皆さんに葡萄の間引き作業をお願いしているうちは気も張っていたものですが、ひと区切りしたところで気分も緩んでおりました。
一日ボンヤリ・・・それもいいのですが、やはり女には家庭内の事もあり予定していた温泉もおあずけし、あれこれ野暮用に費やしてしまいました。
まったく<貧乏性>だわ…と口にすれば、よく言われたものです。
生まれも育ちも同じ姉は「私たちは<貧乏性>ではなく<貧乏そだち>」なんだと・・・。それもそうね。
<貧乏そだち>とはあまり深刻には考えたことも無い能天気な私。
昭和の田舎暮らしは何処の家もそれほど変わりはなかったようにおもえます。豊かとはいえないけれど・・・両親は働き者で心は現代より充分豊かであったように思えるのです。
野暮用とは、取り立てやるほどでない用事。孫までが野暮用でございます。
< やさしさも 過ぎてしまえば お節介 >
一日ボンヤリ・・・それもいいのですが、やはり女には家庭内の事もあり予定していた温泉もおあずけし、あれこれ野暮用に費やしてしまいました。
まったく<貧乏性>だわ…と口にすれば、よく言われたものです。
生まれも育ちも同じ姉は「私たちは<貧乏性>ではなく<貧乏そだち>」なんだと・・・。それもそうね。
<貧乏そだち>とはあまり深刻には考えたことも無い能天気な私。
昭和の田舎暮らしは何処の家もそれほど変わりはなかったようにおもえます。豊かとはいえないけれど・・・両親は働き者で心は現代より充分豊かであったように思えるのです。
野暮用とは、取り立てやるほどでない用事。孫までが野暮用でございます。
< やさしさも 過ぎてしまえば お節介 >
毛の色が独特ですね
子供のころの農家の家ってどこも
同じようでした
今だってそうだと思いますけど~
私は楽しんできました
貧乏でも今の生活を選択します。
お金じゃ買えないものが多くありますね。
でも・・・本音は、もう少し余裕が欲しいです。
これ、実感ですゎ。度が過ぎないように気をつけよう、、と言う程人に優しい訳ではないので、受け身の立場ではしばしば言えます。
私も子供時代を振り返ると終戦直後の時期に育ったし、不自由は当たり前だったと思うのですよ。
不思議に私はお金には不自由していても「貧乏」と言う感覚が無くて、姉に良く言われたのです、生まれる家を間違えたと。お姫様として産まれるべきだったと言うのです。そうだろうなと思っていました。
心は豊かな環境で育ったことは有難いことと思っています。私のブログ仲間はみなさんそんな感じで、共感を持てます。
我が家も貧乏でした
でも、周りもそれほど変わりなく貧乏だけど貧乏を悲観することも無く育ちました。
今もお金には余り縁が有りません
でも、健康な体と暖かい人の縁とそこそこの暮らしに幸せと思って暮らしています
温泉はおあずけになっちゃいましたか~
エアデールテリアはくるくる巻き毛が密集しておりまるで大きなテディーベアのようです。お節介な孫にされるがままの従順なおばあちゃん犬です。
昭和の子達は一生懸命遊びましたね。 (^_^.)
サラリーマン時代の兼業よりも、本業となった今の暮らしの方が面白さがあるように思え好きです。
時間の使い方は自由ですし・・・収入が安定しないのはやりくり次第ですね。
家庭はお金では買えない大切なものが数多くありますね。
欲しいと願う余裕は仕事を気にしないで居られる時間でしょうか?
今を喜べるのが幸せ者ですよ。
家族が多く孫との暮らしは爺婆もついつい口出し手出ししてしまいがちです。子育ては親の仕事。
孫が犬にするお節介はかわいいものです。
物心ついた昭和30年代は映画「三丁目の夕日」の世界でした。みんな心は豊かであたたかな時代だったと今も懐かしく思えます。分かり合える時代ですね。
みーばあさんのお名前は(さん)ではなく(ちゃん)の方がかわいいですね。そう呼ばせてね。
私は昭和28年生まれ。記憶に残っているのは30年・40年が思い出深いですね。遊んだり楽しんだり・・・
50年になると子育てや家庭のことで大人としての昭和で真剣に生きていたでしょうか・・・平成は知らないうちに20年以上が過ぎちゃったわ。
健康に勝るものなしですね。
ゆったりと時間が過ぎていたのも確かで、ストレスを感じにくい生活、、、
認知症の増加はストレスとも言われると、戻す事は出来ない時間ですけど社会の発展に、、、?
一旦いい思いをし始めると、昔の生活は難しい。
最後の句も、、、かなり響きましたよ。
機械化されてない農業に朝早くから起こされて農作業にその合間に学校へというような幼い兄弟がおれば農繁期は学校へ連れていき、靴など無く下駄ばき・・・
夕日の三丁目の時代でした。
ただ一つお蚕様で生活が成り立った時代でした。
戻れといっても
今現在の生活からは
不便ということを忘れさせているので無理でしょうね。