言葉の泉

一粒の種から言の葉が茂ることを願って。

金色のちひさき鳥のかたちして

2017年11月19日 | 日記その1


金色のちひさき鳥のかたちして銀杏ちるなり夕日の丘に
      (与謝野晶子(歌集『恋衣』より)

金色のイチョウの葉を拾って栞にした。
 島村利正の『妙高の秋』のページにはさんだ。
 妙高の秋が金色に染まった。





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卵かけご飯と夫婦の機微(きび)

2017年11月19日 | 新・随想


 受験生にとって、これから春まで試練の時を過ごさねばならない。
 風邪をひかないよう、脳みそに栄養がいきわたるような食事管理が親の役目となる。
 
 脳みそが良くなるレシピで思い出すことは母の新婚時代の話だ。
 母の父、私から見れば祖父は学者だったので机に向かうことが多かった。
 そのため、消化がよく、頭脳によい食事に神経をつかっていたとか。
 それで母がお嫁に行くときの父親として助言は「頭を使う人には栄養があって消化の良いものをつくるように」だったとか。

 それで新婚の母は父に毎朝生卵を朝食の膳にだした。
 新婚一年が過ぎた頃、父は母にこういったとか。
「あの~。僕は生卵を食べるとおなかをこわすのですが・・」と。

 今では考えられない夫婦の遠慮がちな会話だ。
 笑い話としてもなんだかほほえましい父と母の新婚時代。
 それにしても一年間よくもまあ言い出せずに生卵を食べ続けた父だこと!

 母は終生父には敬語で接した。
 父は我が家の「王様」。
 決して暴君でもなく、言葉が荒いわけでもなく、威張っているわけでもない父だったけれど、母が父を「王様」にのしあげた。

 冬は隙間風が肩口を冷やしてはいけないと父の枕元には屏風がたてられた。
 枕も母の手つくりで父の好みの固さ、高さに縫って作ったものだった。

 出勤のときは家族総出でお見送り。
 母は門まで鞄を持ってでて、迎えの車が見えなくなるまで頭をさげていた。
 居合わせた近所の奥さんまでつられて頭を深々とさげるのだった。

 そんな母なのに父は一度も母に感謝の言葉を言うことがなかった。

 それがなぜか大根おろしのときは「どれ、僕がおろしてやろう」と言って力がいる大根おろし作業は父がやった。

 朝の食卓では新聞を読んでいる父に食事の前に喉をしめらすためにさわやかなお茶を供した。

 お茶を飲みながら無口な父がぽつぽつとあれやこれやを母に話している。
 母は食事の仕度をしながらそれに応えているようだ。

 私は食堂の戸をあけようとしておもわずやめることがたびたびあった。
 それは夫婦だけに通い合うあたたかな時の流れ。
 味噌汁の匂いが家中に流れ、ほのぼのとした父と母の和やかなひと時。
 そんななごやかさをこわしてはいけないような気がしたのだった。

「お父様、これはどうなさいますか?」
 母は結論が分かっていても父にお伺いをたてる。

 不在がちな父なのに子供たちには必ず「これはお父様に伺って見ましょう」と言った。
 そして数日後に「お父様はこうおっしゃいましたからこうしましょう」と言った。
 だから子供の心にはいつも父は「不在」ではなく「存在」し続けるのだった。

 夫婦の心の機微は子供にも分からない。
 母に随分冷たかった父だったと思ったけれど、あれで見えない心と心がつながっていたのかもしれない。

 親孝行できなかったが、こうして思い出すことで両親へのささやかな感謝の気持ちを捧げることにしよう。

※そういえば、子供の頃から卵かけご飯は私の大好物だった。
  H画伯も確か、卵かけご飯がお好きだといっておられていたような・・・。
  
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雨のトレモロ

2017年11月18日 | 日記その1


雨だれが軒をうがつのを聞きながらショパンのエチュードを弾く。
バラの花びらに雨のしずく


・軒伝う雨のトレモロ小刻みに 君恋うわれの鼓動にも似て(ろこ)





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夫の叙勲?!

