Mizuno on Marketing

あるマーケティング研究者の思考と行動

岩井克人氏講演会@明大

2012-03-24 09:40:13 | Weblog
3月21日に明治大学リバティタワーで岩井克人先生の講演会が開かれた。直前にそのことを知り何はともあれ聴講した。演題は「自由放任主義の第二の終焉―不均衡動学再説―」(この講演に関連する詳しい論文はここからダウンロード可能)。主催は「ポスト・ケインズ派経済学研究会」。

副題にあるように,岩井先生の議論は,基本的に1981年に出版された Disequilibrium Dynamics に立脚している。そこで主張されたのは,資本主義を「純粋化」すると経済の不安定性が増すということだ。現下のグローバル資本主義の拡大がそれを促進していると岩井先生は危惧する。

なぜそうなるのか。一言でいえば,資本主義とは本質的に「投機」に基づくシステムだからである。もっとも,新古典派を代表する経済学者のフリードマンにいわせれば,安いときに買って高いときに売る投機は経済を安定させる。逆のことをする投機家は市場で淘汰されてしまうはずだ。

しかし,これはモノを対象にした牧歌的な市場の話だと岩井先生は一蹴する。これに対してケインズは,プロの投機家たちが相互に予想し合ってしのぎを削る金融市場を研究対象にした。彼のアイデアを端的に示すのが『一般理論』12章に登場する,あの有名な「美人投票」の喩えである。

これがふつうの美人コンテストと違うのは,最も得票数が多かった候補に投票した者が勝者になることである。したがって,多くの人々が誰に投票するかを予想して「勝ち馬に乗る」ことが必要となる。そして,他の投機家も同じ予想をしていることを予想して意思決定しなくてはならない。

そして,さらにそのことを他者が予想し・・・とこの自己循環は無限に続く。「美のイデア」とは無関係に「美人とは美人だといわれているもの」にすぎない,と岩井先生は喝破する。こうしたメカニズムが働くとき,予想のゆらぎによってバブルもパニックも生じ得る。不安定性が発現する。

上述のストーリーで,投機家たちは極めて「合理的に」行動している。にもかかわらず,というよりそれ故に,市場は「非合理な」振る舞いを見せることになる。この点が,個人の非合理性(限定合理性)を出発点にした行動経済学とは違うと岩井先生はいう(行動経済学の意義も認めつつ)。

さて,話はここで終わらない。貨幣の存在が不安定性に拍車をかける。なぜなら貨幣は投機の純粋形態だからである。貨幣は,他人が貨幣として受け取ることを予想しているから貨幣になる(価値の社会性)。他の人もそれを予想しており,そのことをさらに・・・と無限の連鎖が始まる。

似たようなことは見込み生産される消費財にも当てはまるが,それらはいつか必ず実需,あるいは消費者の効用と結びつく。金融派生商品ですらそうなる。ところが,それ自体は紙切れにすぎない貨幣にはそれがない。貨幣を媒介にしたモノの取引は,貨幣に関する純粋な投機だという。

貨幣の存在を前提に,総需要と総供給が一般に均衡せず,累積的な物価の変化によりハイパーインフレあるいは恐慌が起きると主張したのがヴィクセルである。岩井先生の不均衡動学理論は,貨幣が市場を持たず,その不均衡が調整されない点にマクロ的不均衡が持続する理由を見いだす。

マネーマーケットと呼ばれる市場があるではないかという批判に,岩井先生はそれは一般にはコール市場のような短期証券の市場であり,一般的交換手段である貨幣の市場ではないと答える。そういった証券もまた,貨幣との交換によって一定の価値を担保されていることに注意したい。

さらに議論は続く。本質的不安定性を抱えた資本主義経済が,ときおり危機を迎えつつ長期的には安定しているのはなぜか。それは名目賃金の硬直性や資本移動の規制,政府の介入といった「不純物」が価格の完全な伸縮を妨げているからだという。それを見いだしたのがケインズだと。

つまり,われわれが生きる経済は,さまざまな「非経済的」要因によってかろうじて破綻を免れているにすぎない。しかし,人が自由を希求する限り,資本主義以外に選択肢はない。懸念されるのは,資本主義を純粋化すれば理想社会に近づくことができるという最近の思潮だという。

このような岩井先生の理論に感銘を受ける者は(自分を含め)少なくないと思うが,経済学者のなかでさほど受容・継承されているようには見えない。異端派であっても一定のサークルを形成する例は少なくないのだが・・・。あまりに革新的なので,そうした継承・発展が難しいのか。

岩井理論を経済学者がスルーするのは,それが内包する予測不可能性のせいかもしれない。「不純物」が経済に安定性をもたらしているとしても,それらが経済の軌跡をどう導くかは定かではない。「不純物」を研究対象とする社会学や政治学が代わりに予測してくれるとも思えない。

他方,資本主義の崩壊を願う立場からも,それが何とか生き延びしてしまう可能性を証明する岩井理論は面白くないはずだ。つまり方向性は違えども,何らかの理想社会に到達し得るという単純明快なビジョンの持ち主からは岩井理論は不興を買う。たとえそれがより現実的だとしても。

このことは非経済学にとっても他人事ではない。マーケティングにしろ経営学にしろ,こうすれば成功する(あるいは失敗する)という明確な道筋を示すことが期待されている。そんなものは存在せず,何とかやっていくしかないという議論は歓迎されない。たとえそれが現実だとしても。

不均衡動学の理論
(モダン・エコノミックス 20)
岩井克人
岩波書店


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