愛しきものたち

石仏、民家街並み、勧請縄、棚田景観、寺社、旧跡などが中心です。

東近江市 新出町の茅葺き民家

2015年06月03日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

琵琶湖東岸地域も東近江まで南下すると茅葺き屋根も様相を変えてくる。

東近江でもこちらは随分と山手寄り、日野町との境に近い鈴鹿山系がせり出した山裾集落

そんな僅か30軒ばかりの小さな農村集落に残っていた茅葺き民家・・・・

集落入口からすぐ近く、目の前に飛び込むのがこの茅葺き民家の裏正面・・・

彦根で見たように同じ入母屋造りなのだが、棟仕舞いは棧瓦の箱棟になっている。

しかし屋根の傷みは酷く、もうすでにもぬけの殻なのか?全ての窓にカーテンが降ろされ、玄関口には通行止めするように、横一列の鉢植えが並べられて居た。

もう次に見る事は無いのかも??

撮影2014.3.19


彦根市 極楽寺町の茅葺き民家

2015年06月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

先日と同じく彦根市に残されていた葦葺き屋根の民家。

 

河瀬町から北へ約1km、 東海道本線を横切り、田圃の中に甍を連ねる極楽寺町の南外れ近くにしっかり健在。

先日の民家と全く同じ様な建築様式の入母屋平入で大きく張り出した棧瓦葺き軒先を持つ・・

屋根に殆ど傷みもなく多分同時期に葺き替えられたのでは無いだろうか??

隣り村のことでもあるし、もしかして建築時期も、そう変わらない雰囲気がする。

どこから、誰がどう見ても殆ど同じだと判断するに違いない。

その分この二軒は心強い事だろう。

撮影2014.3.19


彦根市 河瀬の茅葺き民家-2

2015年06月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

前回、彦根市河瀬の茅葺き民家で紹介した同集落で見掛けたもう一軒の茅葺き民家。

勿論、こちら近江では茅葺きとは呼ばずに葦(ヨシ)葺き屋根だが・・・

前回、河瀬の民家からすぐ近く、やっぱり大きな屋根の入母屋造り・・・屋敷内に離れ屋が建てられ、前は広い空き地で農家風佇まい。

どんな理由かは解らないけど、西側隣が広い更地に成っており、そこから右妻側を撮影させて貰った。

昭和になってからの建築だろう建物はまだまだ痛みも無さそう・・・

湖北地方特有の妻飾りが誇らしげに付けられて居た。

撮影2014.3.19


旧西浅井町 祝山(ほりやま)葦葺き民家(辻家住宅)

2015年05月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

予めグーグルアースで調査、現地に行って、その葦(ヨシ)葺き民家の豪壮さにビックリ・・・近所の人に聴いた話だと重文指定の民家だと言う。

ここは旧西浅井町祝山(ほりやま)・・・琵琶湖最北端、塩津浜から敦賀に通じる国道8号線(旧塩津街道)を少し山沿いに入った祝山(ほりやま)の集落の奥突きに豪壮な屋敷を構えて居る。

集落に入り、大屋根を目当てに屋敷に近づくと長大な長屋門の切れ端から葦葺き屋根の右妻側が覗いて居る。

屋敷の右側に廻って全景を見渡すと、左から長屋門、・南倉・母屋・前倉とその前に自家菜園が有り、背後に大公孫樹が聳えて居る。

こちらが正面・・白壁腰板の長大な長屋門が屋敷を隠すように立ちはだかって居る。

主屋は入母屋造(いりもやづくり)、平入(ひらいり)の葦葺で西を正面とし、前後に桟瓦葺の庇を付け、南北面の妻飾(つまかざり)は、湖北地域特有形式の前垂れを付けて居る

辻家は辻家は江戸時代において代々庄屋をつとめ、帯刀苗字が許されていたと言われ桁行(けたゆき)(南北方向)11間(21.4m)、梁間(はりま)(東西方向)5間半(10.5m)におよぶ大型住居で、建築年代は19世紀前期頃《文政8年(1825年)に移築》と推定されています。

 辻家住宅は、主屋と附属屋が良好な状態で残され、庄屋としての屋敷構えを今に伝え、特に主屋は、余呉型民家の発達した形式を示す貴重な建物だと言われている様です。

建築物はいずれも重文指定されて居る様です。

撮影2015.5.27


彦根市 河瀬の茅葺き民家

2015年05月24日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

庄屋クラスの豪農の屋敷かも知れない??大きな茅葺き屋根に茅葺き門が備わって居る。 

 

 屋敷は大きいのだが撮影は酷くしづらく、どうにもこうにも全体を1枚の写真に入れられるポイントは見つからなかった。

 