2017年11月18日 | 日記その1

夫が叙勲された。
 夫が申すには「僕も叙勲されたよ」というではないか!
 「え!本当?伴侶も皇居に行くのよね。訪問着新調しなくっちゃ!エステにもいかなくっちゃ!ダイエット、ダイエット」
 と大騒ぎすると、「叙勲」じゃなくて「除勲」
 「勲章を除く。つまり勲章は除かれたんだってこと」
 と言い出した。
夫が叙勲される功績あげたこともないので、除くほうの除勲ね。
 言い間違いと言おうか、冗談にしてもほどがある。
冗談もノーベル賞もの。ちがった。脳減る賞ものだ。

 がっくりしながら、朝食の準備をしていると、夫がテレビを見ながらこういった。
 「マヌカハニーって体にいいようだね。一家にひと瓶あると医者いらずだって」
 と言い出した。
 私は叙勲問題があとを引いているのでこういった。
 「あなたと同じね。あなたって我が家の「マヌケハニー」だもん!」
 「ん?何それ?」
 「間抜けなハニー(ダーリン)だから、マヌケハニー!」
 
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本当の断捨離

2017年11月18日 | 日記その1

 友人が思いもかけないプライベートな事柄を話してくれた。
 それは自分の結婚に至るいきさつだった。
 中学時代のこと。聖書の中のある章を読んで心を動かされた彼女は、日曜学校へ行き、聖書を学んだ。
 そしてついに洗礼を受けた。彼女の家では母親がクリスチャンになることを猛烈に反対。
 でも信念をまげることがなかった。

 そして年頃になり、結婚することになり、結婚式場選びに彼女は教会を選んだ。
 お婿さんの家では日本式の結婚をと望まれ、帰路に立たされた彼女。

 その時、彼女の母が言った言葉。
 「あなたが信念、真実を貫こうとしてきた今までのことを思えば、ここにきてその信念をまげるようなことがあってはいけません」
 と言ったそうだ。
 あんなに長い間、反対してきた母のこの言葉は、意味が深い。
 
 彼女は信仰に忠実に教会で式を挙げた。お婿さんもそれに従い、そのご家族も反対をしなかったとか。

 子供は親の従属物ではない。
 「~すべき、~しなければならない」と子供を自分の描いた脚本通りに歩ませようとする親が多い。
 子供はその「縛り」にがんじがらめになり、大きくなっても、自分を「べき」「ねばならない」に縛られた人生を送ってしまう。

 子供といえども、個人の人格を尊重することが、「人」を産んだ親の責任でもあると彼女の話を聞いて思った。

 「いい嫁」「いい子」「いい先輩」「いい人」のフリをし続けると、無理が生じてストレスになります。

  自分自身に過度の期待をしたり、子供や伴侶、他人に過度の期待をかけると、ひずみがおこります。
 自分自身の期待にそえないと自信喪失につながり、他者に期待をし、むくわれないと、憎しみや怒りに変化します。
 条件をつけることなく、良くても悪くても、あるがままの自分を認め、また他人も同じように認めあうことが大切だと思います。

  自分の心に縛りをかけてているもの(こうあらねばならない。べきだという考え方)を捨てる。
  それが本当の断捨離だと思います。
  あるがままの自分を認め誠意を持って、率直に生きて行きたいですね。。
 
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笑ったままの顔で寝ましょう

2017年11月17日 | 日記その1

 今日は花の金曜日。
 寝る前にちょっと笑いませんか?
 

