緑陽ギター日記

趣味のクラシック・ギターやピアノ、合唱曲を中心に思いついたことを書いていきます。

社会人マンドリンクラブ忘年会参加

2018-12-24 21:26:25 | マンドリン合奏
昨日(23日)、今年5月に入会した社会人マンドリンクラブの今年最後の練習と忘年会があった。
練習は来年6月の定期演奏会のためであり、まだ始まって数回というところ。
この団体は今年5月に開催された大規模演奏会の打ち上げで同じパートメンバーの何人かからいくつか誘われた複数の団体のうちの1つであったが、選曲の志向が自分に合っていることと、誘ってくれた方たちがいい人だと感じたこともあり、この団体に決めたのであるが、入部して本当に良かったと思っている。

昨日は最終列車に危うく乗り遅れそうになるまで遅くまで残ったのであるが、様々のメンバーたちと話すうち、この団体の人たちはマンドリン音楽が心底好きで、またマンドリン音楽の演奏活動を重要なライフワークにしているんだな、と感じさせられた。
やはり音楽大好き人間と話すのは楽しいし、こんなにいい人たちがいたんだと気付かされることもあった。

「何でもっと前からこういう活動をしてこなかったのだろう」。
今日、今の自分にはめずらしく落ち込んだ。
今までの人生を振り返ると、このような活動をする余裕が、精神的にも時間的にも無かった時代があったのは否定できない。
その時代にこういう活動に入っていったとしても長続きしなかったかもしれない。
しかしそれでも「何故、行動しなかったのだろう」と思ってしまう。
忙しかったこともあるが、何よりも自分が、人を信頼する力が弱く、欠けていたからであろう。

過去のことは必然的に起きざるを得なかった宿命だと受け入れるしかない。
今までのことも無駄ではなかったと言い聞かせ、今後はこれまで出来なかったことを経験できるように自分を持っていきたい。
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エルンスト・クルシェネク作曲「ギター独奏のための組曲」を聴く

2018-12-24 17:45:51 | ギター
楽譜をランダムに放り込んであるカラーボックスの中から何かいい曲がないかと物色していたら、外国人作曲家の手によるギターの現代音楽の譜面が出てきた。
だいぶ前に買ったものだが、弾くことも聴くこともせず、眠らせていたものだ(勿体ない!)。





曲名は、「SUITE fur Gitarre allein」(「ギター独奏のための組曲 作品164」)。
オーストリア出身の作曲家エルンスト・クルシェネク(Ernst Krenek、1900-1991)が1957年に作曲した曲だ。
この曲がYoutubeにないか探したところ、あった。
譜面付きの動画とライブ録音の2つあった。

Ernst Krenek: Suite Op. 164 for Guitar (Score video)


Ernst Krenek Suite for guitar Op. 164


この曲はまず短い5つの小曲から構成されているが、いずれも調性を持たないいわゆる無調音楽で拍子も一定でない。
聴いてみると、やはりこの手の音楽特有の難解さが際立つ。
要するにちょっとやそっとで理解されてたまるか、というような訳の分からない、つかみどころのない内容なのだ。
リズムや和声の使い方など、日本の作曲家でいえば野呂武男の曲のような形式といくぶん共通するものを感じたが、感情的なものは感じられない。
野呂武男の場合は、哲学的とも言える難解さの上に、恐ろしいほどの荒涼とした孤独感、悲痛さが感じられるのであるが、この曲はそのような要素はない。

エルンスト・クルシェネクのことをインターネットで調べてみた。
初期の頃は、新古典主義やジャズの影響を受けた作風だったという。
「ジョニーは弾き始める(Jonny spielt auf)」という歌劇の作品があり、Youtubeでも聴けるが、ジャズの影響を受けた音楽である。
その後、シェーンベルクの12音階技法の影響を受け、無調音楽へと移行していくが、次第に独自の作風を構築するに至ったようだ。

このような音楽は譜面とにらめっこして、とにかく何度も聴き続けるしかない。
何度聴いても本当の意図は理解困難なのであろうが、忍耐強く聴くことで何か掴めるものがあるかもしれない。
しかし聴き続けるといっても、よほど無調音楽が好きか、難解なものに取り組むことが好きな人でないと出来やしない。
こういう曲を聴く時間があったら、もっと美しい癒しのある音楽を聴いたほうがよほどいいというのが大方の音楽愛好家の意見であろう。
私も現代音楽は「これは」というもの以外は1,2回程度で聴いて、そこで終わってしまう。
ただ鑑賞というのではなく、難解なリズムやテンポの取り方などを得られるという点では大いに意味があると思う。
そのような聴き方(作曲家に対して失礼か?)で入っていって、もしかするとその過程から作曲者の意図の片鱗がおぼろげながらでも理解されるかもしれない。

ギター曲以外では、さまざまな種類の曲がYoutubeに投稿されていたが、ピアノソナタのなかでとても興味深いものがあった。
「ピアノソナタ第7番 作品240」でクルシェネクの晩年の作品であるが、この曲はなかなかだ。
譜面付き動画とライブ録音(といっても学生の仲間うちのコンサートのようなもの)があるが、まずはライブ録音の方がいいと思う。
この若い演奏者の演奏がとても上手い。
ピアノ線を擦って独特の音を出しているのが面白い。

Ernst Krenek, Sonata for Piano Nr. 7, op. 240 PART 1


Ernst Krenek: Sonata for Piano Nr. 7, op. 240 PART 2


クルシェネクのピアノソナタでは他に第2番と第3番が聴けたが、第2番はマリア・ユージナ、第3番はグレン・グールドの演奏で、両方ともすごい演奏だ。
第2番は調性音楽と無調音楽とが交錯し、作曲者の作風の確立の途上にあったことが伺われる。
第3番は調性の要素はほとんど見られなくなっている。

第7番のYoutubeのライブ録音を見ていると、小学校か中学校の時に見た恐怖映画を思い出した。
その頃ヒットした「ある愛の詩」という映画で主役だった女優が主演したとても怖い映画だったのだが、この女性の学生寮で連続殺人事件が起き、この女性の、犯人と思しき恋人の男性が音楽学科の学生で、実技試験で自ら作曲した不気味で訳の分からない現代音楽をピアノで揚々と弾くのを見て、試験官たちがもううんざりという表情で不快感を示していたシーンだった。
現代音楽って、一般的にはそのようにみられる傾向があるのかもしれない。

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