 表の茅葺き門は母屋の屋根を小振りにしたような入母屋造り

 

棟は独特の瓦仕舞い、破風には近江前垂れが設けられ、葺き替えられて間もないのか 全く傷みが無い。

 母屋は表側からの撮影が叶わず、裏からの撮影ポイントしか見つからなかった。

 

新しく付け足したであろう大きい下屋の上に大きな入母屋造りの茅葺き大屋根を載せて居る。

 屋敷は大きく寺の一画をを占める様に表門を寺の境内に向けて建って居る。

撮影2014.3.19 


東近江市 建部の茅葺き民家-2

2015年05月23日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

東近江市、大凧通り、建部付近で見掛けた茅葺き民家。

大きな車通りに背を向ける様に建ち、表には回る手立てがなく裏側」方向だけの撮影に成りました。

 建物は凍みんかと言う程古いものでは無いようにに見えるが??・・・このあ辺りの茅葺き屋根は得てしてそうなのかも知れないが??下屋の瓦屋根が大きく上に乗った茅葺き屋根は浅くて棟が長い。

基本的には入母屋造りなのだが・・・浅い茅葺き屋根の割には頂部の箱棟がどうも立派過ぎるほど・・・・

 東近江辺りには未だ茅葺き屋根が数多く残るが、この地域だけでも随分色々な形の茅葺き屋根が見られる。

撮影2014.3.19


東近江市 建部の茅葺き民家

2015年05月20日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

ちょっと不思議な感じの茅葺き民家。

八日市市街から北へ約1km、愛知川左岸の田園地帯に肩を寄せ合う小さな集落で見付けた茅葺き民家。

深い棧瓦屋根の下屋に横長で浅い入母屋風茅葺き屋根がちょこんと載ってる風が如何にも妙だが・・・

家の表に家庭菜園を持ち、如何にも昔ながらの農家風情・・・・我が家も、周りの家も、子供の頃はみんなそんな風だった・・・

しかしよく見ると、ここでも棟終いの継ぎ目あたりに茅を抜いた形跡が有り、やっぱりアライグマの被害に遭ってるのかも??

こんな状況だと益々茅葺き屋根を守ろうとする意欲が削がれてしまうんだろうなあ???

動物愛護のきれい事もいい加減にしなきゃ・・・・。

撮影2014.3.19


旧五個荘町 山本の茅葺き民家

2015年05月16日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧中仙道、五個荘町に残された茅葺き民家。

この付近の旧街道筋には点々と茅葺き屋根の古民家が残されており、懐かしい街道筋の景観を彷彿とさせて呉れるのに一役かって居る。

一見、特別上級農家の様な佇まいでは無く一般農家だろうが茅葺き大屋根は大きく立派

街道筋に平入、入母屋造りの屋根を持つが棟終いの瓦はこの付近独特のものみたいでみんな同じ物を使ってる。

一筋東へ行ったところにも茅葺き民家が残ってる

撮影2014.3.19


旧安土町 石寺の茅葺き民家

2015年05月12日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

旧安土町石寺で見付けた茅葺き民家。

 石寺は先日の老蘇(お磯)道なりに旧中山道を北に進めば国道8号線と東海道新幹線を越えれば目の前が石寺の集落。

西国三十二番札所、繖(きぬがさ)山観音正寺への表山道のある古い集落。

 

 茅葺き民家は集落の外れ、旧在所道に面して大きい入母屋屋根を平入にして建ち前を背の低い生垣で囲っている。

屋敷はそう仰々しいものではなく一般農家風の佇まい・・・ 

 

 撮影ポイントが正面の1ヶ所しかなくなんとも歯がゆい撮影になってしまったが、妻破風には前垂れが飾られ、棟は大きな独特な瓦で抑えられている。

この付近では、この手の瓦で棟終いしてるのを何軒か見た。

 撮影2014.3.19


旧安土町 老蘇の茅葺き民家-2

2015年05月09日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

先日と同じ集落に建つ茅葺き民家。 

 

集落内を走る旧中仙道を西へ約300m・・ちょうど集落の中心辺り、小さな小川越えた左手におおきな茅葺き屋根が見える。

この民家はよほど格式の高い民家だと見えて、県指定文化財「名勝・緑苔台」の表示板が掲げられ、この家の庭が文化財指定されてる様子。

 ちょうど僕が訪れた時には住宅前が大工事中・・・ストリートビューで見ると、ここには医院が建っていたらしい。

細長い下屋の上に大きな入母屋の茅葺き屋根を載せ、破風には近江の前垂れ飾りが付けられて居る。

文化財指定の庭は表からは見える訳もなく、全く雰囲気すら判らないが、余程格式高い家と見えて「徳川家茂」も立ち寄った事があるそうです。

撮影2014.3.19


旧安土町 老蘇(おいそ)の茅葺き民家

2015年05月07日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

 

