1970年代といえば,ぼくにとっては大阪万博のインパクトが大きく,太陽の塔が表紙になった本を見かけると,思わず手が伸びる。この本は作家の三田誠広が,同じ作家の(しかし「傾向」はかなり違うと思われる)堺屋太一の半生を描いたもの。この一見奇妙な組み合わせがどのような「縁」から生まれたかを解説するところから本書は始まる。
堺屋太一(本名:池口小太郎)は破格の官僚であった。旧・通産省に勤める20代の頃,大阪での万博の開催を発案し,私財を投じてまでその実現に奔走する。強大な国家権力を背景に業界に君臨し,統制色の濃い産業政策を推進した通産官僚は数多くいたであろうが,堺屋氏ほど起業家的で,ソフト志向であった官僚はそうはいないように思われる。
本書では,太陽の塔をデザインした岡本太郎と,その周囲のテーマパークを設計した丹下健三とが,衆目の面前でつかみ合いの喧嘩をしたというエピソードが紹介される。激しいパワーに満ちあふれていた時代なのだ。黒川紀章,磯崎新,コシノジュンコといったクリエイターたちも,この実験への参加を踏み台に世界に羽ばたいたと思われる。
堺屋太一の物語はそこで終わらない。70年代初頭,彼は自腹で集めたスタッフとともに,石油の輸入がストップすると日本の社会や経済がどうなるかについてシミュレーションを行なう(そこでは手法としてマルコフ過程を使ったという)。そうして得られた予測が,74年の石油ショックのあとで発表された『油断!』という小説の基礎となった。
『油断!』で描かれた予言は的中しなかったが,著者によれば,それはこの小説の警告が政策に反映されたためだ。そうならずに予測が的中してしまったのが,堺屋太一の代表作『団塊の世代』だ。堺屋の警告に政府が耳を貸さなかったせいだと著者はいうが,のちに堺屋太一は経済企画庁長官を務める。そのときは手遅れだったのだろうか・・・。
さて,傑出した先見力を何度も示してきた堺屋太一は,いまどのような未来図を思い描いているのだろう。あるいは,彼に代わる次世代の予言者がどこかに現れているのだろうか。一人ぽつんと取り残されたように立ち尽くす太陽の塔のように,堺屋太一のあとに堺屋太一は存在しないのかもしれない。
堺屋太一(本名:池口小太郎)は破格の官僚であった。旧・通産省に勤める20代の頃,大阪での万博の開催を発案し,私財を投じてまでその実現に奔走する。強大な国家権力を背景に業界に君臨し,統制色の濃い産業政策を推進した通産官僚は数多くいたであろうが,堺屋氏ほど起業家的で,ソフト志向であった官僚はそうはいないように思われる。
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本書では,太陽の塔をデザインした岡本太郎と,その周囲のテーマパークを設計した丹下健三とが,衆目の面前でつかみ合いの喧嘩をしたというエピソードが紹介される。激しいパワーに満ちあふれていた時代なのだ。黒川紀章,磯崎新,コシノジュンコといったクリエイターたちも,この実験への参加を踏み台に世界に羽ばたいたと思われる。
堺屋太一の物語はそこで終わらない。70年代初頭,彼は自腹で集めたスタッフとともに,石油の輸入がストップすると日本の社会や経済がどうなるかについてシミュレーションを行なう(そこでは手法としてマルコフ過程を使ったという)。そうして得られた予測が,74年の石油ショックのあとで発表された『油断!』という小説の基礎となった。
『油断!』で描かれた予言は的中しなかったが,著者によれば,それはこの小説の警告が政策に反映されたためだ。そうならずに予測が的中してしまったのが,堺屋太一の代表作『団塊の世代』だ。堺屋の警告に政府が耳を貸さなかったせいだと著者はいうが,のちに堺屋太一は経済企画庁長官を務める。そのときは手遅れだったのだろうか・・・。
さて,傑出した先見力を何度も示してきた堺屋太一は,いまどのような未来図を思い描いているのだろう。あるいは,彼に代わる次世代の予言者がどこかに現れているのだろうか。一人ぽつんと取り残されたように立ち尽くす太陽の塔のように,堺屋太一のあとに堺屋太一は存在しないのかもしれない。
油断! (日経ビジネス人文庫)堺屋 太一日本経済新聞社このアイテムの詳細を見る |
団塊の世代 (文春文庫)堺屋 太一文藝春秋このアイテムの詳細を見る |