不適切な表現に該当する恐れがある内容を一部非表示にしています

Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

懐胎適齢のベビーブーマー

2005-08-16 | 
毎度のように、ドイツ連邦人口調査局の定例の資料が出ている。どうしても話題は子作りである。若者三人で一人の年金生活者を養う為には、ベビーブーム世代と言われる現在35歳までの女性に働きかけるという。つまり35歳から45歳までの女性に子供が出来ると一先ず目的が達成されそうだというのである。

段々と人口分布比率が落ちる34歳から25歳までの女性への働きかけ以上にこれが効果があるのは納得が行く。社会的な受け入れ準備をしていけば良いのだろうが、本当に旨く行くのだろうか。

周りの女性を見回して、なるほど出産は可能だろう、しかしそれほどに懐胎の潜在能力が高いとは思えない。どうもこういうことは、小津安二郎映画のあの紳士達の下世話な思考の方がずっと高級な感じがするから不思議である。ベルリン在住の研究員達にも、先ずはこのポピュラーな映画を字幕付きか吹き替えでジックリと観て貰い、あのベビーブーム時代の精霊について一杯傾けながら考えて欲しい。

これは、遺伝子治療の実用化で平均寿命が延び、長く働ける社会像や人生の高齢化を想い描くよりも、遥かに将来の社会のシステムを考える上で参考になると思われる。ベビーブーム自体が、決して幸福の象徴であったのではないことを考えるべきである。斬新なアイデアのように見えて、どうも容易な回顧主義のようにも映る。

本日は、マリアの昇天の祝日であった。バイエルンなどの地域では休日で、裁かれることのない清らかなるマリアの昇天に際して天使が使ったとして、この期間ハーブが特に愛用されるようである。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

フランケンタール窯の興亡

2005-08-15 | 文化一般
フランケンタール焼の250年際特別展示を見てきた。予ねて疑問に思っていた、マイセンやヘクストとの関係やカール・テオドール宮廷のミュンヘンへの移動過程での衰退などが理解出来た。

フランケンタール焼は、なかなか良いものを見かける事は少ない。結局、工房は僅か半世紀しか存在しなくて、全てあるものは250年以上も壊れずに残された骨董品であるからだ。だからマイセンのように現在でも注文して作らすことも出来ない。

フランケンタール焼は、元々ストラスブルク(文豪ゲーテが大学に通った)の窯元パアル・アンノンが保護を求めてテオドール侯の下へやって来た事に始まる。つまり、ルイ15世の政策でザクセン公の影響を受けてか、ポンビドー夫人の想いでか、柔らかい陶器、所謂パテ・タンドルといわれる窯をパリ近郊に集中させ振興するようになり、アルザスのこの窯は存続出来なくなった。そして制作者は、プァルツに逃げて来た。その後、更にはマインツ泊のこれまたザクセン侯のマイセンから逃げ来た絵付け師が始めたヘクスト焼の職人を引き抜いて発達する。

しかし、前述したように音楽におけるマンハイム楽派と同様に、テオドール侯のバイエルン王公戴冠のための移動で、全ての文化はミュンヘンに行き、そこで陶器はニンフェンブルク焼となって今日へと繋がる。音楽の場合と違い、窯が残った為か一部人材や技術は残り、ヘクスト焼と同様にフランス革命の余波で全てが破壊され途絶えるまで細々と存続する。

バロックからロココへの流れは、これらの焼き物の意匠用途に明確に現れている。色彩の度ぎつさや強調された諷喩のデザインはバロックである。恐らくフランス王朝文化との差は、当初は陶器の堅さや色出し技術の違いだったのがデザインや趣味がこうして大きく違っていくようになったのだろう。フランスの陶器は、フランケンタール焼が無くなる頃に再び堅い陶器へと変遷していったようである。


フランケンターラー焼:
諷喩-
匂い感情アフリカヨーロッパアジアアメリカ
四季-

神々-
ブルカヌスユーノセレスセレスミネルヴァメレーガとアタランテザビーネの略奪アポロと竪琴アポロヴィーヌスのトワレットヴィーヌスとアモール
宮廷の生活-
狩人狩人女トランペッター踊り子踊り子踊り子
浮世の生活-
牧童の絵牧童の絵牧童牧童達牧童娘商人汚れる料理汚い下働き躾の無い子供等庭師女バグパイプ吹き
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

死んだマンと近代文明

2005-08-14 | 文学・思想
昨日、20世紀ドイツの作家トーマス・マン没後50周年式典が、連邦大統領らを迎えてスター文学評論家マルセ・ライヒ・ライニツキ教授の講演を中心にリューベックの教会からTV生放送された。