旧安土町老蘇集落で見付けた茅葺き民家。

老蘇集落は、万葉の昔から多くの歌人や旅人によって歌に詠まれた鎮守奥石(おいそ)神社の「老蘇(おいそ)の森」を有する古い古い集落。

国道8号線から旧中山道に入ると直ぐ目の前が「老蘇(おいそ)の森」、道なりに進むとこの茅葺き屋根が見える。

近江には多いベンガラ焼き板塀の奥に落ち着いた入母屋の茅葺き屋根が建つ。

さりとて特別な特徴は有りませんが破風の前垂れ飾りと、立派な棟仕舞が茅葺き屋根を引き立てて居る。

撮影2014.3.19


近江八幡市近江風土記の丘 旧宮地家住宅

2015年05月05日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

安土城考古博物館に付随する近江風土記の丘に移築保存されている旧宮地家住宅。

残念ながら民家としての役目を終え、哀しいかな今は抜け殻の展示物だが・・・・まあ、それでも無いよりはマシ。

説明板に依ると、この建物は長浜市国友町からこの地に移築されました。

一区の際に見つかった墨書から江戸中期の宝暦4年(1754)の建築であることが分かって居ます。

入母屋の葺き下ろし茅葺き屋根を持ち、下屋の大部分を土壁仕上げとして居る

光は妻入りの入口と奥の間にバッタリ雨縁のある縁側ぐらい。

防寒には良いのかも知れないが、外部の光入りづらく暮らしにくいものだったに違いない。

土間の奥に「にうじ」という一家団らんの場所がありますが、これは、地面に20センチほど籾殻を敷詰めその上に藁筵を敷いた居間で、「土座住まい」と呼ばれる湖北地方独特の生活形態をしのばせるものだそうです。

昭和43年、国の重要文化財に指定されています。

撮影2014.3.19


近江八幡市 上田町の茅葺き民家

2015年05月02日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

近江八幡市、上田町で見付けた茅葺き民家。

昔流に言うと昨日紹介の馬渕の隣村・・・・JR東海道線と新幹線に挟まれ、そこまで新興住宅が迫って来ている。

しかし篠田神社の有る一画だけは時が止まったかの様に昔日の景観をそのまま残している。

広大な屋敷林に囲まれた中に大きな入母屋造りの茅葺き屋根が野面越しに見える。

田圃の畦を歩いて近づいて見ると・・・去年の冬草がそのまま残り全く手付かず状態。

屋根はまだそんなに傷んでなさそうなのに物音一つせず蛻の空。

表に回って見ると、しっかり門戸が閉じられ、表を撮影する手立ては無い・・・・・しかし余程格式高い民家の様です。

人が住まないと建物の傷みは速く、この茅葺き屋根もそう永くはないかも??

撮影2014.3.19


近江八幡市 馬淵町の茅葺民家

2015年05月01日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

旧中山道、街道筋に建つ茅葺き民家。

旧中山道は国道8号線断ち切られ、その昔には一筋に並んで居ただろう馬淵の村も真っ二つ・・・・国道8号線を挟んで南側にも大きい茅葺き民家が残って居る。

街道筋とは云え、宿場町ではなく純農村集落で宿場町独特の風情は無い。

茅葺き民家は道路に面して平入で建ち、それ程大きい屋敷でもなく、一般農家風茅葺き屋根・・・

下屋は色々増改築されている様ですが、茅葺き入母屋造りの大屋根を載せて居る。

東近江に在って、入母屋破風に近江風前垂れ飾りがないのが、ちょっと物足りない気がする。

撮影2014.3.19


守山市 聞光寺の茅葺き屋根

2015年04月30日 | 茅葺き屋根(上懸屋含む)滋賀県

湖岸に近い守山市八島町「聞光寺」の大きな茅葺き屋根。

湖岸穀倉地域のど真ん中、住所は八島町だが荒見町とどこが境界か解らない・・・・一体化した集落の南西端境内を持ち、大きい入母屋茅葺き屋根の本堂が建って居る。

寺の本堂らしく大きな屋根には大きな棧瓦葺きの箱棟が載っている。

このあたりでもやっぱりアライグマ出没するのだろうか??

入母屋のあたりと箱胸と茅葺きとの境あたりには細かい目の網が設けられ、小動物の侵入被害を喰い止めようとして居る。

今や茅葺き屋根の最大の敵はアライグマ、ハクビシンかも知れない。

撮影2014.3.19