Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

袋が香を薫ずる前に

2005-07-14 | 文化一般
バーデンバーデン・フライブルクのSWR交響楽団の音楽監督シルヴァン・カンブラン氏が記者を集めて語ったようだ。放送局の財政健全化に伴う今後の縮小案等に先行して、

「我々は99人の音楽家で、現代の楽譜から模範的な演奏をしている。こうして交響楽団の水準を保つのは、政治文化的な決断までの応急的な処置なのである。社会的・芸術的使命感に燃えて活動をしているが、既に限界に来ている。」。

伝えるように、NDRの115人、WDRの118人の楽員数と比較すると、公平に見て最も効率的に意味ある活動をしているのだろう。これに比較出来る芸術的価値を持った放送交響楽団は他に存在しないかもしれない。その音楽的個性やそのシュヴァルツヴァルト産の機械のような音響、その独自なレパートリーでは、プロフェッショナルの大交響楽団として世界の五指に入れても許されよう。

カンブラン氏は、フランクフルト劇場の音楽監督の時にも、市の助成の削減に対抗して自腹でオペラ公演を履行したのが記憶に残る。今回は先制攻撃である。確かに氏の言うように、高度な判断による舵取りが無ければこの豪華客船は沈没してしまう事は見えている。このまま推移すると必要な物も、無駄な物も同じ黒いゴミ袋に入れられて、投げ捨てられる運命にある。分別のための準備が必要なのかもしれない。

先週の月曜日にアルバンベルクカルテットのヴィオラ奏者トーマス・カクシュカ氏が大病後に亡くなったと伝えられる。ハット・バイエルレ氏に代わって中声部を受け持つと、一気にこの弦楽四重奏団を頂点へと押し上げた。特に旧ヴィーナーシューレの音楽における氏の働きは、一声部を越えて楽曲構造へと及んでいた。そのエキセントリックな音楽への姿勢の面影と共に、一時代の終わりを告げているようだ。

現在の欧州の四重奏団で氏の講習を受けていないものはいないと言っても良い。このアンサンブルの交響的な響きなどは、初めから収益率の良い中ホール以上での演奏会を想定していたといっても良く、新大陸からの先人のジュリアード四重奏団やラサール四重奏団よりも、または同じく先日第一ヴァイオリンのメルヒャー氏を失ったメロスカルテットなどよりも、弦楽四重奏の伝統の枠を越えていた。そのようなアンサンブルのあり方は常に批判の的となったが、その薫陶は次世代にどのように伝わって行くのかを注意深く観察していかねばならない。
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5 コメント

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こんにちは (Sonnenfleck)
2005-07-15 11:09:51
TBありがとうございました。



カクシュカ氏の突然の死、驚きました。

先日、相模大野公演のサイン会の席でどなたかが「カクシュカ氏の具合はどうか」とピヒラー氏に尋ね、ピヒラー氏が「われわれの大切な友であるから、元気になってほしい(意訳)」と答えていたのが印象に残っています。確かにいま考えるとこのときすでに病状は重篤だったのかもしれません。合掌。



>特に旧ヴィーナーシューレの音楽における氏の働きは、一声部を越えて楽曲構造へと及んでいた



ハイドンなど、特にそれを強く感じますね。
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こんにちは。 (kaorina。)
2005-07-15 16:47:45
初めまして。

TBありがとうございます。



ABQは、あまり聴かないのですが、

先日、たまたまスカパーでやっていたベートーヴェン全曲放送を観て、カクシュカ氏に惚れ込みました。

あのいぶし銀のような音がもう聴けないと思うと残念です。
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Reference (ohta)
2005-07-15 17:38:53
1970 年代くらい以降の記憶ですが,Alban Berg SQ については,Thomas Kakuska はもちろん Hatto Beyerle のときから,ある曲を聴いたときに一回では納得できず,数回聴いて 1) シッカリ鳴らすものだナ,2) そういうことかい,3) Reference にしておこう,という順番になり,Juilliard SQ はさらに回を重ねて聴かねばならず 1) ハテナ,2) 鯱張ているナ,3) そうキィキィいわすナ,4) そういう考えもあるわナ,5) この前のはひどかったけど,今度のは納まるわナ,というようでした.それゆえ,私には両者ともに初期に (むかし) は演奏会の場で楽しめるというものではありませんでした.LP レコードや CD が消化を助ける道具として働いてきました.Reference となるに足るものであると認めながらも,弦楽四重奏は二階席のあるようなホールでではなく,平土間のサロンで Intimacy を楽しむ,befreundet なものであるとの考えから抜けられません.もちろん交響的であることを求めません.現在それでは商売にならないのでしょうが.



