『特攻とは何か』(森 史郎著/文春新書)、を読む。
「これは、統率の外道だ」と、自ら自嘲したといふ、神風(しんぷう)特別攻撃隊を生むに至ったひとりの中将を軸に、”創った人間たち”を追って、戦争の本質の一部に迫る。
特攻といふ手段が、”特別”ではなく、”常套”の手段に変はって行く過程で、
日本軍の、貧しい戦略の一端が見へてくる。
起死回生の作戦を練るために、戦場のレイテ湾に押し寄せてきてゐるアメリカ艦隊の数千隻にもおよぶ凄さを実見した参謀はひとりとして居らず、
「反対する者は叩き斬る!」と恫喝した指揮官が、戦局絶望となるや、現場をすてて本土に舞ひ戻り、「日本国民が、二千万人ほど戦死する一戦を!」と本土での特攻を再度提言し、
その為に見本として展示された武器は、幕末時代の鉄砲と弓と竹槍!
この、おかしく、悲しい事実は、
しかし、けれど、手を変へ品を変へて、今の日本の現状に脈々と生きてゐる気がします。
エピソードとして語られる、特攻にて戦士した息子のために、町や町内会が家の玄関脇に立派な鳥居をたて、軍神一家としてほめたその鳥居を、終戦の報を聞いた翌朝、死んだ息子の父親は黙々と取り壊した、といふ話は、戦争といふものの”狂気”と”惨さ”を語ってゐます。
(写真は、表紙。内容の一部は、本書から)
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