ゲーテの死後五十年後の無関心や評価と現在のマンの評価を較べると文句は言えないが、ライヒ・ライニツキ教授がマンを 発 掘 する1970年までの現状と1980年代の進展を物語る。ヴィスコンティーの映画化などが象徴している事象である。それら文学作品は、音楽が演奏されて初めて意味を持つのと同じように、読まれて、演じられてこそ初めて価値を持つのであると言う。青年マン自身の出世への野心を交えて語られる。そして現在のドイツ語圏の大学での独文学教育では、昔とは状況が逆転して他の作家カフカやヘッセ、ムジールなどとは大きく差を空け、マンに関する圧倒的に多い授業時限数が示される。しかし、半面研究自体が殆んどされていなくて、作家の同性愛を分析する人間が「ヴェニスに死す」すら十分に読んですらおらず、重要な引用も出来ずに多くを見逃していると手厳しい。氏は、文章中の性的な意味合いも初めて日記を以って理解出来るので、公開された全日記を含めた研究はこれから始まるのだと言う。80年代に氏が、マンの小説を娯楽に出来る文学として紹介した時の否定的な大反響も述懐される。こうして聞くと、どうして教養と教育への問いが伏流のように隠されているのが分かる。

続く世代の反発やギュンター・グラス世代がこの作家を無視した期間を認めているのも興味深かったが、やはりここはどうしても同世代の音楽家ヴィルヘルム・フルトヴェングラーと比較してみたい。

前者は、大統領が挨拶で示したようにドイツをドイツ語圏越えてドイツ文学を世界文学としたが、二度と祖国へ帰りそこで落ち着くことなくスイスで生涯を終えた。後者は、ドイツ文化の代表を自認してナチスの祖国に居座り、戦後アメリカへの進出を企て前者らに妨害された。前者の日記に相当するのが、これら芸術家の虚像化を許さないという意味において、後者の作曲かもしれない。そして、前者の小説も後者の残された録音も圧倒的な世界市場の支持を得ているが、十分にその芸術が理解出来るとは言い難い。またその現象は、何故かゲーテの文学への理解やベートーヴェンの音楽への理解と相似をなしている。

それらは、一口に言うと教養という名の娯楽であるかも知れないし、教養という名の教育であるかも知れない。たとえば歴代の連邦首相どころか大統領で、どれ程に多くの人物が今回の挨拶で強調されたヒューマニティーをマンの作品から読み取る事が出来たかと問われるのである。そしてここにドイツ文化ならず近代文明への懐疑の源が見付かるかもしれない。これが、ライヒ・ライニツキ教授が言う教育は十分であるが研究はこれからであり、非常に逆説的だが娯楽に出来る文学作品である所以なのだろう。



参照:
トンカツの色の明暗 [文化一般] / 2005-07-11
QOLとしての水道水 [アウトドーア・環境] / 2005-07-29
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

交差する実験予測と命題

2005-08-13 | 数学・自然科学
独日協会へハイデルベルク大学医学部内科から論文作成の為の生体実験協力者を探している旨の連絡があった。実験の内容を詳しく見て行く。

最近比較的話題になっている薬剤代謝の遺伝子別研究を、既に市販されている「カビ防止剤」を使って行うようである。遺伝子により肝臓で供給される酵素に差があるので、薬剤を代謝する能力が人種によって大きく異なる事象を言う。この酵素の種類によっては、人種差が大きい。これを、薬品を投与する事で、代謝されて血液に集積される量や尿への排出を調べると、投薬の効果の差が推測出来るという。その資料をもとに其々の試験者の遺伝子型を詳しく調べる事で、酵素の差の遺伝子別の特性が現れるという研究であるようだ。博士論文のために企画されたようだが、非商業的といっても製薬会社には貴重な資料となるであろう。少なくとも手元の実験計画書抜粋では、この全く違う命題の実験意図が分からなかった。遺伝子調査の結果も知らされないというのも非常に疑問に思われる。

さて酵素と聞くと一般的にはアルコール代謝酵素を思い出し、大酒飲みは必要も無いのに事改めて自分の代謝能力を知りたいと願う。アルコールを飲んで肝臓で、チトクロームP450 (CPY2E1)酵素の助けでアセトアルデビドとなり、更にこれが酵素で酢酸となりクエン酸を経て炭酸ガスと水に分解され代謝されるとなっている。この酵素が十分生成出来ないのは、モンゴロイド系の日本人等の遺伝子に特有の現象であるのは周知の通りである。