G. Mahler の改宗,子供の不思議な角笛歌詞と Brahms の歌曲, さてまた Spargel のことなど,ここの記事がきっかけでいろいろ思い愉しむところがありました.しかし,そうしたところへ逃避しているとの後ろめたさもまた否定できないでいます.
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Blue Moon--monolog (nyoirin)
2005-07-16 10:27:15
はじめまして。TBありがとうございます。

トーマス・カクシュカ氏の訃報知りませんでした。とても驚きました。何故か、亡くなるとは思ってもいませんでした。とても残念です。もう一度彼の入ったアルベンベルク四重奏団の演奏を聴きたかったです。

私の記憶も1970年代からの記憶ですが、80何年かの来日の際は新宿の厚生年金ホールに聴きにいきました。あのときは既にカクシュカ氏だったのでしょうか?こんなことも定かでない私をお許し下さい。このときと、先日の相模大野でのと2回しか、生は聴いていません。あとはLPとCDです。こんな乏しい経験では何を語ることも出来ませんが、それでもアルバンベルク四重奏団は私にとっては一番好きな四重奏団です。

なにか、しみじみしてしまいました。心からのご冥福をお祈りいたします。
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中声部の進行、玄人ぽい、将来的なフォーマット、「見えて」 (pfaelzerwein)
2005-07-16 15:48:59
Sonnenfleckさん、コメント有り難うございます。カルテットの場合どうしてもメンバーの交替とかは慎重にならざるを得ないのですが、それもあり情報も抑えられていたので突然な感じがしましたね。未だお若かったです。



ハイドンは十分に聞いていないのですが、数少ない実演では数日に渡ったシェンーベルクとベートーヴェンのチクルスが思い出されます。故人の身振りも今回皆さん語って居られる様に、調性における中声部の進行をまさに魅せてくれました。







kaorinaさん、コメント有り難うございます。ご自身四重奏をなさるようにお見受けしました。あまり聞かないと言うのも納得です。実は私も限られています。録音類はどれも質が高いのでリフェレンスとして殆んど耳を通す必要がありましょうが。上述したようにカクシュカ氏は見せてくれましたから、玄人ぽっくて本当に格好良かったですね。







ohtaさん、お久しぶりです。先ず初期のテレフンケン録音ですが、コンセプトも違い印象が大分違いますね。バイエルレ氏は現在も教授として室内楽演奏家としてスイスでご活躍ですが、今回の訃報で専門家筋は皆これを思い起こしたのです。当時月並みな四重奏団が古都に幾つか有ったのですが、これはレパートリーもラサールカルテットに修行した事も全てが違った。それでも成功した音響はまだ表面に押し出されていません。現在のVnのシュルツ氏も同業者評価が高いのですが、デビュー当時の録音も聞き直したいものです。



ジュリアードの場合もマン氏のメンバーの入れ替えで、少なくとも何代も変わって来ていますね。その生命力は驚くばかりです。リフェレンスの録音数では引けを取りませんね。



世代のお話では、エマーソンなどの平均律的な傾向と古楽器奏法のあまいアンサンブルなどに続き、欧州では室内楽的な純音程の美意識が復活して来ています。ここ数年で状況は変わってくる予想します。そこで問題は、クロノスやアルバンベルクで親しんだ聴衆がそのような弦楽四重奏の妙の趣向に繋がっていくかと言う問いです。フォン・カラヤンの悪影響にも似ていますね。



専業の四重奏団で本格的に活躍しているのは極少なく、余業でやっているアンサンブルが殆んどと言う事実がこの状況を物語っています。



しかしそれは本文でも示唆しましたが、過去への追想や逆行でなくて将来的なフォーマットを見つけていく作業と考えます。







nyoirinさん、コメント有り難うございます。80年前後にカクシュカ氏が入って最後の交代となっています。バイエルレ氏の時代を生で聞いた人はどちらかと言えば少ないでしょう。生の経験から録音が「見えて」くるので残された物もじっくり鑑賞出来ますね。

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