やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

カザルスのブランデンブルク協奏曲

2006-11-02 | 音楽を
         
             


過日、カザルスのモーツァルトを聴いたら、
彼のバッハも聴きたくなりました。

バッハの、管弦楽曲を集めたディスクから、
ブランデンブルク協奏曲の4、5、6番を聴く。

マールボロ音楽祭管弦楽団による、1960年代の演奏。
特に、5番は、ハープシコードの部分をピアノで演奏したもの。

その選択や、演奏形式が、今となっては確かにひと昔まえのものですが、
でも、なんて、豪快で、おおらかで、優しさにあふれた、本当に心地の良いバッハなのだらう。

コープマンのやうに、キンキンと響かせながら、颯爽とする演奏も嫌ひではありませんが、
すこし、疲れた中年のオジサンには、こんな、少し古色の演奏も有難いものです。

でも、バッハは、少しも崩れてはゐなくて、
バッハの創り出した音楽の素晴しさゆゑなのでせうが。



明日は、ひと月半前に亡くなった、小生の父の納骨のために、山形を離れます。

人間50も過ぎてゆくと、
ゆっくりととどまることを許されない、
背中からの風に追ひ立てられながら、前のめりになって、
日ごとにこころ細くなってゆく道を、
必死の形相で歩いてゐるやうな気になります。




(写真は、ジャケット)





『特攻とは何か』、を読む

2006-11-01 | 雑記
       
            

『特攻とは何か』(森 史郎著/文春新書)、を読む。


「これは、統率の外道だ」と、自ら自嘲したといふ、神風(しんぷう)特別攻撃隊を生むに至ったひとりの中将を軸に、”創った人間たち”を追って、戦争の本質の一部に迫る。

特攻といふ手段が、”特別”ではなく、”常套”の手段に変はって行く過程で、
日本軍の、貧しい戦略の一端が見へてくる。

起死回生の作戦を練るために、戦場のレイテ湾に押し寄せてきてゐるアメリカ艦隊の数千隻にもおよぶ凄さを実見した参謀はひとりとして居らず、
「反対する者は叩き斬る!」と恫喝した指揮官が、戦局絶望となるや、現場をすてて本土に舞ひ戻り、「日本国民が、二千万人ほど戦死する一戦を!」と本土での特攻を再度提言し、
その為に見本として展示された武器は、幕末時代の鉄砲と弓と竹槍!

この、おかしく、悲しい事実は、
しかし、けれど、手を変へ品を変へて、今の日本の現状に脈々と生きてゐる気がします。

エピソードとして語られる、特攻にて戦士した息子のために、町や町内会が家の玄関脇に立派な鳥居をたて、軍神一家としてほめたその鳥居を、終戦の報を聞いた翌朝、死んだ息子の父親は黙々と取り壊した、といふ話は、戦争といふものの”狂気”と”惨さ”を語ってゐます。


(写真は、表紙。内容の一部は、本書から)