今日の日経「経済教室」で,哲学者の土屋賢一氏が,非常に面白いことを書いている。経済学者の予測は外れる。それによって責任を問われることは一切ない。理工学ではありえないことだ。予測が外れるという点では,天気予報も同じだ。しかし,違うのは,経済学者間でしばしば予測が一致しないこと。天気予報でそんなことはまずない。
結論からいうと,経済現象は最も複雑な現象であり,正確な予測ができないということだ。そして,実はそのことをみんな心得ているので,予測が外れた経済学者(あるいはアナリストその他)を追及することはない,と。確かにそうだが,なぜ再び経済学者の予測に耳を傾けるのか・・・土屋氏は「理性的人間らしく理論的に納得した上で売り買いを決定できるし,その結果,損をすることもできるのだ」と,皮肉とも本気とも取れる言い方をしている。
土屋氏は,経済現象があまりに不確実なのは,人間の気まぐれにあるという。「長年連れ添った妻の消費行動を予測できる夫はいない」と(何だかマーケティングにも火の粉が及んできた感じ・・・)。従来の経済学では,こうした気まぐれは相互に独立なノイズなので,集計すれば相殺されると考えてきた。しかし,それがおかしいとしたら,その理由は個人間の独立性が認められないことにある。さらには,特定個人の気まぐれが社会に甚大な影響を与えるという,極端な異質性があるためだと考えられる(マーケティングでも「消費者間相互作用」の研究はきわめて重要だ!)。
もう一つこの論考で興味深いのは,経済の内部で,様々な理論や経験を駆使してそれを観察している人々の間で,かなりの確度で異なる見通しが生まれること。それ自体が,マクロな経済の動向に何らかの影響を与えていること。そこで思うのは「期待」の異質性を積極的にモデルに取り込み,それをシステムの変化の鍵となる変数とすることはできないか,ということだ。そんなことは,すでに誰かが試みていても不思議でない・・・たとえば,先日聞いた「人工市場」の研究がそうかもしれない。
にしても,今日は「予測どおり」台風が来てしまった・・・。
結論からいうと,経済現象は最も複雑な現象であり,正確な予測ができないということだ。そして,実はそのことをみんな心得ているので,予測が外れた経済学者(あるいはアナリストその他)を追及することはない,と。確かにそうだが,なぜ再び経済学者の予測に耳を傾けるのか・・・土屋氏は「理性的人間らしく理論的に納得した上で売り買いを決定できるし,その結果,損をすることもできるのだ」と,皮肉とも本気とも取れる言い方をしている。
土屋氏は,経済現象があまりに不確実なのは,人間の気まぐれにあるという。「長年連れ添った妻の消費行動を予測できる夫はいない」と(何だかマーケティングにも火の粉が及んできた感じ・・・)。従来の経済学では,こうした気まぐれは相互に独立なノイズなので,集計すれば相殺されると考えてきた。しかし,それがおかしいとしたら,その理由は個人間の独立性が認められないことにある。さらには,特定個人の気まぐれが社会に甚大な影響を与えるという,極端な異質性があるためだと考えられる(マーケティングでも「消費者間相互作用」の研究はきわめて重要だ!)。
もう一つこの論考で興味深いのは,経済の内部で,様々な理論や経験を駆使してそれを観察している人々の間で,かなりの確度で異なる見通しが生まれること。それ自体が,マクロな経済の動向に何らかの影響を与えていること。そこで思うのは「期待」の異質性を積極的にモデルに取り込み,それをシステムの変化の鍵となる変数とすることはできないか,ということだ。そんなことは,すでに誰かが試みていても不思議でない・・・たとえば,先日聞いた「人工市場」の研究がそうかもしれない。
にしても,今日は「予測どおり」台風が来てしまった・・・。