いま,長崎で教えている学生は「情報メディア学科」に属する。だからかどうか,PCもネットも使いこなす。しかし,ブログを書いたりSNSに参加しているか,@コスメを見たことがあるか(学生の半分以上が女子),iPodを持っているか,などとと聞いても,該当者が意外に少ないのだ。
シャイだから遠慮している,という可能性はある。しかし,もう一つの可能性は…全くの思いつきだが,地域を超えて,距離という概念を無意味化したはずのウェブの世界に,意外と,地域という,ある意味フェイストゥーフェイスの社会関係のあり方が作用しているのではないかということ。
いま流行の社会関係資本(social capital)の議論を援用すれば,地域に根ざす社会資本がウェブ利用の深さに影響する,という仮説になる。それが正しいかどうかの検証を,せっかく長崎に来る機会とうまく結びつけることができるといいのだが…。単なる思いつきです。
シャイだから遠慮している,という可能性はある。しかし,もう一つの可能性は…全くの思いつきだが,地域を超えて,距離という概念を無意味化したはずのウェブの世界に,意外と,地域という,ある意味フェイストゥーフェイスの社会関係のあり方が作用しているのではないかということ。
いま流行の社会関係資本(social capital)の議論を援用すれば,地域に根ざす社会資本がウェブ利用の深さに影響する,という仮説になる。それが正しいかどうかの検証を,せっかく長崎に来る機会とうまく結びつけることができるといいのだが…。単なる思いつきです。
さて,お書きになった「該当者が意外に少ないのだ。」というところの「意」の内容や背景を教えてください。「少ない」というからには想定されている割合があると思います。一般か,貴方の普段相手している学生さんにおいて。
「もともと地域差は有る」と考えるのがデフォルトではないでしょうか?無いとデフォルトするのが適正でしょうか?
私の周りではその年代の方々は半径数メートル以内で生存していると感じます。携帯メールをする相手も物理的にその範囲に入ることがある人のようです。(これと同じとすれば)その先生の目前の方々もシャイでは無くて,先生がその範囲に入っていると認知されていないのではないでしょうか?
さらに,先生がそこに呼ばれてそういう話wされると,刺激を受けて動き出す学生さんがおれば,そういうことは普及して行くでしょう。その相手の大学の先生方はそれも狙って先生を呼ばれたのではないでしょうか?
長々とすみません。失礼しました。
本文にも書きましたが,ちょっとした思いつきを備忘録として書いただけで,たいした根拠はありません。いずれ機会があれば,きちっと調べたいと思っています(あるいは,すでに調べた人がいるかもしれませんし…)。
「機会があれば」というのは「その気はない」という意味で使われることも多い様ですが、先生はそのような方ではないと思って、結果がこのBlogに載るのを気長に待ちます。