世界の中心で吉熊が叫ぶ

体長15センチの「吉熊くん」と同居する独身OLの日常生活

沖縄 慰霊の日特番「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷島~」

2009年06月22日 23時41分48秒 | Weblog
愛する家族を自らの手で殺めるということは、憎む人を殺めるよりも、辛い…ということを知った。

沖縄 慰霊の日特番「“集団自決” 戦後64年の告白~沖縄・渡嘉敷島~」
1945年、沖縄戦の“集団自決”で300人以上が犠牲となった渡嘉敷島。そのとき家族の命を奪ってしまった男性が語り始めた。現在82歳、認知症の症状が出て入院してもなお、64年前の“あの日”のことを思い続けていた。「なぜ家族を手にかけなければならなかったのか」。戦後64年、苦悩し続けてきた男性の心の軌跡。(NHK総合 22:45~23:28)

集団自決とは、「国家のために命を捧げよ 生きて虜囚の辱を受けず、死して罪過の汚名を残すことなかれ」といった皇民化教育、軍国主義教育による強制された死のことである。
当時18歳だった金城さんは、64年前の3月28日、両親と幼い妹と弟を渡嘉敷島の谷で殺めた。
徹底的に叩き込まれた戦陣訓に則って。

結局、捕虜になった金城さんは、生き延びた。
自分が幸せと思うたびに、自分の手で殺めてしまった妹や弟を思い出すという。
「あの時、生き延びていれば…妹も弟も、今、幸せを味わえたのかもしれない」

金城さんが背負っているものが重過ぎて、涙も出なかった。
ただ、彼が語る「事実」に心が火傷したかのようにヒリヒリ痛んだ。
もしも、自分が家族を殺めなくてはならに状況に陥ったら、私は気が狂うだろう。
想像するのもおぞましくて、怖くて、苦しい。

そんなことを人に課したあの戦争って一体なんだったんだろう。

認知症になり、たどたどしくなりつつも、3月28日になると、那覇市内の病院の窓から渡嘉敷島を眺め、手を合わせる金城さん。
64年経過しても金城さんの戦争は終わっていない。
きっとずっと終わらないんだと思う。
誰にも終わらせることはできないのではないだろうか。



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山の音

2009年06月22日 21時47分07秒 | Weblog
いよいよ梅雨本番というような蒸し暑さに、一瞬怯む仕事中。

今朝は朝礼後、吉熊上司と私は社長に呼び止められた。
ぼんやりとしていたので不意を突かれた。
なんなんだべ?

どうやら先週末に届けた書類の纏め方が気に入らなかったのかなんなのか…。
よく分からないことを言われた。

結局は吉熊上司が対応してくださった。

昼休みは、喫煙しながら読書。
川端康成を読んでいる。
たしか、高校時代、読書感想文で「眠れる美女」について書いた。
現国のウスイ先生に引かれたような気がする。たしか。

古典的な文章に仄かに薫るエロス…萌え。
週刊紙の見出しのような単刀直入的表現よりも、何枚もの絹のような柔らかな襞に隠された奥ゆかしい表現の方がグッとくるぜ。
川端康成、すげーよ!
今日読んだ「山の音」なんて、ぶっちゃけ、舅が嫁にドキドキする話。昼ドラみたいにならないところがスゴい。



帰りにタイスケくんに声を掛けられた。
某部署の男子と一緒ではないか。
某部署には若い素敵な殿方が二人いる。
前々から彼と話したかったんだよな、俺。
タイスケくん、GJ!

その彼、ナントカくん(名前を聞いたが忘れた)は、受け答えがしっかりとしていた。
こーゆー社員を見てると、木偶の坊みたいな私と優秀な彼が一緒の環境で働く…会社ってまるで人種の坩堝のようだと思ってしまう。

若い女子が入ってくると一気に色めき立つ殿方の気持ちがよく解った。

「山の音」の舅の気持ちか!?
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どりどり…?

2009年06月22日 01時30分04秒 | Weblog
昨日買ったマキアージュのマニキュアを塗り終えた。
桜貝のような上品な光沢が我が爪に宿った。
なかなかの発色である。
うふ。

資生堂のビューティアドバイザーの真似をして衝動的に購入してみたんだが、期待以上に塗り心地と仕上がりが良かった。
彼女は2度塗りだったらしいが、私は3度塗りを施してみた。
若干濃くはなったが、透明なので嫌味な印象は受けない。

明日も天気が悪いみたいだが、せめて指先だけでも明るくしたい。
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