晴耕雨ログ

晴れの国の片田舎で暮らす自然派おばさん
畑仕事に生甲斐感じながらゆるゆる歩む農婆の人生

<栽培管理講習会>

2012-02-28 22:38:05 | Weblog
 農産物を育てるのはとっても難しい、だけど健康的で楽しみも多い仕事だと思えるから幸せ者です。自家栽培の野菜は何より安心して食卓にのせることができますから・・・。

 年間を通して多彩な品目が豊富に出荷され、お客様に喜ばれる直売所を目指しましょうとJA専門指導員を講師とした栽培講習会の案内が届きました。
わが家は自家消費野菜の家庭菜園なんだけど「何事も勉強・勉強」と出席しました。
忙しい果樹栽培農家にとっては、とても出荷用の野菜作りの余裕はありません。食の安全・安心が問われる出荷野菜は農薬使用基準やら栽培日誌の細かな記録など管理能力を必要とします。
 低農薬で安全であっても、消費者は虫あなだらけの野菜には見向きもしないのでしょうから・・・。

 農業には栽培技術だけでなくお天道様の顔色までもが大きく左右するものですから、その労を思うと安全・安心の直売所の野菜・果物の新鮮でお安いこと。
 ”もっと直売所を見直し、どんどん利用しましよう”と呼びかけるちっぽけな生産者です。

  < 安心と 健康作りの 農に生き >


 

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春近し・・・

2012-02-27 22:56:42 | Weblog
 そーっとのぞいた古火鉢。飼っているメダカたちもまだまだ休眠中。
鉢底でじっと暖かくなるのを待っているようです。藻に潜むメダカたちは餌も与えていないのにぽっちゃり体型でなんだかわが身を見るようです。

 果樹農家も寒さが緩むころまで、少しゆったりメダカ同様に休眠期です。
暇になったら、押入れの中も片付けよう・・・タンスの中も整理しよう・・・本棚も・・・と忙しく仕事に追われながら毎日を働いていたときには、この休眠期こそは・・・と計画を立てていたはず。
 溢れるほどの物に埋もれ暮らしても、実際に必要なものなんて知れたものでしょうが、自分だけでなく舅・姑のものまでもが占領していざ処分しようと思っても気が咎めるものです。
 同様に、自分にも人の手・娘の手を借りなければならない時がいつか来るだろう。
今から、煩わさないようコンパクトでいなければ・・・。そんな思いの休眠期も明けそうな2月も末。
 身辺もわが身もスリムになれないまま果樹農家のスタートラインは近づき焦りの日々。

  < 春近し 息吹を感じ 眠り覚め >

 

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ぎっくり腰!

2012-02-23 22:30:37 | Weblog
 「寒いね」と言っても「寒いね」とも答えてくれないワンコだけど・・・やっぱり居るだけで温かい家族の一員。
大型犬のエアデール・テリアだと、人の年齢に換算すれば我われ夫婦と同じアラカンといったところかしら。
 
 元気印の勢いで過ごせた今までと違いアラカンともなれば少し気になる健康。これが老いの入り口なんでしょうか。
愛犬を人の年齢に換算するように、自分の年齢を親の年齢に照らし合わせてみると何と寂しいことでしょう・・・。
夫は実父の亡くなった年齢、はたまた私は、実母の亡くなった年齢ではないですか。この年齢を超えてしまえば、短い生涯だった親への切ない想いだけでなく、これから先の人生を無駄に生きては申し訳ないな・・・とも思えるのです。
 かといって、頑張りすぎもほどほどに、ぎっくり腰に不意打ちされた夫を横目に”私達アラカン、若くはないね。ただ元気なだけよ。”
”まぁー居るだけでいいか・・・杖の代わりだね。”
 そう、私はどっしり丈夫な杖なんです。

  < ありがたく 生き抜きますか 支え合い > 
 


 

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社会見学

2012-02-20 22:57:15 | Weblog
 空港前の街路樹ナンキンハゼも冬のこの時季は白い実だけを残し、まるで青空に散る線香花火のようです。

 今日のばぁばは孫と留守番を仰せつかっておりました。
朝からポカポカ陽気は良いうえに、空は晴天ですから家の中で子守りなんて・・・と思い”これから、ばぁばとヒコーキをみにいこう!”と孫を連れ出し社会見学です。
わが家からもほど近い空港だけど、2歳の孫にとっては初めて見る飛行機かな・・・。
 田舎の空港ですから機体の大きさも数もささやかでしょうが、それでも飛行機に違いはないわ。



 ”ほら!あおいヒコーキがいるよー”



 ”おやすみ しているヒコーキや、にもつをはこぶくるまや、はたらくひともみえるよ。”



 ”ほらほら!かっそうろをはしってくるよ。ほら!ほら!とんだ!とんだ!とびたったよー!”