犬ってわらうんですよね。
 我が家の愛犬クッキーも、よく笑っていました。
 こんなワンちゃん達の笑顔を見てほっこりしてください。

 
「昨日さ、吉本喜劇見たんだよ。もー可笑しくって、可笑しくって、目がなくなっちゃうよ」

 
 「昨日、サリーちゃんとデートしたんだ。思い出すだけで、ニンマリ」


 「僕、お散歩大好き。嬉しくって笑っちゃうんだ」


 「どうだい!僕かっこいいだろう。これからサーフィンするんだ。嬉しくって笑顔爆発だよ」


 「ギャハハは、ギャハハは。可笑しくって、笑い転げちゃうよ」

どちら様もよい週末をお過ごしください。
 風邪など召しませぬよう、
 暖かくしてお休みくださいね。
 
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小澤征爾の恩師、斉藤秀雄の評伝

2017年11月17日 | 書評
嬉遊曲、鳴りやまず―斎藤秀雄の生涯 (新潮文庫)
中丸 美繪
新潮社

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小澤征爾指揮ウィーンニューイヤーコンサートが衛星放送で世界中に映し出されたとき、ついに日本人指揮者もここまできたかと感慨深かったものである。
その小澤は『斎藤先生がいなかったら、僕も秋山和慶も、岩城宏之、若杉弘も出なかっただろうと思います』と言った。
本書は日本草分けのチェロ奏者であり、指揮者であり、世界的音楽家を多数育てた斉藤秀雄の評伝である。
世界各地で活躍している弟子たちが集まって、一人の教師を記念して「サイトウ・キネン・オーケストラ」を編成、フェスティバルが催されるということは世界でも稀有な事象である。
そんな斉藤秀雄とはどんな人物なのであろうか。
著者は、両親、祖父母の出自から探り、血脈の影響をたどったのである。
秀雄の父は英和辞典を書き、イディオム研究と文法では第一人者である英文学者 斉藤秀三郎である。
秀雄は「辞書を作り、英文法の本を作る上で、理解力、分析力がいる。自分はそうした頭脳を父からさずかった」と語っている。
秀三郎は「巨人」「ライオン」とも言われ分秒を惜しんで仕事をし、便所の中にすら見台が備え付けられ、百科事典が置かれていた。自分には七人の子どもがいるからその結婚式のために一生の間に七日間だけ勉強時間を犠牲にしなければならないと言ったというからすさまじい。
そのすさまじい勉学ぶり、仕事ぶり、生活ぶりは「斉藤秀三郎伝」を読むような趣があって本書のおもわぬ余禄と言ってよいだろう。
そうした業績による資産は国内にピアノがほとんどない時代に子どもたちに舶来品のピアノや蓄音機を買い与えることができたのである。
やがて秀雄はドイツに留学。チェロの最高権威に師事。
帰国後はチェロ奏者から指揮者に、やがて「子供のための音楽教室」を作り、世界的音楽家を輩出する桐朋学園の生みの親となる。その間、ドイツ人女性との結婚と離婚、様々な女性との艶聞などを織り交ぜて評伝はふくらみのあるものとなり感興が高まっていく。
本書は秀雄の生涯をたどっていく過程で、秀雄のアクの強さ、しつこさなど、好かれるばかりでなく厭われる部分まで客観的に書かれていて、評伝にありがちな偏りがなく、読者はありのままの秀雄像を心に描くことができ秀逸である。
一方、多くの人たちの心にその存在を忘れがたいものとしているのは、秀雄の音楽への渾身である。
捨て身ともいえる情熱は絶対服従的なところもあり、実に厳しいものであった。
その教授法は「人間には肉体的頭脳的に別個の「素質」があり、それを伸ばす「努力」と勉強するときの「注意力」、この三つを掛け算したところで成果が出てくるというものである。

秀雄は外国語を習得させる方法で西洋音楽を教えたのである。それは父秀三郎の英語イディオモロジーと酷似していた。まさに血脈であろうか。

さて、本書の中で特記すべきは仮説の提示である。
それは宮沢賢治の『セロ弾きのゴーシュ』の楽長のモデルが斉藤秀雄ではないかとの仮説である。著者は様々な資料と賢治の年譜、関係者の話から楽長は秀雄であると確信に近いものを得る。

死の淵にあった秀雄はコンサートで「ごめんね、僕は体がもういうことをきかない。手がこれくらいしか動かないんだ」と言って腕を振り下ろすとオーケストラはこれまでにないほどの音を響かせた。
「アンサンブルは時間の一致じゃない、心の一致だ」
まさに秀雄の生涯の集大成がそこに結実した瞬間であった。

西洋音楽の土壌がない極東の日本から世界に活躍する音楽家を輩出させた斉藤の生涯をみごとにえがき抜いた労作である。

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和紙の里の四季桜と紅葉

2017年11月17日 | 日記その1


 今日は一番の冷え込みでした。
 でも日中は陽がさして晴天。
 夫が午前中で仕事が終了。
 午後から紅葉と四季桜が一緒に咲いている和紙で有名な、旧小原村へ行こうと言い出した。
 昼食もそこそこに、豊田市の奥にある小原村へ車を走らせた。
 小原は和紙を漉く伝統芸が根付いている。

