世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

懐古という切り込みを入れたとき

2012年11月06日 23時23分10秒 | Weblog
昨日に引き続き、今日もセピア色の秋の思い出を手繰り寄せる。
今日は中学時代。

1年生では文化祭の一コマが印象深い。
夏に我がクラスに教育実習に来た大学生I先生が文化祭に遊びに来た。
彼は相変わらずリーゼント頭でテラテラと光るスーツを着用していた。しかもグラサン。夏よりパワーアップしちゃっていた。
数ヶ月ぶりに会ったにもかかわらず、彼は気さくに話しかけてくれた。
バザーで買った小説を
「へえ。こんなの読むんだ」
とぺらぺらと捲っていた彼の仕草など。
その後彼は塾の先生になり、私は2年生の夏期講習から彼の世話になったのである。


2年生の文化祭では、「人体神秘の世界」と称した段ボールの巨大迷路を作成した。
口から肛門までを再現。担任が理科の先生だったから。
私は、小腸の担当。ビニールの手袋に綿を詰め込んだ柔突起を大量に生産した。
毎晩七時まで残って作成した。

またこの年には林間学校もあり、那須に二泊三日滞在。
「副班長、楽だもんねー!」と意気揚々と副班長になったはいいが、当日、班長がまさかの休み。
他人任せでスケジュールなんて把握していない私がグループ行動の陣頭指揮を取ることになり、もう、本当に散々であった。
我々のグループは宿泊施設より少し歩いた山中のテントに停まった。
翌朝、ランタンの蓋がない。捜していたら、施設で私たちの帰りを待っていた先生に、すげー怒鳴られた。
「心配したんだぞ!」
って。
あのときは本当に怖かった。山越えて帰りたかった。
それから「那須」という単語を聞く度に私の心はどんよりと曇ったものである。


3年生では、文化祭はなくて、体育祭があった。
リレーで、好きな男子にバトンタッチ!
フォークダンスで好きな男子の手を握り、高揚の嵐。
しかも終焉には、彼のはちまきを強奪しようと企画したり、けっこう今よりも大胆な子であった。
今の干物っぷりからは想像もできないぐらいに。
これは、当時のトレンディドラマドラマの影響によるものだと思う。
今見ているドラマったら朝のNHKドラマ「純と愛」ぐらいだものな…。

そして、それらのイベントが終わる晩秋。
受験モードに切り替えた。
毎月、新聞社が主催する模試があり、その状況で志望校を決める。下野模試、栃木模試。あのときが多分人生で一番頑張った期間かもしれない。




その後、何回も秋を潜り抜けた。
就職してからは、特にこれという秋のイベントはなくて、精々第2四半期決算の開示ぐらいだろうか。
あと個人的にボジョレーヌーヴォーを楽しむぐらいだ。

このままいくと、これからもずっとこうなのかもしれない。
しかし、毎日同じような日々でも、何かしら去年の同時期とは違うことがあるので、この生活に飽きを感じたことはない。



今日は、会議の前に自宅にいるであろう会長に電話をした。
「会長、そろそろ予算会議のお時間でございます。よろしくお願い致します」

すると彼は
「うぐ!…しまった!…ありがとうごじゃいます」
と絶叫。既に寛ぎモードにだったのかもしれない。


去年の自分にはなかったこの仕事。
「会長が会議を忘れるわけないだろう。ったくこんな業務、私に頼むなよ…」と思っていたが、けっこう重要なのかもしれない。


そんな彼が前に言っていたこと。
「1年経てば会社も1年、年齢を重ねます。皆さんには、ぜひ会社のアンチエイジングをお願いしたいです」
と。

去年より今年、今年より来年。


もっとミクロ的視野で、
昨日より今日、今日より明日。


秋の夜長に懐古という切り込みを入れたとき、関東ローム層のような綺麗な縞々が見られるよう生きていきたい。


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