やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

再検査

2012-03-07 | やまがた抄


先日の救急車ハプニンブのあと、二度目の検査に行きましたが、レントゲン写真を見ながら、”石があるやうで、ないやうで…”と先生も困惑して、暫く様子をみることになった。

あれ以来、食後の薬飲みが欠かせず、なにか、とても歳をとったやうなブルーな気持ち
が続いてゐます。

でも、今の病院といふものはとても親切で、対応も丁寧で、以前の病院アレルギーは今回のハプニングですっかり吹き飛んでしまひました。

検査が終って、会計にゆく途中の通路に、啓翁桜が飾られてゐました。
山形県で生まれた、切花用に栽培されてゐる、切捨てになる桜、です。

北向きの窓に、ほっとする色でした。





春の遅れ

2012-03-06 | やまがた抄


二十四節気では、啓蟄のころですが、あたりはやっと雨水といった趣きで、すっかり、冬が長引いてゐます。

昨日も、この時期にしては、スコッタマ!(大変に!の山形弁)降って、雪の投げ場がなくなった我が家では、万策尽きて、家の周囲に万里の長城のやうに、雪のかたまりを積み上げてゐます。
通路の雪はひたすら平らにし、でもおかげで地盤がすっかり高くなって、駐車場へはマイナス15センチほどの落差がつき、はやくの雪解けを待ってゐます。



哭きの、ブラームス

2012-03-05 | やまがた抄
ブラームスが、好きです。

豪快な協奏曲、陽と陰が裏表の室内楽、呟くやうなピアノ・ソナタ、ストイックに美しい合唱曲や歌曲、等々ー。
でも、やはり、交響曲を沢山聴きます。

全部でたった(!)4曲きり残さなかったので、全曲といっても4曲。CDで3~4枚分。
ですから、棚には色々な指揮者の演奏が、あまたあります。
そのなかで、小生のベスト3は、質実剛健なルドルフ・ケンペ/ミュンフェン・フィルの演奏、音色の美しいイシュトヴァン・ケルテス/ヴィーン・フィルの演奏、そして、耽美的ともいへるサー・ジョン・バルビローリ/ヴィーン・フィルの演奏、です。

そのバルビローリの演奏では、特に、2番と4番が素晴らしいのですが、久しぶりに聴いて、その哭き節に心が満ち足りました。

Brahms : Symphonie nr. 4 in e-moll op.98 - I Mov. - Wiener Philharmoniker , Sir John Barbirolli


4番の出だしー、ピリオド奏法が全盛の現代では、まうこんな演奏をするひともゐないでせう。
過去の代物だ、大時代の演奏だ、時代錯誤だ、ともいへるかもしれません。

でも、けれど、この哭いてゐるブラームスの姿は、この曲が作曲されてから十数年後、愛するクララ・シューマンに死なれ、葬式に間に合はなかったブラームスが、やっとたどり着き、すでに埋葬されてしまった墓にひざまずいて号泣したといふ(慎重居士のやうに思はれてゐた、ヨハネス・ブラームスが!)エピソードの一点と見事にリンクする姿でもあります。


終りと思ひきや…

2012-03-03 | やまがた抄


お隣りや仕事場で、”まう、雪も終りだねえ”などと希望的に話してゐたら、ずっしりとした湿った雪に見舞はれました。

この前は、細雪で、そのあとは牡丹雪で、雪の具合で、春が近づいてくるのがわかるのですが、きまって、参月の雪は湿って重たい、太平洋側の雪と同じになります。

ただ、まう、茅宅では雪の投げ場や移動場所がすっかりとなくなり、といふより屋根からの落雪が捨て場への通路をふさひでも楽観してそのままにしてゐたものでー、これ以上の積雪には完全に白旗を振るしかないのですがー。



参月になって…

2012-03-02 | やまがた抄


朝、あたりが靄に包まれてゐました。

あさの冷へ込みもひと段落して、地面の温度もわずかに上がってきたのか、靄の季節です。
雪国では、11月頃、あたりが靄につつまれると雪降りの季節になり、明けて3月頃、再び靄につつまれると、厳しかった雪の季節も終はりに近くなります。

まもなく、3月11日がきます。
確か、あの激震のとき、あたりに雪はなかったやうな記憶があります。

今、日本といふ国は、厳しい自然の洗礼を受けてゐるかのやうです。
果たして、日本といふ国は、どんな罪を犯してしまったのだらうかー。

よき、フォーレ

2012-03-01 | 音楽を
定期的に、フォーレのレクヰエムの演奏を探してゐる。

きっと、おそらく、棚のフォーレのレクヰエムの演奏CDは、20数枚ほどになってゐるはずですが、また、テープや聴けもしないLPを合はせると、さまざまな演奏を聴いてきました。
(でも、生演奏では、2回だけしか聴いてゐません)

そして、なかなか、よい演奏に遭ふことが少ない曲です。
曲自体がきはめてシンプルなので、そのまま演奏してしまふとアッサリとし過ぎてしまひ、勢ひ、メリハリをつけると、とんでもない代物に変はってしまふ。

今も、動画サイトで、小澤征爾さんの何かのイヴェントの時の演奏を見られますが、とんでもない代物の代表みたいな演奏で、合唱は、何を勘違ひしてゐるのか、まるで第九の終楽章のやうに朗々と歌ってしまってゐて…。

小生も、月並みに、やはりこの曲の決定盤は、ミシェル・コルボズ/ベルン交響楽団での旧録音にとどめをさし、彼の二度目の録音でも届かない、至宝の演奏です。

少年を含む男性のみの合唱で、ソプラノも少年で、その危ふひまでの声が、ぎりぎりのところで踏みとどまって、たゆたふやうな合唱の見事さと相まって、フォーレの、母に捧げた哀しみが尽きることがない、絶後の名演です。

そんななか、これは! といふ、演奏に逢へました。



奏者は、よく知らない方々ですが、アムステルダムの合唱団の、なんと素晴らしいこと!!
コンセルトヘボウの大ホールでの演奏なので、大げさな演奏なのかしらん? と思ってゐましたが、実に精緻な、きはめて静謐な演奏で、特に女性合唱の見事な声の絞り具合!

あっといふまに、感謝するやうに聴き終へてしまひました。
(尚、動画は前半だけなので、気に入った方は、残りを検索して聴いてみて下さい)