世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

大人の特権で修学旅行を語る

2010年10月25日 21時51分32秒 | Weblog
月曜日は全体朝礼があるので、いつもより15分ほど早く家を出る。
「ひーこらひーこらばひんばひん(←茶魔語)」と言いながら会社に到着する寸前で、財前教授の総回診ばりに他の建物からこちらの建物にやってくる社長・副社長・●●●ィ~(部長)の姿を目撃!え?もう来ちゃった???早くね?

今日はパートさんがいなかったので彼女の分の仕事を補うべく、朝からバタバタしていた。そのまんま、午後からは、全店分のお歳暮のリストをチェック。吉熊上司、後輩女子Cちゃんと一緒に。集中していた吉熊上司が途中、「ああ、もう、頭がぐらんぐらんしちゃうよ~」と言って頭を回転させる様子が面白くてCちゃんと爆笑。

月曜日からエンジンフル稼働だぜ。
ああ、疲れた。
帰り道で母ヨーコたんに電話。
奈良について語る。
私の中学時代の修学旅行の話になった。

1992年7月7日から2泊3日で開催された修学旅行。
初日は担任ツネヲ(理科教師)の趣味で大阪の海遊館。そして四天王寺、大阪城(バスの中でたこ焼きを食した)。
最終日は二条城と清水寺と三十三間堂。
旅館は京都駅前の佐野家という旅館だった(この記憶力、すげー)。

初日と最終日はクラス行動だったのだが、中日はあの中学校で初の試みだと称されたグループ行動!14歳の子供たちだけで知らない街を歩かせるって、今から考えるとけっこうディンジャラスじゃね?修学旅行当日まで何度もグループ内での打ち合わせをし、そしてしおりの作成をした。
雀宮から1駅先にある宇都宮に子供たちだけで行くにもドキドキだったあの頃。私だけではない。きっとあのクラスの大半の子がそうであっただろう。それがいきなり「自分だちだけで京都から奈良へ行く」だの「京都市内を観光せよ」って…。ハードル高すぎ。今の私だってドキドキするし頭を使う。
当時はネットなどなく、時刻表と地図、旅行本だけを与えられただけ。限られた情報に触れながら、まだ見ぬ京都・奈良という土地に思いを馳せる宇都宮市の中学生。「関西の薄味ってどうなんだ?」「八つ橋って何?」「舞妓さんに遭遇できたらいいね」、…修学旅行が近づくにつれて友達の間ではそのような会話がなされていた。

当時からぼんやりしていた私は皆の計画に従っていただけだった。成績表の主体性や自主性の欄はいつも空白だった。とにかくぼんやりしていた。ぼんやり病だったのかもしれぬ。そういう病があれば。
グループのデキル子たちが「近鉄奈良駅がどうのこうの…」って話しているのを不思議な気持ちで聞いていた。結局、春日大社、東大寺を回り、京都に帰って金閣寺に行った。もう18年も前のことになってしまったので記憶は薄れてしまったけれども、金閣寺へ続く道の両脇に茂っていた青葉の美しさだけは生涯きっと忘れないと思う。その緑のトンネルを歩きながら私は初めて「楽しい」と感じた。

雑多な日常に沈んでいくあのキラキラした思い出。
バブリーな金閣寺にも負けない私の宝物。
14歳の初夏。
勿論、当時も友達同士でちょっとした喧嘩があったし、好きな人のことや受験のことについて悩んでいたはずだ。
でも、不思議とイイコトしか思い出せない。
イイコトだけを思い出せるのは大人の特権。
今という時代も、いつか将来思い出したら、イイコトだけを上手に抽出できるのだろうか。

コメント (8)