愛する家族を自らの手で殺めるということは、憎む人を殺めるよりも、辛い…ということを知った。
沖縄 慰霊の日特番「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷島~」
1945年、沖縄戦の“集団自決”で300人以上が犠牲となった渡嘉敷島。そのとき家族の命を奪ってしまった男性が語り始めた。現在82歳、認知症の症状が出て入院してもなお、64年前の“あの日”のことを思い続けていた。「なぜ家族を手にかけなければならなかったのか」。戦後64年、苦悩し続けてきた男性の心の軌跡。(NHK総合 22:45~23:28)
集団自決とは、「国家のために命を捧げよ 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである。
当時18歳だった金城さんは、64年前の3月28日、両親と幼い妹と弟を渡嘉敷島の谷で殺めた。
徹底的に叩き込まれた戦陣訓に則って。
結局、捕虜になった金城さんは、生き延びた。
自分が幸せと思うたびに、自分の手で殺めてしまった妹や弟を思い出すという。
「あの時、生き延びていれば…妹も弟も、今、幸せを味わえたのかもしれない」
金城さんが背負っているものが重過ぎて、涙も出なかった。
ただ、彼が語る「事実」に心が火傷したかのようにヒリヒリ痛んだ。
もしも、自分が家族を殺めなくてはならに状況に陥ったら、私は気が狂うだろう。
想像するのもおぞましくて、怖くて、苦しい。
そんなことを人に課したあの戦争って一体なんだったんだろう。
認知症になり、たどたどしくなりつつも、3月28日になると、那覇市内の病院の窓から渡嘉敷島を眺め、手を合わせる金城さん。
64年経過しても金城さんの戦争は終わっていない。
きっとずっと終わらないんだと思う。
誰にも終わらせることはできないのではないだろうか。
沖縄 慰霊の日特番「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷島~」
1945年、沖縄戦の“集団自決”で300人以上が犠牲となった渡嘉敷島。そのとき家族の命を奪ってしまった男性が語り始めた。現在82歳、認知症の症状が出て入院してもなお、64年前の“あの日”のことを思い続けていた。「なぜ家族を手にかけなければならなかったのか」。戦後64年、苦悩し続けてきた男性の心の軌跡。(NHK総合 22:45~23:28)
集団自決とは、「国家のために命を捧げよ 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである。
当時18歳だった金城さんは、64年前の3月28日、両親と幼い妹と弟を渡嘉敷島の谷で殺めた。
徹底的に叩き込まれた戦陣訓に則って。
結局、捕虜になった金城さんは、生き延びた。
自分が幸せと思うたびに、自分の手で殺めてしまった妹や弟を思い出すという。
「あの時、生き延びていれば…妹も弟も、今、幸せを味わえたのかもしれない」
金城さんが背負っているものが重過ぎて、涙も出なかった。
ただ、彼が語る「事実」に心が火傷したかのようにヒリヒリ痛んだ。
もしも、自分が家族を殺めなくてはならに状況に陥ったら、私は気が狂うだろう。
想像するのもおぞましくて、怖くて、苦しい。
そんなことを人に課したあの戦争って一体なんだったんだろう。
認知症になり、たどたどしくなりつつも、3月28日になると、那覇市内の病院の窓から渡嘉敷島を眺め、手を合わせる金城さん。
64年経過しても金城さんの戦争は終わっていない。
きっとずっと終わらないんだと思う。
誰にも終わらせることはできないのではないだろうか。