晴乗雨読な休日

休日の趣味レベルで晴れの日は自転車に乗ってお出かけ。雨の日は家で読書。

寺林峻 『空海 高野開山』

2020-01-10 | 日本人作家 た
あれは2018年ですから2年前、成田山新勝寺が開基1080年で、なんかイベントがあったりして、御開帳があって本堂の前に柱が立っていてヒモが伸びていて、そのヒモの先はご本尊の不動明王の御手に繋がっているとかで、その不動明王はなんと空海作という、まあ本当かどうかは分かりませんが、お参りに行ったときに柱に触ってきました。

「空海」といえば仏教界のスーパースター、山に杖を突いたらそこから温泉が噴き出したという伝説もありますが、温泉の件は、唐に留学中、世界最先端(その当時)の地質学をおそらく学んできていて、そこの地形を見て水脈はある程度は分かっていたのでしょう。それから空海といえば京の都の「東寺」ですが、東寺はあってなぜ西寺は無いのか、雨乞いの対決で西寺の守敏僧都が空海に敗れたために衰退した云々という例の話、あれもおそらく唐で気象学を学んできていて、雨の予測はその当時の日本の誰よりも詳しかったのではないか、とかなんとか。

別にこのブログで空海を貶めようなんて気はまったくございません。

この作品は、空海の人物記ではなく、唐から帰国後、高野山の開山にこぎつけるまでを描いています。もちろんそれまでの経歴、業績の説明もあります。

まず、高野山に真言密教の道場をひらく許可を天皇からいただいて、空海はふたりの弟子を連れて高野山に登ります。ところが、この山は古くから別の神様を祀っており、異国の宗教を持ち込みやがろうとしていると警戒されます。そちらの神様をどかしてまで仏教道場を作るわけではないと住民にきちんと説明してどうにかわかってもらい、道場の建設を手伝ってもらったりしますが、空海は超多忙で京に戻ります。ところが「空海は高野山を捨てて東国の日光という山に新道場を作ろうとしてる」という噂が飛び交います。

ウワサの根拠その1、京に行ってた知り合いから聞いた
ウワサの根拠その2、そもそも帝の許可を得ている(勅令)だったら国からお金が出てもいいのに寄付だけでまかなおうとしている

これらがだんだんと人々に広まって、そのうち山に残った空海の弟子が監禁されることに・・・

最終的に高野山に真言密教の道場、金剛峯寺は完成し、それから千年、21世紀に入っても参拝あるいは観光で大勢の人が訪れています。
「遥かのちの世代まで遺さなければならない」といった空海さん。安心してください、遺っています。

作品中では、空海を、なんていうんでしょう、とっても人間くさく描いています。
空海のお母さんが出てきての母子のやりとりもあったり。

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