やまがた好日抄

低く暮らし、高く想ふ(byワーズワース)! 
山形の魅力や、日々の関心事を勝手気まま?に…。

やっと、初参り

2006-01-12 | やまがた抄




小正月を間近にして、やっと我が家は初参り、でした。
山形市の”両所宮”へ行ってきました。
最近、年々初参りが遅くなってゐるやうな気もしますがーf^_^;)。

平日なので、参拝する人も少なく、それを見込んでか、
今朝方降った雪もそのままの、静かな境内でした。





境内の一角が公園になってゐて、水鳥たちが(種類は解りません(^_^;))晴れ間の日差しを浴びて、新たな年を楽しんでゐるやうでした。





埋雪寸前!

2006-01-09 | 大岡山界隈

年末年始続いてゐた大雪の晴れ間、近隣では雪下ろしの作業の声が響いてゐました。
我が家も、駐車小屋の雪が7~80センチになってゐたので、軒先ばかり落としました。屋根に上って下ろしたいところですが、表層落下の危険があるので、こまめに落すしかありません。

庭先の椿も(これは、黒侘助ですがー)、簡単な雪囲ひのまま今回の大雪を迎へてしまったので、なすすべなく雪に埋もれてゐます。

家の軒先は、既に雪ではなく、氷の固まりと化し、”雪”が凶器と化す寸前まできてゐます。上越地方は、雪が人間の生き死にを左右するところまできてゐるやうで、殆んど無抵抗で降る雪を眺めるしかできない人間は、自然界では、やはり弱い存在でしかないやうです。




スウィトナーのシューベルト

2006-01-08 | 音楽を

年が改まって、ゆっくりと聴いた曲は、スウィトナーのシューベルト、でした。
最後の交響曲9番(最近は8番になってゐますが…)。
ベルリン・シュターツカペレとの1984年の録音。

この曲の演奏では、小生の好きなケンペ/ミュンフェン・フィルのディスクが最愛のものですが、スウィトナーの演奏もケレンみがなく、すっきりと進んでゐて好ましいです。
最初の出だしを、タマゲルほど遅くした演奏もありましたが、31歳で死するシューベルトには似つかはしくない(といふより、無礼かもしれない)。
録音当時、東独随一のオーケストラの弦の音色が素晴しく、シューベルトの演奏としては規模が大きい気がしますが、ベートーヴェンを敬愛したシューベルトの、「やっとここまで来たよ」といふ気概と無念さがよどむ事のないテンポに反映されてゐます。

スウィトナーは、東独の消滅と共に、健康上の理由も含めて、すっかりと現役を引退してしまひましたが、今にしておもへば、或いは、このシューベルトやモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、ブルックナー等々の一連の録音を進めてゐたこの時期が、最後の幸せな時間だったのかも知れません。
いち時期をなした、カラヤンやベームのやうなネームバリューはありませんが、残された”音楽”を聴くと、色あせることのない指揮者だったことを再確認させられます。



(写真は、LPのジャケットから借用)

伊右衛門殿!

2006-01-05 | 雑記

図書館から「四谷怪談は面白い」(横山泰子著/平凡社)といふ本を借りて読みました。

以前から、南北の「東海道四谷怪談」は好きで(歌舞伎そのものも好きで)、
哀しい岩の姿と、色悪の民谷伊右衛門の凄みが好きでした。
以前読んだ京極 夏彦の『嗤う伊右衛門』も、作者の独自の解釈で、二人の壮絶なラヴ・ストォリになってゐて、溜飲が下がった思ひでした。

決まって年末に話題になる忠臣蔵の話は、以前から嫌ひで、興味はひたすら”参戦”出来なかった人々(そちらの方が多かったはずですが)の生き様にありました。また、憎まれ役の吉良上野介にも興味が多く、以前調べた時にも「それ程、悪い人物でもない」といふ結果で、納得した覚えがあります。

「四谷怪談」もまた、”参戦”出来なかった人達の、一局面を描いたものです。
実在したともいはれてゐるお岩の魅力の有無は兎も角、劇中で、”醜くなった自らの顔を鏡で見たときに、変身を意識した”お岩の女としての凄みと哀しさ(幽霊にもなってやる! 夜叉にもなってやる!)は、小生には魅力のあるテーマです。








新年会

2006-01-03 | やまがた抄

毎年恒例の、餅つきと新年会でした。

十人ほどの集まりですが、
小生が臼と杵を持ってゐることから、7、8年前から皆で餅をつき、
それを食しながら新年会が始まります。
最近、会の平均年齢が上がる一方でf^_^;)
ここ数年、紅白の餅を作ってゐるやうな気がします。
今年は所望がありませんでしたが、来年は、お一人様、紅白餅になるやうです。

ここ山形でも、市街地では杵と臼で餅をついてゐる風景は殆んどなく、
それゆゑ、会の40歳代のTVディレクターが還暦になるまで、
また、無形文化財になるまで続けやう、とメンバーの意気は上がってゐましたが、
杵を持つ打ち手の息も上がってしまってゐて…;^_^A

ただ、持ちつき担当の小生としては、重い臼を運ぶだけでも大変でー。


とまれ、やはり、手打ちの餅はコシがあって美味しいと、相変はらず好評でしたが。(#^.^#)






大岡山好日

2006-01-01 | 大岡山界隈



年の瀬の荒れた天気もひと段落したのか、穏やかな日和の元旦になりました。
誰が云ったか、無責任な”暖冬気味”の予想をせせら笑ふやうな、
師走としては記録的な大雪になって、悲しいかな、人間は毎朝毎夜の雪掃きに
右往左往するのみです。

庄内でも、この度の天候の影響でせう、大きな列車事故があり、
雪の中に、無念の命を投げ出された方もゐて、辛い師走になりました。

所用で街へ向かふと、かつてのやうに、これといって正月らしい景色もなく、
さりとて、今朝がたの新聞に入ってゐた分厚いチラシを持って電気店に並ぶ
気持ちも用向きもなく、昨今のデパート業界の苦悩を云ひ得た、”全ての商品はあるけれど、買ひたいものは何もない”、といった年の初めです。

今年は、仕事の傍ら、蕎麦を蒔きたいと思ってゐます。
早くも、試食の一番乗りは俺だ、と所望してをられる方が声をあげてますがー。
TVの”元気村”ではありませんが、等身大の目線で、目の前にある素材や道具で生きてゆく。そのためには、何よりも、それらを生かし、使ふ知恵と工夫がなければ、生きてもゆけません。

持たないことは、持つものが少ないことは、決して貧しいことではない。
手持ちの少なさを嘆くことや、それを工夫・活用できないことの方が余程貧しいやうな気がします。



正月にふさはしく、南天に雪の景色、です。




いつも、小生のページを覗いて頂いてゐる方々にも、改めて御礼を申しあげます。
勝手気ままなブログですが、よろしくお付き合ひください。


               平成18年 元旦 神丘 晨 拝