Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

バーデンバーデン初日前夜

2021-11-06 | 文化一般
デジタルコンサート一週間券の資を取る。先ずはメンデルスゾーンも流した。9月16日のフェストの収録をプライムシートで聴いていたが、矢張りその時に思った印象と同じで名演だった。メンデルスゾーンの指揮がこうだったかと思わせるところもあり、歴史的にはアムステルダムのメンゲルベルクぐらいがこうした指揮をしていたかと想像する。書きたいことは沢山あるのだが、日曜日の朝練と本番の両方を聴いての感想に活かしたい。ペトレンコがベルリンで指揮した中で交響曲舞曲に続いて圧倒的だと思う。

続いて同プログラムの後半ショスタコーヴィッチ交響曲10番を聴いた。プライムシートの時には若干辻褄もはっきりしなく、更に技術的な傷もあったので、まとまった印象は得られなかったが、こうして編集されてアーカイヴになるととても立派な演奏だ。ペトレンコ指揮ショスタコーヴィチはミュンヘンでの「マクベス婦人」をどうしても思い出してしまうのだが、後任者ユロウスキーが語るように、本格的なロシア交響曲の後継者であることも思い浮かべさせる。二重の意味なども出来る限り其の儘にしておいてというとても丁寧な解釈で ― ペトレンコのマーラー指揮のセマンティックな解釈とは対照的である ―、矢張りムラヴィンスキー指揮などに近いと思う。音楽的にはとても程度が高い。作曲家の腕がそこかしこに透けて見えるのが素晴らしい。ある意味メンデルスゾーン演奏実践での時とも似ている。

このスコットランド交響曲とショスタコーヴィッチ10番も可也日本で話題になったと思う。表のプログラムに恥じないのを日曜日に確認したい。ショスタコーヴィッチに関してはマーラーの交響曲の影響を印象させるのだが、そのマーラーの手本にもなっているのはチャイコフスキーでもあるので隔世遺伝は当然のことである。それによって大分この交響曲への認識も変わる。

さて土曜日のバーデンバーデン初日を前にして、火曜日のアルテオパーでの大ハ長調交響曲と比較することになる。特に終楽章の展開部における指の体操音型前のパウゼへのクレッシェンド・デクレッシェンドやアクセントのダイナミックスが、「喜びの歌」からの流れでとてもすんなりと収まるようになっている。ルツェルンでも効果はあったのだが、アルテオパーでは明らかに一楽章が良くなっていたので、土曜日はもう少し全体的なプロポーションがよくなるのではないかと思う。ペトレンコ指揮の演奏会の同一プログラムに重ねていくのは、出来不出来以上に、特にこうした曲において俄然よくなってくるからである。同様にスコットランドもスカンディナヴィアから中継してもらいたいと思う。

さて恒例のお出かけの準備。先ず衣装は冬着にする。コートを着ずにとなるとそれしか方法はない。寒い。日曜日は一日中同じものを着ているとすると朝練と本番を同じジャケットで済ますことになる。ラフな感じで身体は寛げる。どうせ安い席であるから、それが賢いようにも思える。襟巻でもすれば、タイも要らないかもしれない。するとそのままサウナには行かないでも午餐を済ませて、履物さえあればシュヴァルツヴァルトを散策するのも一つである、二時間ほどは直ぐに過ぎる。すると熱いお茶とおやつが欲しい。昼に軽く飲んでもいい。両晩とも16時30分には劇場に入っていたい。要するにそれ程時間が余らない。15時ぐらいまで降らなければ助かる。

つまり土曜日は遅くとも15時過ぎには出発して、フランスのスーパーにもよる時間もないだろう。おやつに何を持って行くかである。土曜日の帰宅は21時過ぎになって、食事をして23時にはベットに入りたい。翌日曜日の朝は7時過ぎに出発なので、遅くとも6時起床である。出かける準備も土曜日にしておかないと間に合わない。まるでスキーにでも出かけるようだ。



参照:
ロマンティックな再開 2021-11-03 | 音
悪騒ぎしないロマンティック 2021-11-04 | マスメディア批評

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