さてチトクロームP450 ファミリーのCPY2C19ならびにCPY2C9と云うのが今回重要なスクリーニング要素となっている。つまりこれらの分布特性が顕著に現れるモンゴロイド系は貴重な試体となる。前者などはイタリア人には欠けているなど民族的特長もあるようだ。遺伝子染色体クロモゾモでは10q24と云われるものらしい。更に面白いのは、アルコールを飲みつけたり、飲みすぎると血中のエタノールにこれら酵素が総動員して代謝に働くようになるので、酒飲みには薬が効かないと云うようになるらしい。そうなると、薬物が代謝されないから薬物の血中濃度に現れる。

この薬が効かない、効き過ぎると云うのが投薬上重要な要素で、遺伝子型を簡易に認定する試薬などが開発されて、薬学上の適量滴定が出来るように見込まれている。経済効果は、投薬上の医療ミスを減少させる事にもなる。

さて、上の実験参加への要綱を詳しくなぞると、拘束時間の長さや運転の禁止、グレープフルーツジュースやコーヒーの禁止、日光浴禁止などの制限、最低65回採血に対して、490ユーロと謝礼は低い。学生相手にも見付からなかったのだろうか?倍の報酬ならば考えてみようかと思ったが、飲酒の制限や常習飲酒で事前判定で落とされそうである。

そして薬品自体が、黴の細胞膜形成を抑えるため日和見感染等の免疫系の症状である対カンディオゼ(Candida)などに効用がある。このようなものを摂取すると必要な時に効かなくなる可能性は無いのだろうか?またこれら酵素の働きは、向精神薬の効果などにも影響するという。

健康に留意している方!ハイデルベルクで二泊五食付きで、大学病院で事前健康診断受けれます。ハーブ茶も期間中飲む事が出来ます。協力希望者の女性の方には、影響が不明の妊娠を避けるために期間中に二つの有効な避妊方法も指導して下さるそうです。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

公約無制限の高速道路事情

2005-08-12 | アウトドーア・環境
ゴールド会員と言うのに我が自動車クラブの会報を覘くことも最近は余り無かった。理由は、湯船に浸かる事が年に数度程しかなく、丁度手頃な大きさで紙質の読み物であるこの会報に手を伸ばす機会がなかったからだ。久しぶりに、湯煙にこれを開くと選挙を前に各党への質問と交通問題担当政治家の回答が載っていた。

ガソリンリッターあたりに€65,4の燃料税と環境税は、余りにも高い燃料費となって跳ね返って来ている。これに対して、下げるとか中止するとか公約するものは誰もいない。それほどにこの税収は、切羽詰った財政の重要な歳入エネルギー源になっているようである。流石に、これの引き上げを言うものはいない。SPDは、これのエネルギー節約効果や年金のバランス向上、職場の安定への流用を正当化してアピールする。其れに対しCDUは、付加価値税などの間接税強化への党の意向から、当然の事ながら廃止や削減はしないが将来的な廃止を仄めかす。それも党の政策が成果を挙げ経済が成長局面に入った時という前提が厚かましい。余程でないと信じるものはいないだろう。環境税創始者緑の党は、このまま推移して将来的なエネルギー変換へと夢を繋げる。15年で石油エネルギーを全廃するというお気楽者である。FDPは、これを上げる場合は車両税を廃止すべきと人を紛らわすような訳の分からない事を言う。

アウトバーン乗用車通行税への見解では、SPDは税徴収実施の費用で収入を食ってしまうような導入はしないと言う。其れに対して、緑の党は、実施すればより三分の二の死亡事故が起きている危険な一般国道に車が溢れ更に事故が増え、これが医療保険費にも大きく跳ね返って来ると思わぬ論理へと導く。FDPは、第三セクターなどを利用して、道路の効率の良い管理を進めるべきだが一般的な税導入は考えていないと、一部を有料道路としての払い下げを意図している。

道路建設への取り組みついては、SPDは今年から導入された貨物通行税で十分に投資出来、利用者負担のコンセプトは十分な成果を生むとしている。CDUは、この貨物通行税を現在のように一般会計に持ち混まないでそのまま道路建設に利用すると言う。同時に、民営化の恩恵を得る形態を探っていくと言う。緑の党は、貨物は道路ではなく鉄道にあるべきとして今後も鉄道への取り組みを明かす。依って3,5T以上の貨物車に対してより一層の課税をすると言う。FDPは、十分でない建設に対して利用者負担の原則をさらに強めて行くと言う。