 この小原に、一人の医師が四季桜の苗を植えたのが最初で、それからあちこちに植えられるようになった四季桜。
 今では愛知県の天然記念物に指定されている。












例年よりも、紅葉も四季桜の時期も早かったようで、これからぐんぐん寒くなると、錦を彩る中、薄桃色の四季桜が満開になる。
 まだ四季桜は4分咲きというところでした。

豊田市は車の町。
 道路はトヨタの関連で素晴らしく整備されているが、トヨタ関連の会社に従事する車で渋滞する。
 渋滞の列の中にあって、前の車の女性が脇から列に入るのを待っている人に突然道を開けた。
 左右前後、大渋滞。後ろも前も詰まっているというのに、私の車の前の女性が左側の喫茶店駐車場から出て来る車に道を開けて横切るのを許した。
 譲られた駐車場から出てくる車が渋滞の列を横切って、二車線の反対側にすごい勢いで割り込んだ。
 反対側車線から走ってきた車に衝突!
 目の前で事故が起きた。

 前後左右大渋滞の列に、譲った人が悪い。
 反対側車線がガラガラなら、どうぞと譲って反対側に行かせても問題はないが、大渋滞を横切らせた罪は大きい。
 目の前で事故を目撃してびっくりしたが、その後を見ている時間はなく帰宅。
 
 風光明媚な小原村の四季桜を愛でた後としては、ちょっと後味が悪かった。
 道を譲るのもよく考えないと、事故の源になる。
 気を付けたいですね。
 
 


 
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金魚と留め石

2017年11月17日 | 新・随想


 子供の頃から姉も私も、家族みんな庭を愛でてきた。
 たとえ一坪でもよい、木や花があると心がなごむ。
 すぐ上の姉は子供のころから美に対する感覚が鋭かった。
 ある日、この姉が庭を眺めていたかとおもうと突然走り出して裏庭の隅に捨ててあった苔むした石をずるずる、うんうん言いながら引きずってきて池の淵に置いた。
 そこに石を置いたとたんに池と庭に区切りがついて引き締まった。
それはあたかも、一つの長文に句点を打ったかのようだった。

 出入りの植木屋がやってきてこの池の風情をみてびっくりした。驚く植木屋に母はこういった。
 「小学生の次女が石をずるずるひきずってそこに置いたんですよ」
 と説明すると植木屋は
 「すごいなあ!いつもここに何か置きたいと考えていたんだが、見事な留め石になったなぁ」
 と言ってうなった。

 その池に縁日の金魚すくいで得た金魚を数匹放した。
 その金魚すくいも姉の得意技だった。
 薄紙がやぶれても金属の輪に金魚をひっかけるようにしてすくうのでいくらでもすくえた。金魚屋は、
 「お嬢ちゃん、そんなずるしたらもうすくわせないよ」
 と言って怒った。

 そんな離れわざで獲得した金魚は我が家の池で丈夫に育った。
 ある日、金魚がお腹をみせはじめ、口をパクパクとさせているのを発見した。
 「うゎ~ん、金魚が死にそうだ」
 と泣く私に、いつも子どもたちには無関心な父が
 「よし!お父さんが助けてやる!」
 と言って庭下駄をつっかけて庭にでた。
 姉も私も母も家族総動員で金魚を救え!とばかりに池のまわりに集まった。
 父が仁丹を一粒口に含んで噛んだ。
 粒がまだ残っている状態の仁丹を金魚の口に押し込んだ。
 口をパクパクと虚空にあけて苦しんでいた金魚は仁丹を飲みこんだとたんに、もがくように尾びれを見せて池の中に泳いでいった。
 「あ!生きかえった!」
 姉は嬉しそうに父をみあげた。
「お父様!」
 母は頼もしげに父の背中に手をやった。
 「お父ちゃま、すごい!」
 私は嬉しくなって父にしがみつきたかったけれど、それまで、そんなことをしたことがないので、もじもじしているうちに父は家の中に入ってしまった。

 私はこのときの光景をいつまでも覚えている。愛情表現が苦手だった父はいつも家族に冷淡だったけれど、
 「よし!お父さんが助けてやる!」
 と言った時の顔と声はいつまでも心の中に暖かく残っている。
 父にいつも叱られてばかりだった姉が、嬉しそうに父を見上げた目を私は忘れない。
 たかだか小さな我が家の庭だったけれど、父はいつもそこで焚き火を楽しんだし、母は草花を植えて愛した。
 姉の隠れていた芸術的才能は庭の中で花開いたし、私の孤独はそこで癒されたのだった。

