rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

世の中にある2種類の真理

2014-04-10 18:34:43 | その他

最近よく感ずる、世の中には2種類の真実があるな、という話です。一つは時代、社会、或は生物の範囲を超えて動かせない真実というもの、もう一つはある決め事の上に成り立つ真実というものです。

 

以前自然科学について論考した時に帰納的真実と演繹的真実に触れましたが、その分類もこれに関連していると言えます。つまり後者は前提に基づいて導かれた結論が、前提が正しく、論理展開が正しければ自動的に正しい結論になるというものです。

 

解りやすく言うと、誰も否定しようがない絶対的真実というのは、生物はいつか死ぬとか、食べなければ腹が減るとか、太陽は東から昇るといった事実で、犬猫にいたるまでこれを否定することはできません。しかし1+1=2というのは10進法でそう決めたから2になったに過ぎません。約束事の上での真理です。100円という通貨もその価値を皆が認めるように決めたから通用するのであって、江戸時代に持っていって通用するものではありませんし、犬に上げても餌を分けてくれるものでもありません。水に火をくべると沸騰しますが、沸騰する所までは絶対的な真実ですが、100度で沸騰するかどうかは決め事の上での真理でしかないと言えます。

 

真理・真実に2種類あるのは言われてみると当たり前のように思いますが、世の中で真理について議論する場合、この二つが混同されている場合が実に多いと思います。例えば宗教上の真理というのは後者の典型的なもので、信じている人にとっての真実でしかありません。

 

この絶対に動かす事ができない真実を「レベル1の真実」、約束事に基づく真実は「レベル2の真実」と呼ぶ事にします。レベル1の真実に対しては、人も動物も場合によっては命をかけて対処します。餓えや自然との戦いにおいては殺し合いをすることも厭わないことは、人も動物も古代人も一緒です。しかしレベル2の真実について殺し合いまでしてしまうのは現代人だけではないかと思います。動物は宗教戦争などしませんし、金や土地、資源を巡る戦争、殺し合いも経済観念というものを持ってしまった現代人だけが行う所業です。まあ決め事の上での真実で殺し合いまでしてしまう事が「ヒトのヒトたる所以」であるとも言えますが、それが本当に賢い所業とは必ずしもいえないように思うのです。つまり「決め事」を変えてしまえば殺し合いにならないのならば「決め事を変える」事の方が正しい選択だろうと。

 

医療においても、動かせない真実に対する医療と決め事に基づいた上での医療というのがあります。怪我をした、感染した、腫瘍ができた、といった事態に対する医療はうまく対応すれば死なずに済むものです。しかしコレステロールを下げれば心筋梗塞や脳梗塞にならない、というのは統計的な真実に基づく医療であって、コレステロールが正常でも梗塞は起きますし(むしろその方が多い)、コレステロールの薬を飲んだからといって死なずに済む訳ではありません。絶対的真実に基づく医療を「レベル1の医療」、決まり事に基づく医療を「レベル2の医療」に分けるとすれば、多くの急性期疾患や救急医療はレベル1の医療となり、予防医療と言われるものはレベル2の医療になります。しかし医療においては動かせない真実に対する医療と決まり事に基づく医療を区別して考えようとすることに抵抗があり、「レベル1の医療のみを保険診療の対象にしよう」などと言うと猛攻撃を受ける事になり、どちらの医療も混同して考えることを要求されます。医療者が大変でリスクの高い医療はレベル1の医療であり、医療者は楽で薬屋さんや業界が儲かる医療はレベル2の医療だからです。

 

本来レベル1の真実に基づく揉め事に対応するために、便宜的に人間は種々の決め事を作って対応してきたと言えます。しかし知らず知らずの内に、レベル2の真実も動かす事ができないレベル1の真実と混同してしまい、結果的に悲劇的な結末を招いてしまっていることが日常多いように感じます。「真実・真理(と言われているもの)を疑うという姿勢は大事だ」とある講義で話したので備忘録として記しました。

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