昨年度5842人の交通死亡者数に対して、安全への具体策を問うと、事故の多い未成年者や初心者への禁酒の徹底と再教育の設定などが挙がるが、緑の党はEUの意思として2010年までの死亡者数半減と更に10年後の半減の為の車両安全技術面での熟成を強調していて興味深かった。



参照:
アウトバーンでの予知力 [ テクニック ] / 2004-12-27
世界最古のガレージ [歴史・時事] / 2005-07-09
自宅よりも快適な車内[ 歴史・時事 ] / 2005-02-14
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

追撃迫る自由競争市場

2005-08-11 | 歴史・時事
今週末には、再び徐々に温かくなるというが、天気が良くてもまだ肌寒い。過熱しているのは、大西洋間で繰り広げられている旅客機売り込み競争である。

米のボーイング社と欧のエアバス社は、世界市場で互角に戦えるようになったのだろう。前者のNASAやペンタゴンを通じた間接的な連邦政府の保護金や日本とイタリアからの援助金と、後者の引き続き継承される各EU加盟国からの援助金は、WTOへの提訴を受けて公的援助削減合意へと至った。しかしその後、米の一方的合意放棄へと繋がり、暑い夏となっている。

昨日も、中国からのボーイング社への注文が報じられていた。大きな販売活動費が動いたに違いない。これは回りまわって、税金が使われているとも言える。

WTOは、ブッシュ政権のこうしたネオコンサヴァティズム的な「企業福祉」を強く批判している。勿論、エアバス側もフィッシャー独外相を送り込んで欧州内チェコやトルコに対してエアバスの購入を強制しているので、自由競争というには甚だ遠い。更にテュルーズとハンブルク間で、受注の引っ張り合いをしてシュレーダー首相が得意の仕事をこなしている。税金を資金源として地元に職場を作るのは極自然な政策の様に見えるが、ネオリベラリズムの考え方に合わない。

尚、米議会が「500人乗り以上の航空機はロケット防御装置を義務付ける」と動いているのも大変破廉恥な話である。A380以外にこれに当てはまる民間航空機はないので 、早くもこの民間旅客機を熱感知追跡ミサイルで追撃するようなものだ。こうして米国政府の福祉を受ける軍需産業は、どのような紛争も己の利益に結び付けてしまう。

それでも近所のシュパイヤーの企業が、エアバス社だけでなくボーイング社からも大きな注文を受けたと言うのが、当然の事とはいえ何故かほっとする話題であった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

無料情報の客観主義

2005-08-10 | 文化一般
フランクフルトでウィキの初会合が開かれて米国人創始者ジミー・ウェールスが顔を見せている。非営利企業として4年前に始めたというが、お馴染の様に皆がお世話になっている。今後も拡大されて、非営利の態度を貫くようで興味深い。サーヴァーをヤフーやグーグルに提供して貰っているというが、これらのように営利化として上場という道を踏襲しそうにはない。しかしドイツのウィキの会などは、広告収入を見込んでいるようで、そのようになると現在の哲学は通せないだろう。時間の問題となる。

最大の特徴は、周知のように無料で情報を提供して、全ての協力者も無料で作成している事である。これによって、何らの階級制度が存在せず、限りなく自由に近い空間であると創始者は言う。それゆえに、編集者の校訂が無くとも、マスの行動で淘汰され、其れほどには逸脱しない情報を提供する事が出来ていると思われる。

ここで気が付くのは、当初は編集合戦となるような話題においても、最終的には双方の論理を並列して紹介して行く 客 観 に徹すると想像される。つまり、最終的に落ち着く所は、相対的な視点と言うよりも均一化された視点と言えようか。実際にここの情報を使う時に、他の情報源と較べるようとしても、その情報が既にここの情報の孫引きとなっている可能性が今後増えるだろうから、必ずしも各々の情報を吟味する事にはならない。

反対に学会や研究機関のサイトの論文の方が、全面的に開放されて批判に曝されないと、不確かな情報の巣窟となる可能性が高い。本来は重要なネットの一要素であったこれらが往々にして、一般無料全面開放されていない方が問題であろう。情報は、所詮引用であり、独自性を以ってその積み重ねから逸脱していると考えると、このように権威付けられて相対化された情報は寧ろ個人的な 主 観 に徹すると言える。

出版社ブロックハウス社は、このウィキの活動を批判しているが、「時が立つとその百科辞典の権威ある情報こそ使い物にならない代物はない」と誰もが知っている。

更に創始者の通称ジンボは、彼の理想主義の下、大きな野心も持っているようである。つまり、これは教育や情報の経済からの開放と言えるかもしれない。独立ニュース部門の充実と、特に政治的に抑圧された中国や第三世界、階級社会への時事・教育情報やマルチメディア情報の配給も計画しているという。既に現在世界トップ50に含まれるこのサイトは、ネットの将来だけでなく情報社会の今後を左右することになるのだろう。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

