元プロ野球選手の桑田真澄氏は,2009年4月から1年間,早稲田大学の大学院で学び,スポーツ科学の修士号を取得した。しかもその修士論文は,社会人1年制コースの最優秀論文に選ばれたという。本書は,その桑田氏と指導教員である平田竹男氏の対談集である。平田氏は,経済産業省に在職中に,Jリーグの設立やW杯誘致に尽力された方だ。
桑田真澄氏の修論のタイトルは「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」である。つまり彼は,野球に関する伝統的な考え方を変えることを提案している。その一環として,現役のプロ野球選手への質問紙調査も行われている。その結果を見ると,多くの選手が学生時代に監督や上級生からの暴力,長時間の練習を経験している。
桑田氏は高校1年で甲子園の優勝投手になる。したがって監督に合理的な練習方法を提案し,認めてもらっていた。だが,その後も従来型の野球道を信奉する人々からの反発がつねにあったはずで,桑田氏のヒール的なイメージが定着していったと思う。かくいう自分も,以前は桑田氏にいい印象を持っていなかった(巨人が嫌い,という理由も大きいが・・・)。
自らトレーニング理論などを勉強しながら,合理的な練習方法,それ以外の要素を含めた新しい野球道を提唱する桑田氏の話を聴いていると,聞き役の平田氏ならずとも,桑田氏にいずれ日本の野球界のリーダーになってもらいたいと感じる。だが,彼が古巣の巨人のコーチ,まして監督になることすら難しいかもしれない(だったら,ぜひ広島で・・・と思うが)。
1/27付の日経朝刊のコラムで,元プロ野球選手の豊田泰光氏が斉藤佑樹投手に対する騒ぎを取り上げている。入団したとき先輩たちに小間使いをさせられた経験を紹介し,そうした不合理への反発が選手のやる気を生むという側面を指摘している。つまり,一見不合理な慣行にも,トータルで見ると合理的な効果があると。確かにそういう可能性もある。
つまり予想される反論の1つは,それは天才の桑田氏だからできた話で,普通の選手にはこれまでのようなシゴキ,猛練習が必要なのだ,というものだろう。桑田氏の主張がどこまで客観的で説得力を持つのかを知るためには,彼の修士論文を読むのが最もよい。実際,この本に修士論文が資料として載っていればよかったのに,なぜそうしなかったのか・・・。
![]() | 野球を学問する |
桑田 真澄,平田 竹男 | |
新潮社 |
桑田真澄氏の修論のタイトルは「『野球道』の再定義による日本野球界のさらなる発展策に関する研究」である。つまり彼は,野球に関する伝統的な考え方を変えることを提案している。その一環として,現役のプロ野球選手への質問紙調査も行われている。その結果を見ると,多くの選手が学生時代に監督や上級生からの暴力,長時間の練習を経験している。
桑田氏は高校1年で甲子園の優勝投手になる。したがって監督に合理的な練習方法を提案し,認めてもらっていた。だが,その後も従来型の野球道を信奉する人々からの反発がつねにあったはずで,桑田氏のヒール的なイメージが定着していったと思う。かくいう自分も,以前は桑田氏にいい印象を持っていなかった(巨人が嫌い,という理由も大きいが・・・)。
自らトレーニング理論などを勉強しながら,合理的な練習方法,それ以外の要素を含めた新しい野球道を提唱する桑田氏の話を聴いていると,聞き役の平田氏ならずとも,桑田氏にいずれ日本の野球界のリーダーになってもらいたいと感じる。だが,彼が古巣の巨人のコーチ,まして監督になることすら難しいかもしれない(だったら,ぜひ広島で・・・と思うが)。
1/27付の日経朝刊のコラムで,元プロ野球選手の豊田泰光氏が斉藤佑樹投手に対する騒ぎを取り上げている。入団したとき先輩たちに小間使いをさせられた経験を紹介し,そうした不合理への反発が選手のやる気を生むという側面を指摘している。つまり,一見不合理な慣行にも,トータルで見ると合理的な効果があると。確かにそういう可能性もある。
つまり予想される反論の1つは,それは天才の桑田氏だからできた話で,普通の選手にはこれまでのようなシゴキ,猛練習が必要なのだ,というものだろう。桑田氏の主張がどこまで客観的で説得力を持つのかを知るためには,彼の修士論文を読むのが最もよい。実際,この本に修士論文が資料として載っていればよかったのに,なぜそうしなかったのか・・・。