晴耕雨ログ

晴れの国の片田舎で暮らす自然派おばさん
畑仕事に生甲斐感じながらゆるゆる歩む農婆の人生

桜のころ・・・

2013-03-30 22:04:22 | Weblog
 少しずつ母の遺品を整理しなければと思いながら日を過ごしています。
もう処分してしまおうと思って手にした小さなノートを何気なく開いてみました。
母がデイサービスに通っていた時の家庭と施設の間の連絡ノートです。
 少し認知症が見え始めたころの母でしたから、ちょっとした変化や知っておいてもらいたいことをノートに記していました。

 ある年のこの季節、桜のころの一ページにはお花見弁当のメニューを図解してくださっていました。そして摂取量まで・・・。
 書き足されたコメントにハッとさせられました。
≪屋外の昼食をおいしい・おいしいと食べられ、歌をうたったり踊ったりとまさに桜の下でお花見を満喫されているようでした≫松井 

 これは母の葬儀の際、在りし日の母の思い出を追悼DVDに収めた中の一枚の写真そのものでした。
 大きな麦わら帽子をかぶせてもらった母は施設の桜の木の下でお花見弁当を前に、両手を高く振りながら満面の笑みでした。
お隣には職員さんが同じように笑いながら両手をふり母と同じ目線で同じものを見ているようです。胸元のネームに<松井>の文字が見えます。コメント主さんです。

 なつかしい連絡ノートからこの日のことを確認するようにお別れのDVDの映像を映し出して見るとみごとに情景が一致しました。
あのころの母の事、母を見守ってくださった職員の方を思い出しウルウルしてしまいました。

  < 幸せな 遠いあの日に ありがとう >

 
 

 

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桃・開花に思う・・・

2013-03-29 21:25:49 | Weblog
 先月三歳を迎えた孫の誕生記念樹は花桃。昨年よりは今年と花数や枝数も増し、子どもと共に成長がうかがえ嬉しいものです。
 それに比べ、老いへと向かうわが身の寂しさときたら・・・。

 この孫の生まれる前から少し気がかりだった耳鳴りでした。
当時は、静かな夜にかすかな音が聞こえる雑音、そんな程度でしたが寄る年波でしょうか、夜となく昼となく止むことない耳鳴りはまるで蝉しぐれ。
 長期治療も期待できず中断してしまった事を少々悔やんでます。これこそこれが老いの入り口なのかと不安なのです。
 少しだけ聞き取り難い自分も不自由ですが、聞き返される話し相手方の不便さも心苦しく感じています。
物事はすべて聞こえなくてもいいこと、時に聞こえない方がいいこと、聞きたくない事もあるものです。

 だけど、孫の可愛い声が聞こえなくなるなんて・・・考えるだけで寂しいよ。

  < 都合よく 時に日曜 ババの耳 >
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孫の思いやり

2013-03-26 22:26:06 | Weblog
 一枚めくり、また始まる新たな一日。
日めくりカレンダーが好きなおばあちゃんです。
 先日は日めくりを通して孫との会話でしたが、今日はどうにもめくれない自分の部屋の日めくりカレンダー。

 今年の日めくりは、脳トレ目的で買い求めた≪数プレ365≫。一日一枚のゲームが脳を活性化しボケ防止になるなんて名案と考えたんだけど・・・。
これがどうして、意外な難プレでありました。
 じっくり考える時間がもてないなんて言い訳でしかないね。
でも本気で考えると不眠にもなるし・・・。諦めてしまう訳にもいかず・・・。意地でも解き明かしたい・・・脳トレよりもストレスにもなりそうな難ものに時々はまってしまうのです。

 そんなおばあちゃんの苦悩を悟ってくれたのか・・・。
 こっそりおばあちゃん部屋に侵入し「ばぁば、書いといたからね。」とすまし顔で出てきた孫は<添削・黒ペン先生>

  < おさな児の いたずら描きに 苦笑い >

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婆のこごと

2013-03-22 22:54:30 | Weblog
 数字が読めるようになった孫の関心は、トイレに置かれた日めくり。
一枚をめくり「きょうは、2と2」。毎日これをやってます。

 「できることから 始める」文字の部分はおばあちゃんが読んでやりますが、何のことやらちんぷんかんぷん。
 おばあちやんは、孫に解りやすくこう解説しました。
就寝時の指しゃぶりが止められない孫が出っ歯になるのでは…とすこし心配ですからね。

「寝るときにお父さん指を口に入れると、お父さんはあいたたた・・・なんよ。」
「だいじなお父さんは、いたた・・にならないように、≪ぐう≫にして手の中にしまってだいじにして寝よう」そうカエルさんが言ってるよ。