車が、金が、酒が廻る

2005-08-09 | 歴史・時事
落下型はシュヴァルツヴァルトに多いが、水流型の水車はここプァルツに多い。その昔、製紙業など工業や粉引きなどの農業に使われていて、それは多く残る土地の名前に形跡を辿る事が出来る。特に粉引き水車小屋等は、食事を振舞う事も多かったようである。これは、現在もマイスター制度が存在する粉引き職人の社会的位置づけが関連しているので、専門的な研究対象ともなっている。

基本的には小屋を借りている粉引きや、なめし職人、製材、紙職人などが、小屋を持ち主から取得する為に現金収入を見込んで始めた例や、持ち主そのものが営業を始めた例など様々有りそうである。何れにせよ谷間や山間の交通の要所に位置すると、旅する者に重宝な飲食・宿泊の可能性を提供したようである。同様に水車小屋の持ち主は、土地でもある程度裕福であった事を考えると、旅籠を営むのも当然であったかもしれない。こうして、今でも至る所、ホテルの名前にポスト馬車の名に並んで水車小屋の名が付くことになる。

動画は、プァルツにあるそのようなレストランの一つで稼動している水車。水流型では意外に少ない実際に稼動しているものである。余り見ていると目が廻る。



参照:水車小屋のある風景 [ テクニック ] / 2005-01-05
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

寒冷前線下での昼餉

2005-08-08 | ワイン
野暮用で3000メートル峰の麓の村へ行こうと、昨日は昨今高騰している燃料を80ユーロ以上も車に給油した。結局、500キロメートル5時間の距離を日曜朝の11時までに余裕を持って到着するとなると、3時起きになってしまうので断念した。ある程度興奮状態で無いと、この行程を行って帰って乗り切る事は難しい。一日に1000キロ以上を走り、その上に折角のチャンスを生かして山歩きしてくるとなると、その後に疲労が残る。

北海からの低気圧の影響を受けて危惧していた天候も崩れ、案の定本日は雨が降り出し、ワイン街道でも摂氏15度から更に気温が下がった。山の上は雪が舞っている事であろう。セントラルヒーターが暑いお湯を供給すると共に、典型的な寒冷前線であろうか雷が鳴り響く。ヒーターを開放してもまだ寒いので、半袖のポロシャツの上にサマーセーターを着こむ。

夏の食事として考えていたものは、余りにも冷たそうなのでこのような天候では取り扱う事も出来ない。まだこれからも湖で水浴びをするような暑気も来ようが、だんだんと夏向きの話題は整理して片付けていかねばならない。

キッチンワインとして、スペインの1,5ユーロの赤ワインを購入。バスクに近いナヴァラ地方のテンプラニーヨ種である。有名なリオハに使われる葡萄である。良く熟れていて味覚の重心が低いので、果実風味が膨らんで口の中を一杯にする事が無い分、落ち着きがあって嫌味が無い。珈琲と共に飲むとリキュール入りのケーキを食べるような甘味を感じる。しかし残り味も、綺麗に角が落ちて、砂のブロックが波に流されいていくように減衰して行く。

その味に相当して、色は濃いが、イタリア・ピエモントのバルべラ・ダァスティよりも薄く寧ろボルドーのサンテミリオンに近い。肉料理には柔らかすぎるが、ニンニクや生姜味の野菜や地中海料理、更にヌードルには全く問題がない。

ヌードルで気が付いたが、中空で捩れているストルテッリは空気が通るだけに直ぐに冷える。これは暑い夏に、熱いソースをかけて食する時に涼しくて良さそうである。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

著作権の換金と集金

2005-08-07 | 文化一般
著作権を管理する団体は各国に存在する。ドイツのGEMAなどは、作曲家リヒャルト・シュトラウスが1903年に発足させた管理団体として特に有名である。音楽通ならば、この事実だけでも著作権を管理する事が既に商業的な意味合いを持っていたことに気が付くであろう。

歴史を遡ると、アルブレヒト・デューラーの版画の増版禁止の地域・期間指定などが良く引き合いに出されるが、これもこの芸術家の自意識を以ってしても著作権と言うよりは版権の範疇を越えなかったと考えられる。印刷技術の発展で、同じ書物が多数複製されるようになって、版数を管理する必要が出て来た。こうして、芸術・著作家から校訂や製本や複製の仕事を請け負って、もしくはそれらに作品を依頼して、出版者が作者への謝礼と交換に取得した版権を根拠に、この出版業を生業とする事が可能となる。

