rakitarouのきままな日常

人間様の虐待で小猫の時に隻眼になったrakitarouの名を借りて政治・医療・歴史その他人間界のもやもやを語ります。

大学のありかた

2008-07-02 20:59:46 | 社会
少子化に伴って大学生の数が減っている。地方の大学では入学者が定員に満たないから中国などから大量に留学生を募集している。それで留学生がまじめに勉強すればまだよいが、単に奨学金をもらった上に都会でアルバイトをして稼ぐ方便になっている所もあると聞く。一方で学生達は就職難で、学生は一般教養や実務に役立たない特殊な分野の知識よりも、より実務に役立つものを身に付けたいと考えている。そこで大学側は時代に合わせて学生達のニーズに答えられるよう変わってゆかねばならないなどとコメントしている。

なんかおかしい気がする。大学というのは広い教養を身に付け、また物事を深く探究する方法を習得する国家の最高学府のはずである。この基本的事項を習得し、大学を卒業した者は、ジェネラリストとして多くの専門家達を束ねてリーダーシップを取る道を選ぶか、より狭い分野を深く探究するために学者になるかである、と小生大学人の端くれとして漠然と思ってきた。

実務的な資格や技量を身に付けるためにあるのは専門学校である。現在ある多くの大学は大学という名前の方が高級感があるのと、各種補助金などの特典があるために専門学校、各種学校から変身したものが多い。この際大学と呼べないような学校はもとの専門学校に戻って思いきり実務に役立つことを教えるようにすればよいかもしれない。学生もその方が喜ぶのではないか。総合専門学校として4年間の在学中に車の免許から司法書士や公認会計士の資格まで取れるような学校があれば、大学に行っても何の目標も見つからない人たちには大いに勉強する気持ちが起こり、時間の無駄を省ける。アビバやノバに行く必要がなくなる。もっとも専門資格など就職する上で意味がない、と言われてしまうと殆どの大学は存在そのものを否定されてしまうのかもしれませんが。

そのような意味では、医学部や歯学部はまさに国家資格を得るための専門学校である。アメリカでは大学を出た学士が改めてmedical collegeに入学してくるのだから、医学校は専門学校と考えられているのだろう。日本も戦前は医専と呼ばれる専門学校があったが、皆医科大学に格上げされてしまった。お金を積んで医学部に入り、楽をして国家試験に通ることを良しとする某医科大学などは、医専で十分である。

ところで自衛隊でもそうだが、軍隊では将官(ジェネラル)になると制服から専門職種の兵科徽章をはずして、まさにジェネラリストとして各科部隊を統率してゆかねばならない。普通科(歩兵)や機甲科(戦車)のことだけでなく、補給や衛生、通信など全てのことを浅くても広く知らなければジェネラルは勤まらないのである。会社の社長や、病院の院長も自分の専門のことだけでなく、全職種の知識を浅くても広く知らなければ勤まらないのは同じである。社会のリーダーたるものが広い教養を身に付けねばならない必要性はそこにある。立花隆の受け売りになるかも知れないが、明治期に出来た帝国大学はまさにリーダーたる優秀なジェネラリストを育てるよう造られたのであろう。それはそれで大学の重要な存在意義であると思うし、本当に優秀な人なら、企業に入ってから鍛え直せば良いのだから、企業が学業優秀な(有名校の?)大学生を優先して取るのは納得できる。

私は、今後大学はA大学(専門各種技術の習得を目的とした大学)とB大学(旧来の大学としての目的を持った大学)に別れるべきだと思う。誰でも入れるのはA大学で十分である。当然B大学として学生にも選ばれ、残れる大学は数少ないであろうが、それでよいと思う。国民の6割がリーダーになる必要はない。B大学は卒業も難しく、卒業試験も必ずしも答えが出る問題を出す必要はない。世の中答えの出ない問題の方が多いのであり、それを研究するのが本来の大学の姿だと思う。A大学も勉強は必要だけれど、必ず答えが出る問題を出せばよいと思う。医師の国家試験を含めて、資格試験というのは必ず答えが出せると決まっている(本当の医学は答えの出ない問題も多いからいつも国家試験の試験対策上ギャップが出てもめる元になるが)。A大学は、専門性を活かしていかに魅力ある学校にするか競えばよい。ちなみに小生はA大学を卒業してA大学に勤めていた。
コメント
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