 指しやぶりなしで寝るのは、難しいことだけど・・・だいじな指を大切にして寝ることは出来るかも・・・できることから 始めよう。
 婆の愛に満ちた小言です。

  < 孫娘 年ごろ想う 老婆心 >

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畑コミュニケーション

2013-03-21 21:37:25 | Weblog
 春の畑、野菜たちは自家消費しきれないほどの成長ぶりです。
いただき苗で初めて育てた≪三陸つぼみ菜≫≪子持ち高菜≫はこれまでの野菜にない持ち味で是非とも来年も・・・と思える品種でした。こうしてお気に入りが増え畑作メニューの追加です。

 家庭菜園では、同じ菜園仲間から栽培の知恵をいただいたり、野菜苗をいただいたりと畑は良きコミュニケーションの場でもあるのです。
けっこう畑仕事を楽しんでいるんだなと感じられます。
 せっかく育てた野菜、余すことなく食卓へ・・・そんな、育てるものの思いはみな同じ。
「ブロッコリーが咲きそうよ・・・」「菜花の白和えはいかが・・・」とそこ・ここからどっさり春野菜がやってきました。≪三陸つぼみ菜≫≪子持ち高菜≫を摘み≪菜花≫≪ブロッコリ≫と我が家の食卓、このごろグリーンのてんこ盛り。

  < 雨上がり ビタミン満載 春の畑 >
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こころのねっこ

2013-03-19 22:53:02 | Weblog
 子どもの成長はすごい…と感じた生活発表会でした。
 孫がお世話になった保育園での生活はたった6ヶ月間でした。最近の子育てにはありがたい機関があるものだと感じさせられます。

 短時間のステージですが、うた・なわとび・てつぼう・リズム遊びなど、驚くほどの成長を見せてくれました。
”ばぁば~~っ!”と泣きながら別れた入園当初がうそのようです。

 3歳4歳の幼児がうたう≪こころのねっこ≫とてもいい歌でした。
 ♪ いつのまにか おおきくなった
   いつのまにか なかなくなった
   いつのまにか こけなくなった
   ・・・・・・・
   ・・・・・・・ 
   ・・・・・・・
   はじめての であい
   はじめての なかま
   はじめてしった たくさんのこと
   ・・・・・・・
   ・・・・・・・
   ここですごした まいにちが みんなのこころのねっこになれ~♪

 生活発表会を終えた孫の修了証書や作品集は、先月亡くなったひいばば(曾祖母)の祭壇に置かれ報告します。
出張を終え父親が帰宅すると、夜は生活発表ビデオ上映会となりました。これこそ≪こころのねっこ≫かなと思えるひと時。

  < 歌声は 心に響き 胸熱く > 

 

 
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ブリージング

2013-03-16 21:30:30 | Weblog
 久ぶりにのぞいた葡萄ハウスの中、剪定された葡萄の木の切り口にキラリ輝く水滴。これがブリージングと言われ休眠していた葡萄の木が春を感じて今年も活動の開始です。やがて芽吹きの時季。
これこそ命の水でしょうか・・・。農家ならではの感動でしょうか、この一滴に生命力を感じます。

 母を送ってからというもの、どうもこれまでの日常に戻れないでいる自分に戸惑う日々です。自分でもこんなはずはない・・・何を悔いることもなくいいお別れができたと思っていましたから・・・。
どこかポッカリ穴があいたのか、細い糸でも一本切れてしまったのか自分を取り戻すには少し時間が要るのでしょう。
 どこといって特別な家族でもなく、ただ気遣いあって三十数年ともに暮らした年月の重みをここにきて感じます。
 
 葡萄の木のブリージングに、萎れた心にエネルギーをもらいましょうか。

  < 春先の 農に魅せられ 平常心 >
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流れる水・転がる石

2013-03-10 22:35:14 | Weblog
 「60は60よ。」「今まで出来ていたことも難しい事にもなるのよ。」「自分の年齢を受け入れなければ。」・・・一歩先ゆく人生の先輩に何度も言われてました。

 春先の畑仕事はジャガイモの植え付け、エンドウのネット張り、草取り・・・いつもと同じ春だけど、作業がなんだか手間取りスムーズに進みません。物は重くて・・・「あぁ!しんど・・・。」
そうそう私、今年60歳の身なんです。

 <流れる水は腐らず><転がる石には苔がつかず>といわれるように、絶えず体を動かしていることが健康を保つ秘訣だと真面目な私、信じていました。
それはそうなんだけど・・・すっかり自分の歳を忘れていましたね。
 明日からの私、ゆるゆる心に入れ替えます。
 <使っている鍬は光っている>そんな諺にも左右されそうなアラ還農婦の心内。