1770年にアン王女の像が初めてコピーライトとして法的に確認されたという。その後19世紀前半に西欧の多くの国では、啓蒙主義の影響を受けて知的創造物の著作権が認められるようになる。この 登 録 さ れ た 著 作 物 の概念「コピーライト」が、1795年から独立後の米国において制定されて、1978年に改正されるまで著作権以上の価値を持ち続けた。これも現在の混乱の原因になっているのかもしれない。英国においても同様に1956年まで中世的な現象が続く。

一方、大陸のフランスは、1790年代に自然法の権利として著作権を制定して、プロシアは、1845年に著作権者死後30年に延長するまで公表後10年間の期間保護を1837年以降著作権に制定していた。

当初は、保護される作品の利用方法が限られていた。しかしその後、書籍や楽譜のように作品を記録して公表したり、朗読会や演劇や音楽界の舞台で上演するだけでなく、その様子をメディア媒体に記録出来るようになる。その媒体を公開の場で再生すると再び著作権利用の権益が生じる。つまり、ここで既に三度利用され、三度著作権益が徴収されている。

著作権権利団体は、こうして該当の団体に登録されている作品については其々の料金の徴収を代行するようになる。一次的な利用であろうが二次的な利用であろうが、舞台上演者も商品制作者も放送事業者もBGM等利用者も例外なく管轄団体等権利代行者に著作権に相当する額を支払わなければならない。(続く)
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ヒロシマの生き残り

2005-08-06 | 
ソフィア大学の教育学教授ルーメル教授は、唯一人健在なドイツ人の広島被爆生存者と言う。当時広島郊外の長束にあったイエズス会の修道所にいて人類最初の原子爆弾に遭遇する。誰が語ろうがその惨状は変わらない。しかし宣教師として救助活動に当たるなどの積極的な行動やその立場が十分伺われる。特にベルリン陥落の1945年5月8日以降は、憲兵隊によって一箇所に収監されるところを逃れるなどの状況を初めて知る。

投下後、修道所の近くの朝鮮人バラックでは80人中20人しか町の道路工事現場から帰還しなかった事、また街中の教会の道の住民の70%が死亡、爆心地により近い次の道で90%が死亡、プロテスタントの女学校600人は工場で働いていて30%から40%の死亡だけに免れ、女学校の300人は校庭にいて殆んどが死亡などと、単純な足し算で無い集計に余計に其々の事情が浮き彫りになる。

8月8日には一大火葬場となった市内には誰一人として入れなかったと言う。死体の焼却には一万人の兵員が動員された。葬儀場も足りない郊外の村では大人の死体に5束の藁と15本のマッチが渡され、子供の死体にはそれぞれ3束と9本が宛がわれ、其れでは足りないので燃料も配られた。

神父は直後に小さな村の村長を訪れ、同じキリスト教国米国の暴挙を詫びた。すると村長は「其れを持っていたら同じ事をしたでしょう。」と答えた。

日本帝国陸軍からの要請で、キール港から処女航海のユーボートで運ばれたウランは、ベルリン陥落を以ってシンガポール沖で降伏したドイツ海軍クルーと共にサンフランシスコに運ばれた。そこでこれは、アインシュタインなどが推奨したマンハッタン計画に使われ、ドイツには落とされずに広島に落とされたという。その事があってかどうかは分からないが、広島・長崎の投下直後に敗戦のドイツの町で、大人に交じって抗議デモ行進をしたというペンキ職人を知っている。

何れにせよポツダム宣言の前後には、在イタリア日本帝国在外公館筋を通して核爆弾使用による外交的圧力は掛かっていたという事から、未曾有の両惨事は政治判断で避けられたのは明らからしい。その一方、全面戦争ではこうした壊滅的な終結を何時も覚悟しなければいけないと、この教訓は語る。広島をアウシュヴィッツと相似と捕らえるのは、その観点からは正しい。

ネットサーチすると、米国大統領の広島・長崎訪問への希求を幾つか見つけた。そこへ至る論調は、原爆投下は公式釈明のような早期の戦争終結ではなくて対ソヴィエト戦略であったのは自明として、それどころか現在も正常な歴史認識さえ出来ない米国の御家事情が分析されていた。米国社会は、パールハーバーやグランド・ゼロのルサンチマンでしか世論を統一出来ないのだろうか。