 私の人生から庭の思い出は切り離せない。
 五歳までいた埼玉の庭の思い出は、草の中に実った真っ赤な苺、よもぎを摘んで作る母の草もち。
 六歳から嫁ぐまでいた渋谷の家の庭の思い出は、クリーム色や深紅の薔薇の香りに包まれた日々だった。
 イギリス、ウースターの庭に咲く忘れなぐさにふるさとの恋しい人を想った。
 カンタベリーの庭には野狐が夜毎あらわれ、闇に光る目が妖しく胸をとどろかせた。
 庭に心をよせるとき、様々な想いが去来する。それは在りし日の父の思い出だったり、母や姉のことなどだ。
 庭に忍び寄る黄昏(たそがれ)はさみしくて美しい。
 それは沈み行くことへの惜別の情である。

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老いと介護と魂の尊厳

2017年11月16日 | 新・随想

 
 寒風吹きすさぶ頃になると思い出す。
 あの日のことを。
 凍えそうに寒い日、畑の真ん中にスコップで穴を掘った。
 そこにひとかかえもある石油缶を埋めるためだ。
 そばには義父が立っている。
 頭脳明晰で日本各地の橋を設計し、都市計画をした。
 そんな義父がすっかり人が変わったように認知症になって、寒風ふきすさぶ畑の真ん中にたたずんでいる。

 外に設置しておいた大きな灯油缶が燃えると言ってきかない。 
 「大丈夫」といくら言っても納得しない。
 家には寝込んでいる義母がいるだけ。
 仕方がないので、義父の手を引いて畑の真ん中までつれてきて、大きな穴を掘ることにした。
 かじかんだ指でスコップを握り締めてカンカンに凍った土を掘る。
 寒くて震えていた体がだんだん汗ばんでくる。
 畑の真ん中で狂ったように穴を掘る私。
 そのそばで震えながらたっている老父。

 他人からみたら異様な光景だったに違いない。 
 「お父さん、石油缶、ここに埋めるからね。いい?見た?埋めたわよ」
 大声で叫び、義父の顔を確かめながら缶を埋める。
 土をかぶせ、足で踏み固めた。
 義父の手を引いて家にひきあげながら泣いた。


 私が困ったとき、どこからともなく現れて窮地を救ってくれた義父だった。
その義父が今は赤子のように私に手を引かれている。
 かつては、銀髪の髪をなびかせながら痩せぎすの体に銀輪を駆って(自転車)通りを走り抜ける姿は颯爽として若者のようだった。
 高い鼻。鋭い目。
 日本中をみまわしたその鋭い目が今はどこを見ているのか焦点が定まらない。
 私がはじめて翻訳本を出版したとき、義父に真っ先に渡した。
それからまもなく、近くの小学校から礼状が届いた。
義父は私に黙ってその本を学校に寄贈したのだった。
 恥ずかしいような、嬉しいような当惑した気持ちが駆け巡った。
 そんなかつてのことが頭の中を駆け巡ると涙がとまらない。

 介護が必要な義父母をかかえてこの先どうしようかと暗澹たる気持ちの中、夫と二人で乗り切ろうと決意した日々が、この寒空を見ると思い出す。
 介護の制度が以前よりも改善された昨今であるが、介護する側の心のケアが万全とはいえない。
 介護はいろいろな人の手が必要であり、一人ではとても支えきれないものがある。
 精神的支えと経済的支えは必要不可欠な要素である。
 身内の心ない過干渉、口は出すが手は出さない。そんなことがあってはならないのである。

 誰にも老いはやってくるのだ。
 年老いて認知症にたとえなっても、魂の尊厳は守られねばならない。
 
 介護は、される側もする側も、つらいものであってはならない。
 国の介護制度の充実がまたれるが、周囲のやさしさが支えになることを忘れないでいたい。

 また老齢介護だけでなく、病に伏している方、病気看護をなさっている方、医療は日進月歩を遂げています。
 明日には新しい治療の方法がみつかり、新薬が発見される可能性は多大です。
 夜の明けない日はありません。明日という日を待ちましょう。
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