  < 我は我 マイペースなり 60歳 > 


 

 
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土のぬくもり

2013-03-08 22:25:43 | Weblog
 ずいぶんご無沙汰していた畑仕事。
久しぶりに野に出るとそこには春が・・・。
黄砂かな、PM2.5かな?ちょっと気になる霞んだ空。それでも暖かい風にほんのり香る梅の花や並んで頭を出した土筆に春のよろこびを感じます。土の感触を楽しみながら家庭菜園の幕開けです。

 まずはジャガイモの植え付け。豆トラのエンジン音も快調です。
腐葉土堆肥を撒けばすかさず二羽のカラスの訪問者。堆肥の中で育った幼虫をねらってやって来た。
植物や生きものたちも春の訪れに浮き立っているように思えるものです。
 静まり返っていた冬の畑から活気を取り戻し、畑仕事はこれから私の健康づくりの場となるのです。<野菜作りは健康づくり>は我が人生訓。
 久しぶりの鍬仕事で心配なのは明日の筋肉痛。
わが身を計りながらの菜園生活<春の巻>

  < 健康を 与えてくれる 土は友 >


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♪いつまでも散らない~

2013-03-05 23:30:51 | Weblog
 母を送り、戸惑いながらも身辺の整理、役所の手続きや御挨拶に慌ただしく一週間が経ちました。
少し後々のためにメモでも残しておかなければ・・・との思いを抱えながら事を済ませるのがやっとです。
 そんなある日、寂しくなった我が家の玄関に娘が明るいチューリップを差してくれていました。
後ろの壁に掛けた小さな額は見慣れていたはずなのに殊に気持ちが引かれます。

 母との最期の別れの曲は”バラが咲いた”を選びました。歌詞もメロディーも素敵で、母をショートステイに送る車中で一緒に歌った曲でした。
姑と嫁が一緒に歌を歌うなんて、介護生活になればこそ・・・とてもほのぼのとした時を過ごしていたことが今懐かしく思い出します。
 何故かこの歌は終わりがなく、施設に着くまで歌い続け、迎えてくださった職員さんも一緒に歌ったことが忘れられないのでした。
 ♪バラが咲いた バラが咲いた・・・
 ・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・
♪バラが咲いた バラが咲いた ぼくの心に
 いつまでも散らない 真赤なバラが・・・

 バラの花を贈り、このすてきな歌で母を送れたことで悔いはないと思っていたけれど、なぜか少し落ち着いた今、淋しさがじんわり押し寄せてくるんです。

  < 片隅で あの日の姿 偲びみる >
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ありがとう・・・

2013-03-02 22:47:22 | Weblog
 庭の紅梅が咲き、陽ざしのわずかなぬくもりに春を感じるころ。2月24日、とうとう母との別れの日を迎えました。
 数え年だと今年は百歳。私たち家族は、長寿を喜びまた誇らしく思っていました。
10年にもおよぶ介護の生活でしたが、そのなかで多くのことを教えてくれた母でした。
 4年間の自宅介護、人が歳を重ね人の手助けを必要とすることで生まれてくるもの・・・親と息子、姑と嫁、祖母と孫の関係がこれまで以上により深まり、これこそ生きる≪絆≫となり実っていたことを感じたものです。
 

 高齢となりすこし緩やかな人に変わっていく母を看るのは息子である夫にとっては複雑な思いもあったことでしょうが、嫁の私にとってはいつか肩の力も抜け二人の関係はいつの間にか逆転し、すっかり嫁は90歳を超えた母のおかあさんとなっていました。
たしかに介護には苦労もあったけれど、そのなかで小さなよろこびもたくさん生まれていたんだと気付かされます。

 自宅介護から施設での暮らしのなかにもたくさんのありがとうが・・・
農業と介護の生活も限界となり6年間の施設での暮らし。
 デイケアー・ショートステイ・施設の生活、どんな生活環境にも適応のいい母でした。どこで暮らすも人がお互い生きていくには人の持つ性格はずいぶん左右されるようなので、性格美人を目指そう・・・と穏やかに朗らかに人生を全うした母から学んだ生きる知恵。
 施設には家族に代わりすべてのことを受け入れ見守っていただき≪感謝≫のことばしかお返しできません。
小さなロウソクの炎が静かに消えてしまったけれど、その存在の大きかったことをしみじみ感じるものです。
 享年百歳。 お母さん!ありがとう。

  < 胸の中 溢れるばかりの ありがとう >
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