1年生向けに,経営工学への誘い,のスピーチ。言いたかったことの第一は,経営工学なるものが(意外にも?)企業に期待されていること,そして実際役に立つ場面が少なくないことだ。いうまでもなく,工学的に解決できない問題は多々ある。そんなことは当たり前なので,むしろ経営工学の効用を強調したほうが生産的だ。
もう一つ言いたかったことで,うまく伝えられたかどうか自信がないのが,(狭義の)経営工学がそれ自体では完結しないことだ。最適化すべき目的関数や付随する制約条件を現実に即して組み立てるには,経営現象の科学的な把握(経営科学)が欠かせないし,実現すべき価値への深い洞察(経営学)も必要だということ。
ぼく自身が好む立場は,経営工学というより経営科学のほうに近い。経営工学が与えられた問題を的確に解くことを目指すとしたら,経営科学は現実から解くべき問題をいかに定式化するかに関心を持つ。何を問題にすべきかの方向性を与えるのが,本来あるべき経営学であろう。
余談として付け加えたのが,経営学徒と経済学者の「対話」である。経営学は,何らかの意味で優れた企業の実践から教訓を得ようとする。それに対して経済学者は,経営学者の努力でそうしたノウハウが行き渡ってしまえば,経営学者の仕事はなくなってしまうねと冷笑する。均衡までのわずかな間の宴に過ぎぬ・・・。この話は実話に一部修飾を加えたもの。
たしかに経営(工/科)学が「発見」する知識の寿命はさほど長くないこうが多い(経済学も似たようなところはあるが・・・)。だが,それでいいのだ。変転する世のなかで,永遠の真理ではなく当座役に立つ知識やノウハウを求め続ける。そんな生き方を愛する人こそ経営工学へ・・・。こんなメッセージで良かったのかなあ。
JIMSの準備は一段落,コメンテータにスライドを送付。明日は来週のJACSの準備・・・こちらはまだ山の頂きが見えない。一方,クルマ取材が年内にあるかもしれないという知らせに,ちょっと緊張する。経営の工学と科学と学の饗宴が続く・・・。
もう一つ言いたかったことで,うまく伝えられたかどうか自信がないのが,(狭義の)経営工学がそれ自体では完結しないことだ。最適化すべき目的関数や付随する制約条件を現実に即して組み立てるには,経営現象の科学的な把握(経営科学)が欠かせないし,実現すべき価値への深い洞察(経営学)も必要だということ。
ぼく自身が好む立場は,経営工学というより経営科学のほうに近い。経営工学が与えられた問題を的確に解くことを目指すとしたら,経営科学は現実から解くべき問題をいかに定式化するかに関心を持つ。何を問題にすべきかの方向性を与えるのが,本来あるべき経営学であろう。
余談として付け加えたのが,経営学徒と経済学者の「対話」である。経営学は,何らかの意味で優れた企業の実践から教訓を得ようとする。それに対して経済学者は,経営学者の努力でそうしたノウハウが行き渡ってしまえば,経営学者の仕事はなくなってしまうねと冷笑する。均衡までのわずかな間の宴に過ぎぬ・・・。この話は実話に一部修飾を加えたもの。
たしかに経営(工/科)学が「発見」する知識の寿命はさほど長くないこうが多い(経済学も似たようなところはあるが・・・)。だが,それでいいのだ。変転する世のなかで,永遠の真理ではなく当座役に立つ知識やノウハウを求め続ける。そんな生き方を愛する人こそ経営工学へ・・・。こんなメッセージで良かったのかなあ。
JIMSの準備は一段落,コメンテータにスライドを送付。明日は来週のJACSの準備・・・こちらはまだ山の頂きが見えない。一方,クルマ取材が年内にあるかもしれないという知らせに,ちょっと緊張する。経営の工学と科学と学の饗宴が続く・・・。
ふーたろー1号は「学」を出発点に「科学」にできる限り踏み込み、「工学」の方が目的関数や制約条件を定義できる状態までの地ならし(!?)をする立ち位置なのではないかと考えます。
いうまでもなく、mizuno先生を含む「科学」「工学」の方々にとって魅力ある(=本質に迫る)洞察をしなければならないと思います。
その点では、まだまだ、です(しみじみ)。
そうしたコラボレーションの結果が、「均衡までのわずかな間の宴」かどうかは??
その昔、Home先生と対話させていただいたこともありましたが、ふーたろー1号は(経営の学徒ですので)経営(工/科)学贔屓になりがちです(微苦笑)。
現実に直面し続けることで、モデルがカバーできていない領域、均衡には落とし込めない要素を見出し続けることができるのではないか、と考えています。
その一瞬、一瞬が楽しくて、終わりのないコラボレーションが続くのだと思います(微笑)。
が、コラボレーションにつきものの(?!)の飲み過ぎ食べ過ぎには十分注意ですね(笑)。