世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

有給前夜

2024年06月25日 23時05分32秒 | Weblog
今朝、パン屋さんでランチを買った。
支払いは自動支払機にお財布の中にある小銭をぜんぶ入れた。
そしたら詰まってしまったもよう。
店員さんが入金金額を確認、慌てて電卓でおつりを計算し、おつりを出そうとしたら、まさかの釣銭切れ。
奥から棒状態の硬貨を出してきてフィルムを剥し、金銭授受が完了。
…私の背後にできた長い列を見ぬ振りをしてパン屋を脱出。
現金主義者の生きづらさよ…。

アンラッキーは続くもので、区から会社経由で出される「給与所得等に係るなんちゃらかんちゃら通知書」。
そろりそろりと剥がしたにも関わらず、糊が濃かったせいで紙面が破けてしまい、肝心の数字が判読不可能になった(先週)。
区に電話をかけ再発行してもらったのだが、またしても数字が破けてしまう。
また電話をかけて再発行の依頼をした。
「糊付けしないでそのままください」とお願いしたのだが、それは不可能らしい。
紙面の「給与所得」のところが特に著しく破けている。
霞のような金額だが一層儚く思える…。


明日は有給取得。
夕ご飯はサクッとおうちで。
レトルトのご飯と野菜丼。そしてファミリーマートの唐揚げ。



明日、有給を使ってお出かけする旨を家族LINEで報告したら、母から「扇子を持って行った方がいいよ」とアドバイスを受ける。
母が言うことは絶対なので、持っていく。
私の扇子はハイセンス。


10年以上前に広島の安佐動物公園で買ったもの。
棒を振り回すカンフーベアことツキノワグマのクラウド君見たさに10年以上前、訪れた記念に購入。大切に大切に使ってる。
隙間が多いのであまり涼しくないけれども!!




渡部潤一先生が横浜そごうで開催されているKAGAYAさんの展示会に行かれたもよう。


すべての人身事故が自殺とは限らないけれども、もし自殺だったら、うん。あのKAGAYAさんの写真に広がる宇宙や夜空を見たら、思いとどまってたのかな。
KAGAYAさんの写真のすごいところは、日常の延長線上に「こんな綺麗な世界があるんだ」と思わせてくれるところ。世界観の拡張を感じさせてくれる。
毎日会社と家の往復で単調な生活を送っていても、夜の帳が下りる帰り道に空を見上げると「このどんよりとした空の上にもKAGAYAさんの作品のような宇宙が広がっているんだよね」と。まさに渡部先生が仰るように「気づかないだけなのです」なのだ。


先週、先々週と映画「あんのこと」を観て、自殺について考えることが増えた。
ラスト、主人公・杏は「飛んで」しまったけれども、もし自分を取り巻く世界がもう少し奥行があるものだと認識できていたならば、結末は違っていたかもしれない。

でも、一昨年、希死念慮を抱いてしまった身としては、不安と恐怖で視野が狭くなり、「(この状況を終わらせるためには)死ぬしかない」としか思えなくなることを知っている。磁力を持った線路に吸い込まれそうになるんである。
いくら外野が「世界はもっと広いよ」とか言ってくれても、何も響かない。

何が言いたいかというと、自殺のことは自殺した本人にしかわからないということ。
他人には分からない。
でも、誰かひとりでも案じてくれる人がいると思いとどまれることもある。
実際、私がそうだった。
「毎週金曜日、心療内科のクマ医師に会うのが目標」にして2年ほどをやりすごしていた。
医療行為、相手はプロなので思い切り懐を借りた。

そうこうしているうちに状況が変わって、今、こうして楽しく生きている。

思い悩んで視野が狭まる前に、KAGAYAさんの写真を見て死なずに済む人がいれば良いなと願う
そのぐらい説得力のある作品の数々だ。



ひとまず明日はお出かけなので早く寝よう。