Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

2011.11.24オペラくご「ドン・ジョヴァンニ」批評(No.1945)

2011-11-24 23:28:13 | 批評
 摩訶不思議な「オペラくご」なるシロモノを初めて聴いた。http://operaproduce.web.fc2.com/TokyoEnsemble20111124DonGiovanni.htm を読むと

服部譲二 率いる「東京アンサンブル」が主体となり、レシタティーヴォを取り除き、進行説明に「落語」を用い合体させる セミ・コンチェルタンテ形式


とある。「vol.3」と明記されているように、これが3回目。年に1作づつ上演していたのだが、前2年は作品にあまり興味が持てず(「偽の女庭師」「バスティアンとバスティエンヌ」)実際に聴くのは今回が初めて。「偽の女庭師」は長いからなあ、、、


 チラシには「オペラくご」のこと、キャスト8名、東京アンサンブルのこと、主要スタッフとして「プロデューサー = 竹中史子」がいることはわかった。

竹中史子プロデュースならば「音楽と舞台の品質が保証されていることは間違い無し」の確信


があったが、実は「よくわからない点」が1つあった。

合唱団の記載が無い


のである。東京オペラ・プロデュース合唱団が名を伏せて歌うのか? 確か東京オペラ・プロデュースは「ドン・ジョヴァンニ」はレパートリーに持って無かったハズであるのだが? なんて疑問を持ち新宿文化センター大ホールに向かった。


服部譲二の「音楽観」を全身でぶつけ成功したオペラくご「ドン・ジョヴァンニ」



  1. モーツァルトの音楽の中心に「オペラ」がある


  2. モーツァルト時代と同規模編成のオーケストラを『舞台上』で存分に鳴らし、「広がる響き」を聴衆に堪能してほしい


  3. 「音楽が主」なので、カネの掛かる「舞台」無し、「大道具」無し、「合唱団」無し。但し「ソリストの衣裳」は在京民間オペラ団体平均水準


  4. レシタティーヴォで乱入して来る「平均律」しか出来ないチェンバロを追放して、弦楽器中心に「和音の響き」をたっぷり味わって頂く


  5. 服部譲二が(事前予想通り)指揮兼務。5型の編成(!)だが充分に大ホールに響き亘る弦。それと、管楽器アンサンブルの時が最も表情が濃かったことが強烈な印象


  6. ソリスト陣は二期会&藤原歌劇団「ドン・ジョヴァンニ」公演Aキャストクラスが4名(三浦克次、橋爪ゆか、アヌーシュカ・ラーラ、ブルーノ・ロッパ)いた。日本人2名には盛大なブラヴォーがカーテンコールで掛けられた


  7. 古今亭志ん輔の「語り」は笑いを取りながら「嫌味が全く無いブロの芸」だった。東京都交響楽団「売られた花嫁」公演で出しゃばったバカタレアナウンサーとは天地の差。「日本の話芸=落語」説に大いに納得


  8. 演出は舞台中央に陣取る「東京アンサンブル」の前と後ろを主として用いた前後左右に自在に動き回る機動力あふれる名演出。確かに「貧乏くさい」が「音楽重視」なので『これで納得!』である



 上記で全て言い尽くした感触。少しだけ付け足すと

私高本が「初めに聴いたオペラくごがドン・ジョヴァンニで良かった!」


は偽らざる気持ち。「偽の女庭師」は嫌いな演目では無く、イッセルシュテット指揮のCDも所有していて数年に1回聴く(← 名演)が、「音楽の友ホール:モーツァルト全オペラ上演シリーズ」で河地良智指揮で(編曲した編成で)聴いた時は(演奏は良かったのだが)「長かった」印象がある。あの時も「字幕」が無かったので、「今の瞬間何歌っていたっけ?」状態で長さが重たく感じられた記憶が残り、その後実演に足が遠のいたので、東京アンサンブル「オペラくご」公演もパスした。私高本の猫頭では、今も字幕無しでは無理(爆
 「バスティアンとバスティエンヌ」は短いが、何歌っているのか? はさらに訳判らない。

字幕無しで「オケと歌手に注視してほしい服部譲二の意向」であれば、猫頭私高本程度でも判る『ド名作路線』で無いと集客が難しい


ことだけはここに書き記す。
 外国から招聘した2名の歌手は出来が良かったが、カーテンコールが「夫婦役の2名で登場」になったのが原因か? 固定ファンがいないからか? はわからないが、ブラヴォー無しになった。カーテンコールのソリストの出し方だけは問題が残った、と感じる。マゼットは「8名のソリストで最も印象薄い役」だし、ドンナ・アンナはPAでガンガンに音を拡大していて「音割れ」していたから、相方はカーテンコールでは損した、と感じる。

「演出表記」が一切無いのは、『素晴らしい演出』だっただけに不思議


 服部譲二、竹中史子、飯坂純(アシスタントプロデューサー)、八木清市(舞台監督)、根岸幸(舞台構成)らの共同演出なのだろうか? それならその旨記載したらいいと感じた次第。

「ドン・ジョヴァンニ」を名作の頭に持って来た 服部譲二の目利きの良さには脱帽!


 チラシにもプログラムノートのどこにも記載されていないが「合唱団抜き公演」のトップに「ドン・ジョヴァンニ」を据えた服部譲二の「モーツァルトオペラ展望」には、もう畏怖するだけ。

服部譲二は 新国立劇場「魔笛」で指揮者デビュー!


 その後も「魔笛」はウィーン国立歌劇場でも指揮しているほど!

 ・・・なんだが、「魔笛」は「ザラストロを囲んだ男声合唱」のシーンをザラストロ1人では場が持たない。本日公演では(私高本は自信持っては断言できないのだが)おそらく

「合唱パート」は、「婚礼の場の合唱」「第1幕フィナーレ」「第2幕フィナーレ」全てで「合唱パートだけ落とした演奏」だった


ように聴こえた。短縮もしなければ、ソリストに代行歌いもしていない、の意味である。(もし違っていたらご指摘下さい)
 「魔笛」でどう処理するか? は難しい。

服部譲二は「全モーツァルトオペラ像」を把握している!




「合唱無しでドン・ジョヴァンニ」は常人には浮かばない発想!


 「ダ・ポンテ3部作」は是非是非聴きたい限りである。もちろん「後宮からの誘拐」「魔笛」も期待している!(合唱どう処理するんだろ?)

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