晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

ジェームズ・レッドフィールド 『第十の予言』

2009-12-07 | 海外作家 ラ・ワ
この前、ラジオを聴いていたら、松尾貴史さんが超能力について
語っていたのが面白かったので聞き入ってしまいました。
まず、超能力とは、人間にとって有益であること。スプーンを念力
で曲げるというのは、人間にとってまったくの無益なので、これを
超能力と呼んではいけない、というのです。
さらに、鉄を曲げる力があるのなら、世界中の核兵器や拳銃の
ここを曲げられたら機能しないという部品を念力で曲げれば世界
平和に役立つし、それこそが本当の超能力である、と。

さらに、念力というのは、距離には関係ないんだそうです。つまり
遠隔で曲げることができる。しかし、その能力を持っているとされ
る人たちは、失敗すると、近くに疑っている人がいるから集中でき
ないと言います。が、距離に関係ないのなら、世界中に懐疑的な
人はゴマンといるはずなので、地球のどこでやっても集中できない
ことになり、矛盾なのです。

…とまあ、超能力であったり、スピリチュアルであったりといった俗
にいう「超常現象」(ひと括りにしてはいけないんですけど)に対して
懐疑的な人からすれば、そこには「ネタ」があり、矛盾が存在してい
る段階では信用できない、というのも分かりますけど。

『第十の予言』は、前作『聖なる予言』の続編で、前作では、古い
友人が突然「わたし」のもとを尋ね、ペルーで発見された古代の
予言が見つかったことを教えてくれ、「わたし」はいてもたっても
いられずにペルーに飛びます。旅の途中にさまざまな人と出会い、
予言を順番に知っていくのですが、その予言を隠蔽しようとする
組織の妨害などがあり、第九の予言を知った直後拘束され、「わた
し」は帰国せざるをえなくなるのでした。

そして、アメリカに戻って数ヵ月後、予言を教えてくれた友人が
いまだに消息不明と連絡が入り、彼女の残したメモをたよりに、
アパラチア山脈へと向かうのですが・・・

前作では、第一の予言から第九の予言まで紹介されて、スピリ
チュアルを前面に押し出しているというよりは、冒険小説風に話
が進行してゆくことで楽しめたのですが、『第十の予言』でも、
いちおうは冒険ぽく描いてはいると思うのですが、前作よりは
現代の世界あるいは人間社会に対する警鐘、そしてよりよい暮
らしをする提言が強く描かれています。

ただ、「こうしてこうなってこうすればみんな幸せに暮らせる」
という提言も、ちょっと考えると「あれ?」という矛盾点が見つかり、
一筋縄ではいきません。
幸せはこうだ、と断定すると、どこかで不均衡が生じる恐れもあり
ますね。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パトリシア・コーンウェル ... | トップ | ジェフリー・アーチャー 『... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

海外作家 ラ・ワ」カテゴリの最新記事