晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

葉室麟 『風花帖』

2021-12-05 | 日本人作家 は

がっつりプライベートな話で恐縮ですが、血液検査をするといつもコレステロール値が標準よりも低すぎて、でも悪玉コレステロールは低くていいのでは?とお医者さんに訊いたら、細胞壁が弱まる、抵抗力や免疫力の低下、などあるそうで、低けりゃいいってもんじゃないそうですね。主治医から「もっと肉と魚と卵を食え、マヨネーズやドレッシングもカロリーオフやノンオイルは使うな」と、中年男性の栄養指導とは真逆のアドバイスをいただいてるわけですが、先日の血液検査でついに善玉コレステロール値が標準になりました。でも総コレステロールと悪玉コレステロールはまだ低すぎ。ちなみに体脂肪率は10%前後なのですが、体型は痩せてはいますけど別に痩せすぎというほどではありません。

 

以上、体脂肪率ひと桁だと風邪ひきやすいですよ。

 

さて、葉室麟さん。直木賞受賞作「蜩ノ記」のときに選考委員のひとりが「登場人物がみな清廉すぎる」とコメントしていまして、人間の薄汚さ醜悪さをこれでもかと描くのが「リアリティ」みたいな風潮はあまり好きではないので登場人物みな清廉けっこうではないかと思ったのですが、葉室麟さんの他の作品を読みますと、まあけっこうドロドロした作品がありますね。とくに江戸時代の御家騒動モノ。

 

というわけで、この作品は御家騒動。江戸後期の文化・文政時代のこと、九州、小倉藩では家中が二派で対立、片方が城(白)に、もう片方が筑前黒崎宿(黒)に立て籠もるといった感じで、後世「白黒騒動」と呼ばれることになったそうな。

物語は、小倉藩士の勘定方、印南新六を乗せた駕籠が自宅に着きますが、駕籠の中で自害して息絶えていた・・・という壮絶なシーンからスタート。

それより十年ほど前のこと、小倉藩江戸屋敷側用人の菅三左衛門の嫡男、源太郎と書院番頭の杉坂監物の娘、吉乃の祝言が行われています。しかし、その席の中に、三左衛門の属する派閥(犬甘兵庫派)と対立する派(小笠原出雲派)に属している藩士、印南新六が座っているではありませんか。ですが、印南家と杉坂家は親戚なので、新六が祝言の席にいても別に不思議ではないのですが、周囲からは「あいつ、何しにきたのだ」「出雲派から犬甘様に寝返りたいのか、親戚の婚儀を利用するとはみっともない」などと陰口を叩かれまくり。

すると、出席していた犬甘兵庫が「印南新六に杯をとらせる、これに呼べ」というではありませんか。「そなたは出雲殿の派閥じゃそうだな」と訊かれ「父が出雲様を敬っていただけで、父亡き後、わたしは派閥に関心ありません」と答えると、今度は「そなたは無想願流を遣そうだな」と訊いてきます。質問の意味をわかりかねて黙っていると「まあよい、これからはわしの会合に出るように」と笑いかけます。

それから、新六はちょくちょく源太郎の家に来るようになります。新妻の吉乃はどこか嬉しそう。

しばらくして、城下で騒動が起きます。農民が押し寄せて一揆の様相。兵庫は「出雲派が仕組んだことだな」と見抜きます。この頃、藩主の小笠原忠苗は体調が悪く、養子の忠固に家督を譲ります。忠固は家督を継ぐに当たって、藩政を牛耳っていた兵庫が邪魔だということで、出雲派と結託して農民騒動を兵庫の失政に対する不満ということにして、兵庫は幽閉されることに。

犬甘派の幹部たちが集まって話し合いが行われ、源太郎は新六に報告します。そして「新六どのは半ば無理やりわが派に加わられたので、離れたほうが良いかと」と言いますが、新六は「さような話をうかがうと、なおさら犬甘派から離れがたくなりました」とにっこり笑います。

 

ところがそれから数カ月後、兵庫死去という知らせが。

こいつは大変なことになったと犬甘派は大慌て。

そんな中、新六のもとに、小笠原出雲から呼び出しが。出雲の屋敷に行くと、そなたの父親を生前あれだけ世話したのにお前はいけしゃあしゃあと犬甘派と親しくなりおって、と怒られ、お前はそのまま犬甘派にとどまって、やつらの動きを逐一報告せよ、と命じます。

新しい殿の忠固は幕府内で出世して幕政に参加したいという欲があり、(運動)をはじめます。つまり、上役への「どうか、ひとつ・・・」という付け届け。このため財政が逼迫、家臣らの俸禄を半分にする「半知借り上げ」という策に出ます。これに旧犬甘派から猛反発。さらに、先日のこと、某藩士の屋敷の壁に、殿の悪口のいたずら書きがあったそうで、藩内は一触即発。

そこで、旧犬甘派の中から、外国船の接近に備えて烽火を上げることになっているその烽火に「藩内が非常事態」だと火を放とうという計画案が持ち上り、その役目をはじめは源太郎が立候補しますが、新六がやることに。これには、かつて新六が吉乃と交わした約束が・・・

ここから、御家騒動に発展、先述した「白黒騒動」となります。新六の(無想願流)は、「蝙蝠(コウモリ)が飛翔するがごとき至妙の技」という秘技があり、新六は、両派閥を行ったり来たりとまさにコウモリのごとく・・・

 

この「白黒騒動」は実際にあった出来事で、史実によると、幕府の裁定が入り、出雲は失脚、旧犬甘派も処罰、さらに殿の忠固も百日の閉門に。本来であればお家取り潰しになってもおかしくなかったのですが、忠固の遠い遠いご先祖様の勲功(大坂夏の陣での小笠原秀政の大活躍)があって、罪が軽くなったそうです。しかし、もはや返済不可能なレベルにまで財政は逼迫、小倉藩・小笠原家は衰退の一途をたどることに。

 

御家騒動というのは、現代だと企業や政治の派閥争いにそのまま受け継がれていますね。もうこれは人間が群れを作ると必ず起きてしまうものなのでしょうか。悲しい生き物ですね。

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする