朝日新聞の土曜日版に、ブラームスとクララ・シューマンの話が載ってゐました。
ブラームスの交響曲第1番の終楽章、不安げな、悲劇的な装ひに続く朗々としたホルンの旋律をクララに奉げた、といふエピソードでした。
14歳違ふ(そのこと自体には、興味がありませんが)二人の、それぞれの、間違ひなく恋といふ感情は、彼らの劇的な死の年のエピソードと共に、尽きない興味を小生に示してゐます。
そして、思ひだしたやうに、交響曲第1番を聴きました。
イシュトヴァン・ケルテス指揮/ウィーン・フィルの演奏を出しました。
水泳中に事故で亡くなる数ヶ月前の録音。
確か、カップリングの「ハイドンの主題の変奏曲」の録音が未完成だったために、
のちにウィーン・フィルのメンバーがケルテスの死を悼みながら、指揮者なしで完成させたといふ名盤です。
ケルテスをそれ程多く聴いてゐるわけではありませんが、ブラームスとモーツァルトは、格別です。
きっと、急死しなければ間違ひなくウィーン・フィルの指揮者になっただらうと云はれてゐた逸材のケルテスですから、40代前後の録音ながら、派手さはありませんが風格の整った演奏を残してくれてゐます。
(写真は、CDのジャケットから借用)
大変ご無沙汰しておりました。
73年に亡くなったケルテスですが,如何にもハンガリーの指揮者らしく,きびきびしたテンポと強靱なリズム感が顕著な演奏をする人でした。
デビュー盤の「新世界」(勿論VPO盤)はLP時代の愛聴盤でしたし,十八番の「ハーリ・ヤーノシュ」(ロンドンso)は未だにセル~クリーヴランドoを除くと,未だに決定盤だと思います。
ハイドン・バリエーションは終曲のみ未収録だったので,指揮者なしで録音したとのことです。
個人的には,63年録音の第2が伸びやかな演奏で好きですね。
遂に採録音が叶わなかったということですが,演奏・録音共に何ら遜色ありません。
私の持っている輸入盤には,セレナーデ第2番がフィルアップされており,ロンドンsoの上手さと相まって,晴朗で快活な演奏を聴かせてくれます。
セルが亡くなったとき,クリーヴランドoの団員投票で,次期音楽監督はケルテスがダントツだったそうです。
彼の人柄の偲ばれるエピソードではないでしょうか・・・。
お立ち寄り、ありがたうございました。
以前は「レコード○○」といふ雑誌を数十年も読んでゐたのですが、止めてから数年になります。
何故って、どうも、出てくる演奏家が小粒な感じで、加へて、微にいり細をうがつやうな演奏が多くなって
閉口して止めたのでした。
ですから、もっぱら聴くのは80年代までの録音が多く、これって、オヤジ現象でせうか?f^_^;)