 ”バイバーイ!”
あっ!という間に豆粒ほどになり見えなくなったのでした。
 広い駐車場に設けられた見学スペースは滑走路から離陸の瞬間が良くながめられ、幼児を連れた人、カメラを構える人たちが並んでいました。
 東京・上海・ソウル・沖縄・もうすぐグアム行きが発つ頃だな・・・あれが話題になった<ボーイング787>だな。
 時刻表と照らし合わせながら飛行機の旅を見て楽しんだ二人だけの社会見学でした。

  < 大空に のびのび舞えと 高く抱き >


 
コメント (2)
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バレンタインデー

2012-02-14 22:44:14 | Weblog
 うれしい誘いにハートもほっこりバレンタインデーです。
 
 バレンタインデーにコンサートはどう?と幼なじみに誘われもちろん二つ返事でした。
ビュッフェ&マンドリンのコンサート会場は、ギャラリー「阿曾房」の広い木造空間の壁面にはキルトの大作が並び控えめな照明が落ち着いた雰囲気です。
 自然木のどっしりとしたテーブルにはビュッフェメニューが並び、おしゃべりしながら食事。
食後のコンサートはマンドリン奏者(伊丹典子さん)と差向いの最前席ですから演奏者の指つかい、細工を施された楽器の美しさ、マンドリンの音色、もちろん演奏者の美しさに魅せられました。
バレンタインデーにふさわしい選曲は<愛の挨拶>に始まり、マンドリンのどこか抒情的な音色とトークに心優しくなれる気がします。
そんな豊かな気持ちになれたものですから、帰りの道は”そうだ!チョコを買おう・・・”と夫に、家族に、自分に・・・とビタミン愛のおみやげです。

  < 駆け込みの コンビニチョコは 愛しるし >  
  
 

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早春賦

2012-02-12 22:35:01 | Weblog
 心なしか春を感じさせる陽気の昨日・今日です。
ポカポカ陽気に誘われてそろそろフキノトウでものぞいたかな・・・<どこでもバック>を持って春を探して畑に出てみます。
 畑仕事の必需品は<どこでもバッグ>です。中身はカメラとハーモニカとメガネ。

 良く手入れされたお隣の畑ではスイセン・ロウバイが満開で春の香につつまれ心地いいこと。
 ゆったり、ゆるゆる春の野を楽しみ花をながめる、写真を撮る、メロディーを奏でる・・・。
♪春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど・・・
 何故か懐かしい唱歌は季節ごとに思い出されハーモニカの響きが抒情的でいいなと思えます。
 冬景色・冬の夜・ペチカ…春はやはり<早春賦>。これだね!

  < 里山に 心も芽吹き 早春賦 >
コメント (2)
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余生とは・・・

2012-02-10 22:37:07 | Weblog
 空は晴れ、風は冷たく干し大根には絶好の日和です。

 そろそろジャガイモの植え付け準備にかからなければ・・・だけど、畑には大根が未だ食べ切れずにたくさん残っています。
自家消費量はたかだか知れたものですから、またもや種蒔きを頑張りすぎましたか。
しかし、せっかく大根として育ったものですし、生産者としては手塩にかけ育てたものであります。
廃棄処分してしまうにはあまりにも忍びなく、再度の干し大根作りです。
 網戸に千切り大根を広げ、冬の陽射しと冬の寒風でビタミンも豊富な干し大根で保存し最後まで活かそうと思います。

 (余生とは たよらないこと 寒椿) と句に詠まれたあの方に思いを重ねています。頼ることなく凛として生きていく余生・・・
 今日の私は、大根を干しながらこんな余生も有りかな・・・と思うのです。
せっかく、この世に生を授かったものですから、最期まで無駄なく大切に生きたい・・・そんな余生。

  < 余生とは・・・無駄でないこと 干し大根 >


 


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花かんざし

2012-02-09 23:08:23 | Weblog
 花の名前は知っていても花言葉までは知らないことが多いもの。
時にその花言葉は何だろうと思うことがある。
<花かんざし>の花言葉は、思いやり、温順、明るい性格だとか・・・。

 母がお世話になっている老人施設の花壇はリニューアルされ、パンジー、花かんざし、菜の花がこの寒さの中で咲いています。
 ちょうどこの<花かんざし>の前で、顔なじみの利用者さん家族の方に出会い立ち話。
入所が母と同じ頃でしたから、5年になろうかと思います。
 毎日、電車・バスを乗り継ぎ、一時間半かけて実のお母様と叔母様の所まで通われています。
60代半ばかと思われる彼女は、二人分の洗濯物の詰まったリュックをいつも背負っていらっしゃいます。近ごろ少し背が丸くなられ、前かがみで歩く姿が以前より変わってきたように思えます。
 ”叔母には大事にしてもらったし、自分は家族のいない独りの身だから、出来るだけのことを・・・”と何度か話されました。
 それにしても、母娘の慈愛を感じます。

