久しぶりに疲れを感じている。風が生暖かくなったのもいけない。昨日の疲れと一昨日の疲れが重なったのだろうか。昨日登った所を更に研究していると、自分が登ったラインは昨年ならば落ちていたか登れなかったところだ。
それどころか生涯初の大転落をしたのであった。一年前の記事を見るとガルダ湖から帰ってきての疲れもあったのかもしれない。その意味では丁度同じような時期に差し掛かっている。いわば慣れと疲れが出てきているところで、シーズンも順調に滑り出しスポーツ能力が上がって来ている反面、惰性も働いていて、その感覚が鈍ってきているところだろう。
逆にこの時期を無事故で旨く乗り越えられれば、先が綺麗に見えてくるかもしれない。如何に自己分析をして意識して練習を積むことが出来るかにあると思っている。室内との最大の相違は、たとえ注意していても転落の危険は必ずあり、如何にそれを防ぐかにある。
兎に角、思いのほか足や上腕や腰までに疲れが出ている。どれだけ瞬間的に最高筋力を使って登っているかということであり、それは技術的な進展であるとともに、認識しておかないといけないことだろう。登っている最中は登れるか登れないかしか考えて試してみるわけであるが、昨年の今頃は登れたかどうかなどは考えない。つまり、どのような技術でどのような練習の成果であるかはそれほど明確ではない。如何に限界を超えることなく、限界域を試していくためには安全性が確保されているかどうかだけではないと悟るのである。
漸く、嘗てラインホルト・メスナーの「第七級」にあったような自己分析の感覚が分りかけてきた。当時の最高水準とは全く異なるわけであるが、当時はどうしても度胸と思い切りの力づくで登ってしまうような風潮がまだ残っていたわけで、現在のように純粋にスポーツ化した体の動きの中でのそれの中で始めてそうした問いかけが始めてなされるのである。なるほど、難易度の示し方も嘗ての最高難易度が六級であってそこから如何に進むかという試みは現在のスポーツクライミングの中では各々の身体能力や経験の中では全く同じことなのかもしれないのである。
そこで一つの方法として、今シーズン履き続けた新しいイヴォルヴの靴からルートによっては嘗てのカタナに履き替えてみようかと思っている。これで、自己最高の技術は駆使できなくなるが、その分身体の重心は岩に近づくことが出来て、技術的に余裕があるところで登れるようになるかもしれない。試してみよう、靴底が消耗するのも避けることが出来る。
頂上の記帳から:
Was wir beim Klettern so liebten, war das Gefühl, Herr über die Schwere zu sein, über dem Abgrund zu tanzen, senkrecht emporzulaufen. In diesen Momenten fühlt sich der Mensch wie der Flieger im Raum. Er ist kein erdgebundener Wurm mehr, sondern wird zur Gemse, fast zum Vogel. Lionel Terray
クライミングで素晴らしいのは、困難を制圧して 深淵を覗きこみ、垂直を歩むその感覚である。そのときには、まるで宇宙飛行士のように感じるのだ。もはや地を這い蹲る蛆虫ではなく、まるでカモシカのように殆ど鳥になったかのように感じるのだ。(レオネル・テレイ)
参照:
バンジージャムプ並の転落 2012-06-18 | アウトドーア・環境
オリエンティールングルート 2013-06-13 | アウトドーア・環境
それどころか生涯初の大転落をしたのであった。一年前の記事を見るとガルダ湖から帰ってきての疲れもあったのかもしれない。その意味では丁度同じような時期に差し掛かっている。いわば慣れと疲れが出てきているところで、シーズンも順調に滑り出しスポーツ能力が上がって来ている反面、惰性も働いていて、その感覚が鈍ってきているところだろう。
逆にこの時期を無事故で旨く乗り越えられれば、先が綺麗に見えてくるかもしれない。如何に自己分析をして意識して練習を積むことが出来るかにあると思っている。室内との最大の相違は、たとえ注意していても転落の危険は必ずあり、如何にそれを防ぐかにある。
兎に角、思いのほか足や上腕や腰までに疲れが出ている。どれだけ瞬間的に最高筋力を使って登っているかということであり、それは技術的な進展であるとともに、認識しておかないといけないことだろう。登っている最中は登れるか登れないかしか考えて試してみるわけであるが、昨年の今頃は登れたかどうかなどは考えない。つまり、どのような技術でどのような練習の成果であるかはそれほど明確ではない。如何に限界を超えることなく、限界域を試していくためには安全性が確保されているかどうかだけではないと悟るのである。
漸く、嘗てラインホルト・メスナーの「第七級」にあったような自己分析の感覚が分りかけてきた。当時の最高水準とは全く異なるわけであるが、当時はどうしても度胸と思い切りの力づくで登ってしまうような風潮がまだ残っていたわけで、現在のように純粋にスポーツ化した体の動きの中でのそれの中で始めてそうした問いかけが始めてなされるのである。なるほど、難易度の示し方も嘗ての最高難易度が六級であってそこから如何に進むかという試みは現在のスポーツクライミングの中では各々の身体能力や経験の中では全く同じことなのかもしれないのである。
そこで一つの方法として、今シーズン履き続けた新しいイヴォルヴの靴からルートによっては嘗てのカタナに履き替えてみようかと思っている。これで、自己最高の技術は駆使できなくなるが、その分身体の重心は岩に近づくことが出来て、技術的に余裕があるところで登れるようになるかもしれない。試してみよう、靴底が消耗するのも避けることが出来る。
頂上の記帳から:
Was wir beim Klettern so liebten, war das Gefühl, Herr über die Schwere zu sein, über dem Abgrund zu tanzen, senkrecht emporzulaufen. In diesen Momenten fühlt sich der Mensch wie der Flieger im Raum. Er ist kein erdgebundener Wurm mehr, sondern wird zur Gemse, fast zum Vogel. Lionel Terray
クライミングで素晴らしいのは、困難を制圧して 深淵を覗きこみ、垂直を歩むその感覚である。そのときには、まるで宇宙飛行士のように感じるのだ。もはや地を這い蹲る蛆虫ではなく、まるでカモシカのように殆ど鳥になったかのように感じるのだ。(レオネル・テレイ)
参照:
バンジージャムプ並の転落 2012-06-18 | アウトドーア・環境
オリエンティールングルート 2013-06-13 | アウトドーア・環境
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