季折々の風景を感じとる余裕のあった昔の人々。
素朴なものに価値観を置き、意識せずとも重視していたに違いない。
この「陰旋法」に華やかなものは無い。

青森西高等学校の演奏は昔の歌い方だ。
昨今の表面的な賞を意識した歌い方ではない。
歌い手の中心から無心に放出される音楽だ。
今の高校生の演奏の中には、真の感情からほど遠い表層的な形だけの上手さにとらわれたものが多い。辟易する。大きな音量が耳障り。
賞なんて廃止してしまえばいいのだ。
そこから本当にいい演奏が見えてくる。

昔の人の感性ってすごいと思う。
貧しく不便でいつでも幸福感を感じることが出来なかったからこそ、持つことの出来た感受性だと思う。
歩きスマホでゲームをやっているような時代には決して生まれ得ない音楽である。

青森県立青森西高校「陰旋法民謡による三つの女声合唱曲」より あいや節


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Michel Polnareff Le Bal Des Lazeを聴く

2018-12-15 01:40:08 | その他の音楽
最近、1970年代の頃の記憶が蘇ってくる。
何気なく浮かんできた音楽、それは随分と長い間記憶の底に埋もれていたものであるが、何かのきっかけで心に流れてきて、その音楽を聴いていた頃の時代を思い出すのである。
今日、浮かんできたのはミッシェル・ポレナレフ(Michel Polnareff)というフランスのシンガーソングラーターの曲。
1960年代後半から1970年代にかけて活躍したミュージシャンだ。

ミッシェル・ポレナレフを初めて聴いたのが中学1年生の秋から冬にかけての頃だったと思う。
当時の姉が熱狂していた。
それで私は自然にこのミュージシャンの曲を聴かされていたのだ。

一番好きだった曲は「Le Bal Des Laze」という曲。
ミッシェル・ポレナレフにしては暗い曲だ。
この暗い曲を中学1年生の時の大晦日の日の夕方、姉がラジオから録音したカセットテープを粗末なテープレコーダーに入れ、部屋の電気を消した暗い部屋で聴いていた光景が思い出された。

この後1、2か月でクラシックギターに出会い、これに熱狂し、それから40年以上この楽器と付き合うことになった。
音楽に目覚めたのはやはり姉の影響だ。
幼い頃は、よく姉の弾くピアノを自然に聴かされていた。

ミッシェル・ポレナレフは明るい曲が殆どです。
下記にYoutubeで見つけた「Le Bal Des Laze」と明るい曲を貼っておきます。

Michel Polnareff ~ Le Bal Des Laze


渚の思い出【訳詞付】- ミッシェル・ポルナレフ
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