rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

サイコパスの概念は性悪説論争を解決するか

2019-11-18 18:51:44 | 書評

 脳科学者の中野信子氏の著作「サイコパス」文春新書1094(2016年刊)は23刷を重ねるベストセラーで、内容も世間を騒がすサイコパスの実体を解り易く解説してある良書だと思います。私もぼんやりとした知識しかなかったのでその概念や実体をまとめる勉強になりました。サイコパスというのは特定の犯罪者に見られる病的な性格と認識されがちですが、100人に一人はいて、脳科学的なしくみもある程度明らかになっている、しかもonかoffの二者択一ではなく、その程度もグラデーションで、生来の場合も後天的な障害として出る場合もあるという所がサイコパスを理解する上で大事な点と思います。

 

サイコパスとは何か

 サイコパスとは、性格として「思いやりと共感に関する脳内回路が欠如した人」と定義付けられます。脳科学的な機序としては、扁桃体と前頭前皮質の結びつきが弱い、特に内側前頭前皮質(VMPFC)と眼窩前頭皮質(OFC)の結びつきの成熟がなく、扁桃体の活動が低い事で不安や畏れの感情に乏しい事が原因とされます。また多罰的情動を抑えることが機能上できないしくみになっていると説明されます。性別としては女性よりも男性に多いと言われます。

 

サイコパスの脳の特徴(本書79頁から)

付き合うと「どんな人」?

 サイコパス=犯罪者ではありません。中野氏の表現を借りると「勝ち組みサイコパス」と「負け組みサイコパス(のけ者や犯罪者になる)」に別れると言います。勝ち組として成功するサイコパスは非常に魅力的な人物で教祖のように信奉されます。人の事情など気にせず(その回路がないから)実現困難な夢を語り、その実現を人に強要します。典型例は意外かもしれませんがアップルの創業者スティーブ・ジョブズです。彼のアイデアはマッキントッシュ・コンピュータを個人の自由に使えるアイテムに変え、i-podやi-phoneなどは世界を変えたとも言えます。しかし自分の創業した会社をクビになるほど他人の事情を考えないとんでもない社会人であった事も確かのようです。他にも畏れ(自分が死ぬ事も)や他人を殺す事への躊躇が一切ない事から戦場におけるヒーローになり易かったり、秘密警察やスパイなどで活躍する事も多いとされます。

 一方で、失敗する負け組みサイコパスは正に躊躇なく犯罪を犯し、自分が罪に問われる事を恐れません。例としては2017年の10月に神奈川県座間市のアパートでクーラーボックスに入った複数の切断遺体が見つかり、殺人容疑で逮捕された白石被告などは、その後の接見での「もっと遊びたかった」「殺人は後悔などしていないが、逮捕されたのは後悔している。」といった発言からこの負け組みサイコパスに当てはまるように思います。

 これは本にない表現ですが、サイコパスを一言で理解しようとすると

「己の欲せざる所、他人(ひと)に施すことなかれ!」という格言を理解できない人と言えるでしょう。自分がやられて嫌な事は他人にしてはいけない、という事は実感として誰でも理解できるし、大人になる過程において体験的に学んで自然と身に付いてゆく人生訓であると思います。これは自然な「思いやり」や「同情心」としてその人の「徳性」を形成する源にもなってゆくものです。しかしサイコパスにとっては「自分がやられて嫌な事を他人にしてはいけない」と言われても「何故?」という疑問しか起きません。自分がやられなければ他の人がやられても「自分は痛くも痒くもないから良いではないか、何故他人の気持ちなど気にしないといけない?」(私の想像です)という理屈になる。脳内に共感の回路が存在しないというのはそう言う事だと思います。

 

性善説・性悪説との関連

 儒家の孟子は人間の本性は基本的に善である、とする「性善説」を説き、悪人を罰するのではなく、正しく導く事が大事という考えの基本になりました。一方で思想家の荀子は人の本性は悪であり、善になるには努力が必要と説いたのですが、一般的には「他人を善い人という前提で付き合うな」といった意味で使われる事が多いです。英語表現ではHuman nature is fundamentally evil.となりますが、evilは「道徳的な悪」を示す単語(ブッシュ子大統領は「悪の枢軸axis of evil」とイラクを表現してイラク戦争を宗教的道徳的正義の戦いと定義付けた)です。