通常は文化産業を批判する一節として引用される、社会学者アドルノの言葉がそこにも添えられていた。

「認識が生む苦しみの認識を禁ずる事も統治機構の一つである。」、更に続けて「真っ直ぐと伸びる道は、人生の喜びの福音から、 遥 か 遠 く のポーランドの収容所の人間場へと続く。こうして、絶叫などは聞いていないと自国の一人一人のアーリア人に思い込ませる事が出来る。」(Theodor W. Adorno: „MINIMA MORALIA“ 1951)

最後に、ノーベル文学賞のエリアス・カネッティの一節、「破壊の為に、炎ほど有効な手段は他に無い。…取り返しつかなく全てを焼き尽くす。元から何も無かったかのように、何も残らない。その火を放つ群集は、無敵である。…完璧な破壊の後、その炎は群集のように消え去るに違いない。」を記す。



参照:
市長ズミット博士の港から [ 歴史・時事 ] / 2004-12-07
素裸が雄弁に語らないもの [ 文化一般 ] / 2005-04-21
コメント (20)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

著作権のコピーライト-序章

2005-08-05 | 文化一般
最近著作権関連の報道が多いだけでなく、BLOGにおいてもその法関連について様々に取り扱われて感心の高まりを示している。それでも一般市民には、この現象が企業の営利と市民の娯楽との相克のように映っている。

理由は、著作権隣接権もしくはコピーライトなどの用語が混乱して使われている事にもある。これは何もマスコミやその用語の定義が悪いのではなくて、もともとその権利の経済構造が部外者には分からないほど入り組んでいるからである。

先ほどのカナダのIPodの権料徴収裁判では、カナダの著作権管理団体CBCがハードウェアー毎に著作権料を徴収することを認めなかった。また二次的な徴収の権利とされる版権の管理団体やレコード会社団体IFPIなどは、これに対して「何ら著作権関連の料金を徴収しないという事は、その他あらゆるコピーへの違法性を明確に定義付けた」として歓迎している。

ここで著作権よりも版権の方が、既にグーテンベルクの印刷技術普及の過程で、重要であった事を思い出さなければならない。これからも知れるように、出版やメディア業にとっては版権の行使が仕事の根幹となる権益であり、著作権者は其れを通して初めて謝礼を得る事が出来た。

しかし、メディア業界は法廷戦略として、基本的権利である著作権行使代行者をその管理団体の背後で標榜しているようだ。その権利主張を通して、本来の自らの権益である版権を保護するように見える。これが一般の理解を難しくして、正しい認識や世論を築くのを妨げている。

何故に社会共有であるべきテクノロジーと言う文明の恩恵に与ってはならないのだろう。それどころか、そういう技術競争を支える為に引いては資本主義経済を底支えするために、財布を叩いてハードを購入しているのではないかと誰もが考える。知的財産権の為に特許料に相当するものをハード製品価格に上乗せすることには、何一つ関心を示さない消費者も、購入したハ-ドで、それも個人での使用を目的としたコピーまでが制限されるとなるとなかなか納得出来ない。

其れに対応するソフトである知的財産の著作権が、ここで問題となっているのである。しかしそのソフトが、デジタル技術と言う効率の良い経済を目指す大量複製技術に適していてしかも媒体となるハードのメディアに依らず存在する事が出来るとなると、元来の知的財産の対象となる「創造の影」が薄くなる感じを持つのではなかろうか。版画の版数を思い浮かべるが良い。

その経済効率とその複製権・版権の保護のディレンマに陥った版元には、多くの人はあまり同情的ではない。多くの市民は、初めから自らが王侯貴族のように芸術家を侍らす夢などは見ていない。只その辺で遣っている大道芸人の様を人垣の隙間から覘ければそれで十分なのだ。満足すれば幾らばかりかの金を投げ入れよう。このような供給を一先ずエンターテイメントとしておく。

このエンターティメントこそが商業主義と切っても切れない代物であることを確認した上で、著作権隣接権と版権の関係をみていかなければならない。それは、知れば知るほど著作権の基本となる知的財産権と商業的な想像力の複雑な絡み合いに益々混乱するかもしれない。しかしこの迷路を通らずしては、著作権の本来の姿を見出す事は無いと思われる。(続く)



参照:影に潜む複製芸術のオーラ [ 文学・思想 ] / 2005-03-23
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そして鼻の穴が残った

2005-08-04 | 料理
豚食となると、タタールと並んで重要なのがヴェルフライシュもしくはケッセルフライシュという煮豚である。内臓の腸や胃、腎臓、肝臓、腸の絨毛など食べ残す所無く、食い尽くしてしまう。それでも残る頭部のソーセージ類にも使わない鼻や耳や口や顔面を愉しむのがこの料理だ。

