Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

ゼミ追いコン

2012-02-06 23:47:42 | Weblog
先週の金曜はゼミの追い出しコンパを行った(残念ながら2,3年生の半分しか参加しなかった・・・)。以下の写真は一次会のあと,大勢の通行人を気にしながら外で記念撮影したもの。参加者たちが盛り上がっている様子は伝わると思われる。



さて,今年度,当ゼミで卒論を提出したのは全部で7人。そのテーマを挙げると

プロ野球球団/ファンのツイート分析
アニメによる地域振興
深夜アニメの人気向上
音楽産業の無料配信への対応
AKB48の成功要因
クリエイティブシティ横浜市の可能性
パチンコ産業の将来

となる。このうち最初の3つは TWCTTC を用いて Twitter やブログのデータを収集し,TTM で分析している(うち2つは重回帰分析まで行った)。残りは公開資料や文献をもとに自分の所見をまとめている。基本的にみんな,自分の関心事について研究を行った。

追いコンでの挨拶である4年生が語ったように,この代では3年間のうちにゼミ生の数がほぼ半減した。最初のうちは自分のやりたいこととの違いが理由とされ,そのうち就活が忙しいことが理由になり,そして最後は卒論を書く時間がないということが辞める理由になった。

卒論の提出はゼミごとに定められた慣習であり,ゼミを履修することは必修ではないので,単位を取るという観点からだけいうと,4年になってもゼミを続けて卒論を書くことは全く効率的でない。それなのにあえて卒論を書いた7人のゼミ生たちのガッツは賞賛に値する。

では卒論の「レベル」はどうだったのか・・・ 毎度のことだが,あと数ヶ月あればもっと面白い研究になったのにと思う。就活が長引いて卒論に十分時間を割けなかったこともあるが,やはり教員の指導力不足も否めない。来年度はもっと前倒しでことを進める必要がある。

そもそもなぜ卒論を書く必要があるのだろう? すぐ思いつく答えは,大学が「学問を学ぶ」場である以上,最後に何らかの「論文」を書いて,学問の再生産の一端に加わる経験をすべきだ,というもの。典型的な模範回答だが,これを超える答えを出すことはなかなか難しい。

論文を書く経験はいつか必ず役に立つ・・・というのもありそうな回答だ。確かに就職したのち,その職場での懸賞論文に応募する可能性がないとはいえない。卒論の経験がそうした場で生かされることが期待されるなら,学術性とはちょっと違う要素が強調されなくてはならない。

いますぐ研究者になる可能性はなく,今後ビジネスの現場に出て行く学生たちを主な対象としたとき,卒論を書くことにはどんな価値があるのだろう? それは,企画書や調査レポートに置き換えてしまっていいことなのか? なかなか適切な答えが思い浮かばない。悩みは続く・・・