 同じ利用者の我が家では、入所当初の寂しさ・切なさもいつの間にか無くなり、洗濯物の交換と面会がいつの間にか生活の一部でしかなくなったようです。
介護度も上がり、会話も交わせない現在ですから・・・。
 義母という関係が希薄にさせているのか・・・と彼女と話しながら思われたのでした。

  < 老々の 寂しさ背負い 語り合う >

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寒椿

2012-02-07 23:23:36 | Weblog
 側道の、寒さに耐え凛と咲く紅い椿に芯の強さを感じます。

 新聞読者の投稿<文芸>の紙面に思わず見入っていました。見覚えのある方です。
寒椿を詠んだ俳句を投稿され見事一席に選ばれ顔写真も掲載されていました。
 作者さんに出会ったのは西国巡礼のいよいよ最終、善光寺お礼参りの旅でした。
バスツァー、隣席に居合わせたものの初日は”よろしくお願いします”の挨拶だけでお互い話すこともなく車窓を眺めたりイヤホンを付けていたり自分の時間を過ごしたものでした。
 宿泊ホテルが相部屋になりここで少し私的なことも話したのでした。
もの静かな口調で語られる中に、ご主人と共に会社を興し二人三脚で働いたこと。
その同志として働いたご主人に先立たれ片腕をもぎ取られた思いでいたこと。
生きていくうえで健康を保持しなければ・・・心の空白を埋める俳句をはじめたとか。
息子さん夫婦を見守りながらも自立して生きたい・・・そんな思いが感じられる会話をしたことを思い出しました。

 高齢者になっても社会保障はあてにならない時代、余生を生きることは、誰にも頼らないことという覚悟を寒椿に託した句を詠まれていました。
 句からも寒椿からもうかがえる、その人らしさ・・・。

  < 寒椿 心の隅に 今もなお >


 

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節分

2012-02-03 23:26:51 | Weblog
 写真も撮りたい・・・豆も取りたい・・・そんな節分。

 今朝の岡山はこの冬一番の冷え込みでした。給湯機も凍結し不自由な朝でした。
しかし、空は快晴。これで気持ちも少し救われます。

 節分は今年も豆まきで邪気を払おうと神社に出かけました。
今年こそ豆まき開始の”わーっ!”と湧き上がる瞬間をカメラで狙いたい・・・福豆はひとつ・ふたつでいい、欲はないよとカメラを構えていました。
 ドキドキの瞬間”これだー!”とシャッターを押したのはたった一枚だけです。
まかれた福豆が頭上に降りそそぐものですから、もう写真どころではなく大勢の人波にもまれながらそれは大変でした。
 自分ながら、いざとなればこれが本性なんだな・・・お恥ずかしい次第でした。



 この吉備津彦神社では撒かれる福豆の中に縁起物がいただけるラッキーな豆が含まれています。
 <欲>が功を奏して見事に縁起物の大きな破魔矢を授かりました。
欲があって幸運に恵まれるとは、複雑な思いですが・・・。

  < 福は内 ヒートアップで 福を追う >

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幸せって・・・

2012-02-01 22:19:22 | Weblog
 竹ヒゴに薄紙を貼り、数本のゴムを巻き動力としたヒコーキを飛ばし男の子達は遊んでいたのを思い出します。
 ALWAYS 三丁目の夕日'64 はこの飛行機の舞うシーンから始まりました。この頃の経済成長を物語るようです。

 昭和39年、この頃の私は夕方のTV放送<ひょっこりひょうたん島>が楽しみであったり、ふざけては「シエー!」なんてやって真に無邪気で純朴な小学生でした。
小学生だった私にも<昭和>はものの豊かさはなくとも、人の温かさは溢れていたように今だからこそ思われます。
 今回のALWAYSでは、茶川竜之介と父との親子関係、また竜之介と実子ではないが淳之介との親子の関係に言うに言えない切なさを感じたものです。伝わりにくい親心・・・わかってもらえぬ子の心…でしょうか。
 今回、出番も少なかった詫間先生が”幸せってなんだろうね”とポツリおっしゃいました。
 そう、大切なものは、物でもなく、お金でもなく、出世でもなく…何でしょう。
今、求められる<絆>が昭和の三丁目にはあったようでした。

  < 伝わらず 何故か切ない 親心 >

 
 

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