謝肉の日として多くは水曜日に、される時にこれが切り取られ、名の如く鍋でじっくりと煮込まれる。通常は皿に、其々の部分が盛り付けられて様々な味覚を楽しむ事が出来る。鼻のゼラチン質のぶよぶよ感、耳の一寸したこりこり感、口のツッパッタ弾力感、頬の縮んだ筋感の食感を愉しみたい。味がまた其々に違い、味覚の全神経を集中させて少しづつ切り取りながら、僅かに垂らした煮汁に塩コショウを溶かし、それに塗して食べて行く。

間違っても芥子などに奔って、咀嚼せずに飲み込むことの無いように留意する事!そうして満足そうな顔をしている輩を信じてはいけない。

これは、薄塩で素材を生かすドイツ料理の究極の味覚といっても過言ではなく、心して味わうべきである。勿論、相伴のワインは単純でコシの確りしたワインであるべきだ。


繊細な肉の味
2004 07/31 編集

牛レバーは、安く購入出来調理も簡単である。玉ねぎと片面3分も焼けば出来上がる。塩コショウしただけで、レバーの味を満喫できる。臓器の機能に応じてと言おうかレバーは味が強い。だが調味料を殆ど使わない分、ワインに上手く合わせることが出来る。上質の赤から単純な白ワインまでいける。一般的に食事に合わせにくい辛口リースリングの遅摘みを試す。炒めるのに油を多く使うので、夏季の場合はワインも十分冷やしてサッパリさせたい。

夏の豚の料理として、煮豚を挙げることが出来る。これも塩コショウ以外に何も必要ないので、白ワインに最高である。煮汁も薄く残る程度少量で、皿の上で塩コショウを溶かしてまぶす。

双方の料理とも容易に芥子にはしると、肉本来の味を賞味することが出来ずに、ワインも堪能できないので注意が必要である。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

王様の耳は豚の耳

2005-08-03 | 料理
豚の耳と言うパイ菓子(Schweinsohren)を見つけた。形は御馴染のものであるが、この命名には驚いた。鼻とか耳とかを、食べるのは良いとして、この趣味の良さにである。早速、歴史を紐解いてみると、プロヴァンスの名物菓子と言う。棕櫚のハート(coeur de palmier)と呼んでなんとも美しい。

この命名の話題で、笑いながら女性とカフェーではお喋りしたくないものである。なんとも、これはルフトハンザが豚の匂いがすると言うのに似て、体臭に満ちた些か羞恥を伴う話題である。

豚の生肉をタタールにして食すのは、ドイツ人だけだと思うのだが如何だろうか?彼の中国人でさえ火を通す。最近は食糧管理が厳しくなって、なかなか食べる機会少なくなった料理だが、これが中々美味である。


写真は、パン屋で売っていた巨大な豚の耳である。ザクセン王もチョコレートの付いたこれを愉しんでいたのだろうか。
コメント (10)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

符丁に酔って、芥子を落とす

2005-08-02 | 料理
ブラット・ヴルストと言えば太いベークドソーセージとして、どんなに短期間の留学生であろうともムスリムの出稼ぎ労働者でも知っている。しかしその中味をブレートと言うのは、少し専門的である。通常のデューデンやヴァーリックのドイツ語辞典には、載っているから知っている人は知っている。現にお品書きに載っていた。

さて、これを大きく叩き伸ばしてパンケーキの衣で包んで揚げたものを食した。中華では正式になんと言うか知らないがそのままの肉であれば豚のてんぷらに近いもので、ベトナム料理などでも似た物がある。中がミンチであれば、肉でも魚でも良く似たものだろう。

これにテーブルに置いてある陶器の壷の芥子をタップリと小匙で皿に落とすと、些かここは何屋さんと言う感じがする。有名ワイン醸造所の蔵出しを出す食事処である。天気が良い時は綺麗なお庭に座り花に囲まれて、美味いワインと小料理を楽しむ事が出来る。

生憎、咋金曜日は夕立で強い雨の雷鳴が轟いていた。比較的混んだ室内の席が空くのを二三分待って、ワインを三杯愉しんだ。辛口リースリングの炭酸割りに続いて、そのピュアーなフォルスター・シュネッペンフルークの2004年リースリングをのんだ。QBAクラスにしては、アルコール12度と気持ちよく食事が進む。そして最後に飲んだのがフィロソフィーと名付けられたワインである。12,5とアルコール度が尚の事高いが、糖7,7と酸7,1との具合が丁度よくて、真に酩酊出来る酒であった。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする