Piano Music Japan

シューベルトピアノ曲がメインのブログ(のはず)。ピアニスト=佐伯周子 演奏会の紹介や、数々のシューベルト他の演奏会紹介等

シューベルト ピアノソナタ嬰ハ短調 D655 王立音楽院版楽譜 (No.1306)

2006-07-09 14:24:07 | 作曲家・シューベルト(1797-1828
 嬰ハ短調ソナタ D655 が、「研究用資料」としてではなく、「ピアニストが弾くための楽譜」として出版されたのは、ハワード・ファーガスン編著王立音楽院版楽譜(日本語版は全音楽譜) が最初であることは昨日述べた。第2巻に収録。
 この版は著作権表示「マルC」が、冒頭は 1980 表記、楽譜の最初は 1979 表記。(日本語版は 第3巻末尾に 市田儀一郎が「1984年 晩秋」と銘記されているので、少なくとも第3巻はこの後に刊行のスケジュールである。)
 D655 は、このファーガスン編著王立音楽院版楽譜に記載された「言葉」が、後々の楽譜(= ヘンレ改訂版1997年版 と ウィーン原典版1998)に継承され、ピアニストのレパートリーにならない遠縁を作ったと言って過言でない。その言葉とは

●第I楽章の第1-73小節。これは【提示部の終わり】であり、ページの中程で途切れている(シューベルト ピアノソナタ2 ファーガスン編P127)

 この【 】の言葉が、大問題である。断定である。ファーガスンとしては

1.繰り返し記号があるので、「提示部終了」地点と考えた
2.アインシュタイン著「シューベルト」(1948:日本語版は浅井真男訳1963 白水社) に 「この楽章は提示部の終りまでしかできていないで、主題も、主題そのものであるよりはむしろ主題の準備らしく見える」(P235)の記述があり信じた

の2点を根拠に、安心しての記述だったのだろうが、「作曲家偉人伝」としての記述を、原典版楽譜にそのまま転記して良いのかどうかは、もっと慎重になっても良かったと考えられる。ファーガスンが王立音楽院版に記述した【提示部の終わり】は、シューベルトに慣れ親しんだ人間には大きな違和感を感じさせる。

1.「第1主題」が2回出現するが、2度目は主調 = 嬰ハ短調でない。さらに(確保でなく)「完全に展開」されて出現する。
2.繰り返し複縦線の後は「嬰ハ音」にしか向かえないので、嬰ハ短調か嬰ハ長調にしかならない。シューベルトが展開部に入る時は主調(または同主調)はほとんど考えられない。
3.わずか2小節前の第71小節は 嬰ト長調 なので、嬰ハ音に向かうのは展開部へは向かっていると考えられない。そのまま、属調のママにしておけば展開部突入には最適なのだから。むしろ「再現部へ向かっている」と考える方が自然。

 ファーガスンのこの「重大なミス」により、1900年代の間は、この魅力的なピアノソナタは「未完成で全く補筆不可能な楽章」として、見捨てられてしまったのである。 新たな動きは 20世紀最後の年 = 2000年 まで待たなければならなかった。この続きは、明日。
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