 サイコパスの様に他人を害する事に何の心痛も覚えない人が100人に一人はいるという事実は、99人にとっては「己の欲せざる所、他人に施す事なかれ」と教育すれば心から成る程と理解できるけれど、サイコパスにとっては何の効果もないという事を意味します。サイコパスは古今東西どの社会にもいて、中野氏の著作によるとイヌイットの社会にも「害を与え続け、反省もせず、社会で生きられない者」は長老が夜、水に突き落として処分してきた、と紹介されています。刑罰は「社会に復帰させるための教育的な物であるべきで、眼には眼を、という応法的な処罰はいけない」とする考えが近代刑法の基本とされていますが、イスラム法など古代からの応法的な刑罰も実はサイコパスの存在を前提にした人類史の経験に基づく根拠のある刑罰であったとも言えそうです。

 

実生活におけるサイコパスとの付き合い方

 100人に一人は程度の差や社会的適合性(犯罪をするしないに関わらず)の程度が様々なサイコパスが、実際には社会に溢れている事を考えると、実生活においても日常的にサイコパスの人達に接して我々は生きて行く必要があります。自分自身もある程度サイコパス的因子を持っていると反省する必要もあります(中野氏の著作にはサイコパス度テストというのがあるのでやってみると興味深いです。幸い私はあまり当てはまらなかった)。普段自覚せず、「自分は押しが強い性格であるのが強みである。」位の認識の人も沢山いそうです。基本的に脳機能の欠陥なので、相手に異常を指摘しても治りません。中野氏によると、サイコパスは「罰には疎いけれど利に聡い」ので「叱るより褒める」、「処罰より褒美を与える」事がサイコパスを善い方向に導く(うまく使いこなす)コツであろうと述べていて参考になります。

 今までも上司や部下、患者さんや家族などに「何故か常識的理屈が通らない」「その発想はどこから来るのか自分の数十年の経験上想像もつかない」という対応をしてくる人達がいました。そのような人達をサイコパスという概念で見直してみるとかなり一致していた事が解ります。そういった人達を理解した上でうまく付き合う事は社会生活を送る上で必要であり、また予想もつかない一方的害悪を受けてしまう事(何しろ相手は何の躊躇も悪意すら感じずに相手を傷つけてくる)から自分を守る手段にもなるでしょう。その意味で社会でいろいろな人に接する必要がある人にとって、この本は必読の書と言えるかも知れません。


コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Heinkel He-111 H-6 (ハセガ... | トップ | NHK BSドキュメンタリー よ... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (通行人)
2019-12-29 02:27:29
そんなもんですか?
苦言ってありますが。たいていの苦言は実は親身になってくれる人のは役に立ちません。
他人事で無責任な方言だからこそ、ぐさりとする時があります。そこに善意からの結果でも、忖度がありません。
私も貴殿と同じ武官の出身ですが、教官たちは平気で斬る人達でした。彼らなりに想いはあったとは思います。
でも適性に劣る者は斬る。子供でも何でもない他人だから出来るのだと思います。
他人の悔しさ辛さを忖度していたら切断できません。
それと同じで、サイコパスは必要だから自然界に存在し得るのだと思います。
人が他人の苦しみに忖度できるのは美点ではありますが、
そのような人ばかりでは、道を誤れば全滅します。
人類が生存する為には、平気で他人の痛みに忖度しない冷血漢も必要なのであるから、サイコパスも自然に残されているのだと思います。それは普通人には冷血漢でしょうが、
皆が皆、他人を思いやり、忖度していたら人類はとうに死滅していたと思います。同じように考える人だらけなら、
常識で越えられない極限に遭遇した時に絶滅します。
他人を思いやるのは大切ですが、それだけで生存ができる程に世界は優しくないと思います。
不必要なら絶滅しています。
返信する
必要云々の議論はない (rakitarou)
2019-12-29 08:48:03
>サイコパスは必要だから自然界に存在し得る
はその通りで本文や中野氏の本にもスティーブ・ジョブズ氏の件など人類のquantum leapに大いに役立っています。またばっさり切る事とサイコパスは直結しません。本人や組織を思えばばっさり切る時はサイコパスでなくても切ります。
この本文で言いたいのは、「話せば解る」「死刑は不要」は100人のうち98人には通じるけど1-2人は脳の構造上通じない人がいる(科学的真実として)という事です。
返信する

コメントを投稿

書評」カテゴリの最新記事